『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(1992)7〜12話感想まとめ

 

第7話「みえる、みえる」

第8話「恐怖! 瞬間喰い」

第9話「走れタマゴ王子」

第10話「猿はもうイヤ!」

第11話「ご主人さま!」

第12話「パパは吸血鬼!?」

 


第7話「みえる、みえる」


脚本:杉村升・荒木憲一/演出:東條昭平


<あらすじ>
姿の見えないモンスター、ドーラゴブリンが子供たちの心を次々と食べていく。一体どうすれば、ジュウレンジャーは見えない敵と戦うことができるのか?


<感想>
杉村升と荒木憲一のコンビでお送りする回ですが、今思うのはジュウレンジャーって「王道に見せかけた変化球」なのだなということです。
こないだのクイズ形式もそうなのですけど、「ジュウレンジャー」って一見伝説の武器を持った戦闘種族同士の戦いに見せかけて、意外と知略というか能力バトルのような側面も見受けられます。
今回でいえば、ゴブリンは子供達の魂を奪うことができ、しかも靴を履いているせいでジュウレンジャーたち大人には決して見ることができないという差別化が変化球となっているのです。
この「子供には見えても大人には見えない」というのは後に小林靖子が「トッキュウジャー」で大々的にテーマにしていく要素なのですが、それを実験的要素として盛り込んだのがこの回でしょうか。


また、相手がゴブリンということもあり、ビジュアルや話の構成などからいわゆる「実は残酷なグリム童話」をどこまで戦隊シリーズに盛り込むことができるか、というところにも挑戦しています。
あまりにもメルヘンチック過ぎて掴みづらかった本作の世界観ですが、いわゆる「子供の絵本」の世界をそのまま戦隊シリーズでやっているという感じで、ゲームに例えると正に「ドラゴンクエスト」です。
よく本作とビジュアルやファンタジックな世界観が似ている「ギンガマン」と比較してみると、同じファンタジーや追加戦士の要素も似通っていながら、内容は全く別物となっています。
「ギンガマン」はファンタジックな世界観でも、戦闘シーンの描写やキャラクターのドラマは凄く正統派といえるものであり、例えるなら「聖剣伝説」「ファイナルファンタジー」という感じでしょうか。


解決の糸口になったのがジュウレンジャーではなく徹少年の協力が窮地を脱するキーとなるというのはとても良かったところで、こういうところも「いかに子供キャラを活躍させるか?」に重点を置いているようです。
また、最終的にジュウレンジャー5人が受け入れてくれるものの、最初はダンだけが寄り添ってくれるが他の4人が反対しているというのもリアクションの違いとしてうまく機能しています。
ダンはこれまでお調子者のトラブルメーカーという側面が目立っていましたが、今回はそれが子供とジュウレンジャーをつなぐ架け橋になるという非常にいい潤滑油の役割を果たしていました。
演じている役者さんのお陰でもあるのでしょうが、ダンってトラブルメーカーではありながら愛嬌があって憎めないんですよね、そういうのも本作のとてもいいところだと思います。


ただ、やはり尺の限界なのか変身後の戦闘シーンから巨大ロボ戦までの流れは非常に大雑把であり、途中経過は盛り上がるものの変身後に入ると基本的にジュウレンジャー側が無双となり、勝ち筋がややワンパターン化
伝説の武器を手に入れた時点で強いのはわかるのですが、それならそれでもっとバトルシーンをしっかり盛り上げて欲しいのはあり、ギミックやゲストキャラよりももっとジュウレンジャー側を立てて欲しいです。
それが本作のとても物足りないところであり、記号してのジュウレンジャーは「かっこいい」と思うのですが、もう少し「この登場人物はこう考えて動いている」という人間的な面がやや見えにくいのは不満点となっています。
総合評価はB(良作)、今の所「つまらなくはないけど、劇的に面白いとまではいえない」という、燃焼率の甘いエピソードが続いており、もっと早く「ジュウレンジャーならではの面白さ」は確立して欲しいところです。


