『侍戦隊シンケンジャー』(2009)25〜30話感想まとめ

 

第二十五幕「夢世界」

第二十六幕「決戦大一番」

第二十七幕「入替人生」

第二十八幕「提灯侍」

第二十九幕「家出提灯」

第三十幕「操学園」

 


第二十五幕「夢世界」


脚本:小林靖子/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
茉子が久々に手料理を準備したと知った丈瑠たち男性陣は倒れた時のための胃薬を用意していたが、全て茉子に知られてしまう。ショックを受けた茉子は料理本を買いに行くが、途中でドウコクに傷つけられた三味線を回復させるために人間を襲う薄皮太夫と出くした。丈瑠たちも参戦するが、アヤカシ・ユメバクラの能力「夢世界」により、人々は次々と夢の世界へ誘われるのだが…。


<感想>
ここからは3クール目の始まりにして、実質前回からの続きですが、今回と次回の方がとてもクオリティ高くまとまっていました
不思議コメディの世界からやってきたとしか思えないウザい源太を性格的欠点を理由に戦闘不能に陥らせ、「ミシュラン寿司」を開こうとするなどという夢を見てしまう描写はよかったです。
また、ここまでやや空気気味だった流ノ介と千明に夢の世界へ行かせたり、モヂカラを使いすぎて満身創痍になる丈瑠だったりと能力の高い面子をしっかりと追い込んでいます。
そしてその上で薄皮太夫の闇の深淵を覗き込んでしまい、それに魅入られてしまう茉子とそんな茉子を心配して追いかけることは、とそれぞれがそれぞれの役割を果たしていました。


演出もすごくナチュラルにできていて、やっぱり中澤監督の演出が本作で一番安定していて、シリアスにしてもコメディにしても違和感なく緩急のついたペースで安心して見られます。
また、ベテランの諸田監督や渡辺監督、竹本監督なども非常にいい仕上がりです…その反面、どうしても初参加の加藤監督の下手さが際立ってしまうのが難点ですが。
全体的にはコメディ調なのですが、ドラマとして一番の見どころはやはり薄皮太夫と茉子の夢世界のシーンで、茉子は太夫の過去を知ってしまうのです。

 


「新さん、ずっと待っていた。迎えに来ると言ったお前のことを……なぜだ?!わちきはまた、独りだ…死んでも結ばせるものか、たとえ、たとえ外道に堕ちようともお!!」


細かい事情が描かれていないので詳しい事情はまだ見えませんが、ここで大事なのはこれまで不気味な絶対悪っぽく見えていた薄皮太夫が「人間」として描かれたことにあります。
これははぐれ外道の十臓ともうまくリンクしており、茉子はまさか太夫にこんな壮絶な過去があって外道に堕ちたことを知らなかったのです。
夢の世界とはいえ、そんなものを覗き込んでしまった茉子は心の中で葛藤が生じてしまうのですが、これはいわゆる哲学者ニーチェのあの名言でしょうか。

 


「怪物と戦う者はその過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」


そう、実は薄皮太夫も白石茉子も生きた時代は違えど、人を愛する心を持った女性であることに変わりはなく、しかしたった一瞬のことで闇落ちをしてしまったのです。
このシーンを見て初めて私は「ああ、そういうことか」と納得したのですが、要するに薄皮太夫や十臓はそれぞれ「アンチ白石茉子」「アンチ志葉丈瑠」として描かれているのだなと。
つまり、丈瑠も茉子も一瞬でも力の使い方や生き方を誤ると簡単に外道に堕ちてしまうことがこの段階で示されており、更にこれは終盤への重要な伏線になっています。
思えばヒーローとヴィランは常に対比で作られているというか、ヒーロー側の光が強ければ強いほどヴィラン側の闇もまた強くなっていくものです。