第8話「恐怖! 瞬間喰い」


脚本:杉村升/演出:東條昭平


<あらすじ>
食べる、食べる!ドーラキルケが街中の食べ物を次々と奪い、みんな腹ペコで大騒ぎ。そして、武器までも食べられてしまった5人の前に、謎の老人・ノームが現れた。


<感想>
ボーイ、慣れない現代社会の贅沢な食事に狼狽する、頑張れ!(笑)


そう言いたくなった今回の話ですが、そういえばジュウレンジャーって後半に入るまで経済事情や食事などの私生活の側面って明かされていないんですよね。
非現実的な存在であるゆえにそこを描かなくていいのか、それとも元々恐竜人類自体がそんなに食べなくても生きていける存在だからのかは甚だ疑問ですが。
しかし、こういうカルチャーショックネタはもっと早い段階で描いて欲しかったところであり、正直なところ今更感が拭えません。
本作の世界観って一応ゲストキャラの子供や家族とよく絡みますが、一方で「世間一般との繋がり」そのものはかなり曖昧です。


絶望の大地などがそうであるように、本作はメルヘンチックな異世界じみた舞台で戦うことが多く、現実的な要素をあまり入れられないのでしょう。
今回でいえば、最終的に食べ物が食われた挙句ジュウレンジャーたちは老人・ノームの元へ行くことになるわけであり、しかもかなりあっさり気味に攻略アイテムを入手しました。
試練といえば試練なのですが、その内容が「大食い大会」なのはあまりにもつまらないので、これはだれか脚本の段階でダメ出しできなかったのでしょうか?
巨大なカブトムシなどは「ライブマン」「ビーファイター」を彷彿させる要素で面白かったのですが、出すならもっと面白くして欲しかったところです。


ちなみにこのノーム爺さん、今回だけではなく17・18話にも登場することになるのですが、バーザより多少は頭が回りますが、自分でも言ってるように物凄く意地悪な性格しています。
ただ、礼儀がなっていないダンを叱り飛ばしたり、「ジュウレンジャーは甘い」と喝を入れたりするところは早い段階でジュウレンジャーの欠点をしっかり指摘していて良かったところです。
ともすれば、単なる浮世離れした古代戦闘種族という記号に陥ってしまいがちですが、そうならないようにという工夫は成功の可否を別としても、きちんとやろうとしているのは伺えます。
そしてボーイは人参が大の苦手という、後の「ギンガマン」のハヤテに継承される「苦手な食べ物」要素が浮き彫りになったのですが、あんな大根みたいな人参じゃ美味しくなさそう(笑)


内容的には可もなく不可もなしといったところで、前回に比べるとネタ的にもオチもありきたりなので、総合評価はD(凡作)


第9話「走れタマゴ王子」


脚本:杉村升/演出:小笠原猛


<あらすじ>
大昔に滅んだはずの恐竜の卵がある?アペロ族のユーロ王子の知らせで、ダロス島へと急ぐジュウレンジャー。だが、魔女バンドーラもその卵を狙っていた。


<感想>
今回と次回は恐竜の卵前後編、「ジュウレンジャー」序盤の決戦編にして、終盤に向けた壮大な伏線にもなっています。


モチーフとなっているのは聖書の「失楽園」であり、キリスト教の背景を知った上で見ないと、今回の話の流れというか背景にあるものは理解できないのではないでしょうか。
禁断の果実を誤って食べてしまい、神々から猿にされてしまって島から追放された王子たちは正にアダムとイブのようなものですが、こういうえげつない話もさりげなく織り込んでいるのが本作のとてもいいところ。
それと同時に終盤でも大事な伏線となってくる恐竜の卵争奪戦という要素も盛り込まれているため、ここまで見てきた中では一番面白かったです。
バンドーラ様も相変わらず剽軽な振る舞いしながら、やることはえげつないですし、ギャグっぽい描写の中に真実が隠れているので、とても面白く見れました。


ただなあ、ユーロ王子と少女の演技力が酷すぎて、もうちょっとマシなキャスティングができなかったものか?とは思うところで、やっぱりこの辺りキャスティングに金かけられなかったんでしょうね。
この辺りも高寺Pの戦隊で改善されている点というか、市太郎君にしろタケシ君にしろ勇太君にしろ、レギュラーの子役1人に絞ることで演技力の高い子を据えていたのだなあと思うところです。
特に「嘘なんでしょ!」のくだりとかはあまりにも棒読みすぎて見ていらせませんでした……正におままごと・学芸会レベルの大根演技で、もうちょっとマシな子たち連れてきて欲しかった。
バンドーラ様が圧倒的にうますぎるせいもあるのですけどね……やっぱりこの段階に至ってもゲキたちの演技力は初期と変わっていませんし。


そして今回は緊急事態なためか、ダロス島へ直行するのに守護獣に乗って向かうことを許可されたようです。
ほら、大獣神って基本的にスパルタブラック上司だから「ふざけんな!ダロス島まで自力でつけやゴルァッ!」みたいなことにならずに済みました。
恐竜の卵は守護獣にとっても最優先事項だったようで、ただ理不尽に厳しいだけじゃないところもよかったかなと。
ただ、「ユーロ王子は人間じゃなく猿なのさ」というのは良くわかりませんでした、「いや人間だって猿だろ」とツッコミ入れたくなります。


そんなこんなで内容的には完全に次回のための仕掛けという感じなので、総合評価としてはC(佳作)というところでしょうか。


第10話「猿はもうイヤ!」


脚本:杉村升/演出:小笠原猛


<あらすじ>
ダロス島の卵を狙うバンドーラ一味とドーラコカトリス2号。ジュウレンジャーは卵を守り、恐竜を再び甦らせることができるのか。そして、ユーロたちは人間に戻れるのか?


<感想>
「ダロス島のアベロたちよ……お前たちは2度までもコカトリスに欺かれ、約束を果たすことができなかった。永久に猿のまま、その姿で暮らすのだ」
「そんな……!」
「酷いわ神様、ユーロたちは一生懸命やったじゃない!どうして分かってあげないの!?そんな神様なんて私大嫌い!」
「守護獣たちよ、我々は神ではない!失敗もする、騙されることもある!それを温かく見守るのがお前たちの使命ではないのか!」
「そうだ!卵は俺たちの手で必ず見つけ出す!だから、王子たちを許してやってくれ!」


今回のドラマのハイライトはここでしたが、うーん、個人的には正直厳しい展開す。
私は基本的に大獣神が好きではないのですが、今回に関しては完全に大獣神の言い分が正しいので、ゲキたちがむしろ甘いとしか言いようがありません。
そんな感情論が許されるのだったら、世のビジネスパーソンたちはみんな許されることになるわけで、流石にこればかりは私も認めがたい展開です。
仕事上の失敗は誰にだってあるものですが、しかしその失敗やミスにも限度ってものがあるわけで、今回のこれは流石にしてはならない類の失敗でした。


それこそ会社でいうなら社運がかかった一大プロジェクトと言っても過言ではなく、会社の今後が左右されるような極めて険しい大掛かりな仕事でしょう。
そのチャンスをしくじってしまい大ポカをやらかしたのに、「まあ今回はミスしましたけど、それを糧に成長していくんで許してください」が通じるか?という話です。
幾ら何でも恐竜の卵をしっかり確保し損ねたのをなあなあで許すというのは単なる「甘やかし」以外の何物でもなく、こればかりは流石に許せません。
それこそ「ボウケンジャー」の世界でいうなら、恐竜の卵はハザードレベル3桁〜4桁はあるであろうプレシャスなわけで、今回はそれを回収するのが役割でした。