その上で本作が面白いのは丈瑠と茉子がそれぞれ「個人」として敵側を認識してしまっているということにあります。
これはねえ、本作が逆「ギンガマン」になっていることと合わせて是非「ギンガマン」の感想を書く時にでも語りたいのですが、「ギンガマン」では基本的にゼイハブ以外を個人名で呼ぶことはありません
強いていうならハヤテとシェリンダ、ブクラテスとヒュウガは「個」として認識し名前を呼びますが、共通の目的のためにある種の絆が芽生えたヒュウガとブクラテスはまた別として。
ハヤテはシェリンダを最終的に個人名で呼んだとしても、終始袖にしたままでハヤテの中ではあくまで「バルバンの一幹部」でしかなく、シェリンダとの因縁に執着しません。


そう、「人」として認識してしまうと途端に殺しにくいという考えが擡げてきてしまい、本作はその意味で「ギンガマン」がギリギリのところで踏み止まっていた一線を超えようとしているのかなと思います。
だから、正直私は第二十幕で丈瑠たちがことはを救うために外道を働こうとしたことを散々批判しましたが、この茉子と大夫の過去回想の闇を覗くシーンで茉子が太夫の深淵に覗かれている描写で納得できました。
シンケンジャーとは常に一歩間違えたら外道に堕ちかねない危ういところで戦っていて、だからこそ「個人」としての関係性に突っ込ませて現代のあやふやな正義を描こうとしているのかとも思います。
逆にいうと、丈瑠と茉子以外のメンバーはそういった「個人」としての関係性を特別に持たないから、純粋に侍として外道衆と戦い殺せるということなのですが。


気になったのは結局巨大戦をレッドとゴールドだけで乗り切ったことであり、これは流石にちょっとやり過ぎかなあと思うのですが、まあドラマが面白かったので今回はなしということで。
そしてその茉子と太夫の関係性をそこで完結させるだけではなく、丈瑠に執着する十臓というところと繋げているのも好印象であり、全体として非常にバランス良くまとまっていました。
これだけ暗いことをやってもギリギリのところで明るさを保っていられるのは源太の底なしの明るさに救われているところがあるからだと再認識です。
総合評価はA(名作)、前回が思いっきりこけてしまったところから大きく立ち直り軌道修正してみせました。


第二十六幕「決戦大一番」


脚本:小林靖子/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
満身創痍となった丈瑠のもとに十臓が決闘をしに来たと息巻いて現れ、茉子は薄皮太夫の闇を覗いてしまったばかりに躊躇いが出てしまい、ことはを傷つけることになった。十臓は丈瑠と源太に向かって襲いかかるナナシ連中を撃退すると、翌日に全快の状態で丈瑠と決闘する約束をして帰った。そのことを知った流ノ介は死闘に走ろうとする丈瑠を諌め、逆に茉子は丈瑠に同情して何も言えなくなり、料理本を捨てようとするのだが…。


<感想>
さあ来ました、いよいよ丈瑠と十臓との一騎打ちですが、全体的にまさに「お見事」と言える内容にまとまっていました。
メインはもちろん丈瑠と十臓の一騎打ちであり、個人的にはギンガレッドとブドーの一騎打ちを彷彿させる名勝負だったと思います。
特に一度わざと切らせてゼロ距離でズバリと裏正ごと斬ってせたのはまさに「肉を切らせて骨を断つ」を表現していて、ここまでで最高の殺陣でした。


それから個人的にいいなあと思ったのが流ノ介バージョンのスーパーシンケンブルー、色合いといい正直スーパーシンケンレッドよりかっこいいです。
殿様が着るのが一番いいのですが、その次にこの強化モードが映えるのは流ノ介であり、丈瑠が不在の時にチームを纏め上げる副将がもうすっかり板についています。
そんな流ノ介が今回しっかりと丈瑠に諫言しているのが見事で、特にこの一言が良かったです。

 


「お守りしようとしているのに、肝心の殿がご自分の命に無頓着では正直頭に来ます」
「十臓と戦えるのは俺だけだ。それに、志波家当主じゃなくて、ただの侍としての俺が戦いたいと思っている」