ジュウレンジャーや現代人の手まで借りておきながらそれに失敗したというのは弁解の余地がなく、きちんと罰は罰として与えるべきだと思います。
まあ流石に「永久に猿のままで暮らせ」は酷すぎるので、もう少し罰則を緩めて「では次に恐竜の卵を確保できたら島に戻す。できなかったら永久に猿のままで暮らす」でいいでしょう。
そういう折衷案というか妥協案を提示してそれを伏線とした方が良かったと思うのですが、なぜかそうではなく「一生懸命頑張ったから許してやるか」は決して許されません。
社会に出たら過程はどうあれ「結果が全て」な訳で、もちろん途中経過が良いに越したことはありませんが、今回のこれは「過程はよかったけど結果はダメ」という奴でしたよね。


こういう時いつも思い出すのは横山光輝版「三国志」の関羽が赤壁の戦いで曹操を倒さなかったことを孔明に責められた時の孔明の言葉を思い出します。


「軍紀を守ってはじめて強兵が生まれ、それが国を守り国を強くしていくのです」


玄徳軍の今後の運命がかかった大事な場面で関羽は一度曹操にお世話になったという義理人情との板挟みで公私混同を犯してしまい、切れなかったわけです。
それを孔明は責めたわけですが、確かになんでもかんでも規律で縛ればいいわけではありませんが、それは決して「規律を蔑ろにする」ことを意味するものではありません。
規律は規律、それを守って初めて責任感ある仕事ができるし優秀な人材が生まれる……その点で見たときに今回のこれは御都合主義のレベルじゃない結末だったのではないでしょうか。
表向きハッピーエンドでしたが、恐竜の卵を手に入れ損ねたという本来の目的が果たせないまま終わったことを諸手あげて喜んでいいものかは引っかかります。


途中経過は争奪戦含めて非常に良くできただけにラストのオチで引っかかってしまい、総合評価としてはどうしてもB(良作)にせざるを得ません。
この辺り、井上敏樹先生や小林靖子女史だったらもうちょっとうまいオチにできたのではないかと思うのですが……。


第11話「ご主人さま!」


脚本:杉村升、荒木憲一/演出:渡辺勝也


<あらすじ>
魔法のランプを手に入れた子供たちは、ランプの精・ジンに願いを叶えてもらって大喜び。だが、魔女バンドーラもジンを狙っていた。


<感想>
おい、強制的に蓋をして封印って何の解決にもならんだろ!


いくら古代の産物だからといって海に不法投棄はなあ……それが許されるのは80年代までであって90年代初頭でこのエピソードは流石に許されません。
そんな今回のお話ですが、実は白倉プロデューサー補が杉村さんにガツンと怒鳴られたこよで有名な逸話があるそうですが、どっちが正しい以前にまず話の作り方がダメ。
最終的にジュウレンジャー批判に持っていかなかっただけマシですが、今回の話は「ウルトラマン」のガヴァドン回に通底するものを感じました。
子供達の願いを都合よく叶えてくれる善の存在が悪人化してしまい、それをヒーロー側が思わず倒しそうになるというベースの部分が似ています。


ウルトラマンを一方的に悪者に仕立て上げることがありきだったガヴァドン回に比べれば今回のこの話は安易に子供達のわがままを肯定していないだけマシでしょうか。
何となく今回の話を見ていると後の「オーレンジャー」のガンマジンの大元になっている気がして、杉村氏の善悪の基準や倫理観などが透けて見えてしまいました。
どうもこれは本作から一貫して思うことなんですが、杉村さんはやたらに子供を悪ガキっぽく描きたがる割には最終的に子供達に甘くしてしまうという弱点があります。
無条件に子供を性善説として信じすぎているというか、子どもってもっと残酷でそんなに物分かりのいい方ではないですし、ジュウレンジャーたちもそんな子供達を野放しにしてしまっているのです。


そんなランプ魔人争奪戦が今回の内容だったのですが、一見「子供達の夢をしっかり守る正統派ヒーロー」としてのジュウレンジャーを描いたつもりなのでしょうが、結果としてはむしろジュウレンジャーの方が酷い印象
何が酷いってラストの東京湾に沈める「臭いものには蓋」みたいな強引な解決法もそうですが、それ以上に一方的に子供達にランプの回収を迫った上で子どもの欲望を野放しにしてしまい改心や反省を促さないことです。
これは今回に限ったことではないのかもしれませんが、浮世離れしすぎている存在が故に子供達と当たり障りのない絡み方しかできないという弊害があります。
そのせいで、例えば「カーレンジャー」のシグナルマンと市太郎くんとか「ギンガマン」のリョウマと勇太くんみたいに、個に特化した深いドラマに繋がらないのです。


「子ども向けとしての分かりやすさを重視する」ことと「深いドラマを描く」ことは決して両立し得ない要素ではない訳で、もう1クールも終わりなのに全くキャラの基礎ができていません。
その上でこんな粗雑なエピソードを出してしまうのは「子ども向け」ではなく「子ども騙し」としか言いようがなく、どうにも飲み込めない話が多いのです。
せめて「願いを叶えるのには何かしらの条件や制約が必要」というのならわかりますが、今回はそれがなくランプの魔人が子どもたちの願望の象徴みたいに描かれているのは好きじゃありません。
総合評価はF(駄作)、次回も含めてここまでで最低のクオリティでした。


第12話「パパは吸血鬼!?」


脚本:高久進/演出:渡辺勝也


<あらすじ>
ダンが出会った少女・ミチ。そのミチが見た吸血鬼は、なんと彼女のパパだった。一体、どういうことなのか?


<感想>
とりあえずミチは明らかに誇大妄想が酷すぎるので今すぐ精神病院か少年院に送った方がいいと思います。


何が凄いってコミカルな日常シーンで自分の父親をバットで追いかけ回す女の子の狂気なのですが、前回に引き続きジュウレンジャーがそんなミチを説教しないのは如何なものか?
まあそもそも「俺たち普段から生身で武器を振り回してるしな〜」って感じだからなんとも思わないのか、ダンもミチに寄り添っているようでむしろわがままに振り回されてしまっています。
しかも最終的に幻術で戦っていた相手なのに倒し方は結局物理で解決しているので、物語に上手く幅が出ずに勝ち筋も含めて寧ろワンパターン化してしまっている感じに。
シリアスに描くには追いかけるシーンが余りにもギャグすぎますし、反対にギャグとして見るのならばせめて「地下鉄のザジ」くらいに徹底したスラップスティックにすべきだと思います。


特撮における高久脚本自体を私はあまり評価していないのですが、今回の話はまさに上手くいかない時の高久脚本の弱点が露見してしまった感じになりました。
父親と娘の絆を描きたいのか、それともダンとミチの心の交流を描きたいのかという縦軸がはっきりしないので、横軸の肉付けとの連動性も上手くいきません。
物理的じゃない能力バトルのような要素を持ち込むのは構わないのですが、対するジュウレンジャーが「一に素手!二にドス!三四がなくて、五に恐竜剣!」なのであまり盛り上がりません。
しかも5人のキャラクターも未だに立っておらずバンドーラに存在感を食われてしまっているので、本作全体の問題は解消されないまま1クールが終了。


ゲストに焦点を当てるのはいいですが、それ以前の段階として「5人のキャラを立てる」という基礎ができていないため、どうしても低空飛行に見えてしまいます。
単純に役者の演技力が微妙というのもあるのですが、根本の原因は5人のキャラがあまりにも薄味すぎてつまらないことにあるのです。
総合評価はF(駄作)、前回共々1クール目の終わりだというのにイマイチ締まらないエピソードでした。

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

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