なんだか丈瑠が段々と十臓に毒されて来ているというか、台詞回しが中二病っぽいのですが、ここで丈瑠の「私」を強調しつつ、それを「公」として諌める流ノ介がいいですね。
そう、流ノ介の役目はあくまでも家臣として殿の命を守り、そして共にこの世を守ること…しかし、その殿が自分の命を惜しまず私闘に走ってしまうのはまずいと言っています。
しかし、十臓を放置したら放置したでそれは問題なわけで、結局どこかグズグズの感じになってしまうのは戦隊シリーズというよりも平成ライダーっぽい感じですが。
小林女史が書いた中だと、それに最も近い構造だったのは「龍騎」ですが、「シンケンジャー」はいかにスーパー戦隊の世界に平成ライダー的な要素を持ち込めるか?に挑んでる感じはしますね。


で、本当なら茉子も反対するべきなのだろうけど、前回太夫の深淵を覗いてしまったせいで逆に深淵に心を覗かれてしまった茉子も反対できなくなっているというのは面白いところ。
この辺りで同じ年長組でも「個人」の因縁がある丈瑠と茉子、そしてそれが全くない純粋な侍の流ノ介という対比として描いて来たのは上手いコントラストになっています。
その分どうしてもこういう時に背後に追いやられがちなのが年少組の千明とことは、そして圧倒的陽キャの源太なのですが、そろそろ彼らにもまたメイン回が欲しいところです。
ユメバクラと家臣達の戦いはまあ前回思う存分に夢世界を描いたので完全な消化試合という感じで、この辺りはまあ思い切りがいいなと。


それからこれはカメラワークでかなり意識したのですが、どうして海岸で戦ったのかというと、おそらくお盆の風習と絡めて海=あの世、地上=この世のメタファーになっているのだなと。
海が「死」を意味する境界線というのは北野映画などでも使われるありがちな表現ですが、本作では「三途の川」という設定と併せて非常に効果的に用いられています。
こういう景色などで情感を表現しているのは本作がとてもこだわっているところであり、個人的には映像表現のセンスは歴代でもトップクラスですね。


ラストはお嫁さんの夢を諦めようとしたところで、彦馬爺さんが絶妙なフォローを入れました。

 


「覚悟をするのはいい。しかしな、少しぐらい余裕がなければ、外道衆と一緒だ。ははは」
「はい」


このまま行ったら、茉子は間違いなく外道堕ち一歩手前の状態になりかねなかったところで、きちんと軌道修正をしてみせたのが見事です。
同時に茉子がここで可愛らしさを出していることで、忠義心一徹の流ノ介、ことはとの差別化にも繋がっているし、また「侍としての宿命」の後に何をしたいか?も示しています。
評価はS(傑作)、一番メインで見せたい部分はしっかり見せ、そのために必要なサイドストーリーやプロセスも良く描けていました。
しかし、ここでうまく纏められるなら、どうしてインロウマル登場をもう少し丁寧に描けなかったのか気になりますが…。


第二十七幕「入替人生」


脚本:小林靖子/演出:竹本昇


<あらすじ>
十臓との戦いで負傷した丈瑠の傷はまだ癒えておらず、本調子ではなかった。源太はそんな丈瑠を心配して千明とことはに特上寿司を見舞いの品として送るようにするが、その時周辺の人々が変なポーズを取りながら固まって動かないという珍事件に遭遇する。それはアベコンベというアヤカシの仕業であり、丈瑠、流ノ介、茉子もまた同じようにやられていくのだった。


<感想>
さて、ここからはまた4クール目までしばらく箸休めの単独回が続きますが、今回の話は前回までと同じように実質の前後編になっています。
その前編に当たる今回は久々の千明&ことはメイン回だったのですが、この2人がセットで動くのは第六幕以来ですが、あの時とはすっかり力学関係が逆転しました。
剣術もモヂカラも成長した千明が非常に頼もしく、どこか不安げなことはをリードするようになり、やはりシンケンジャーで一番すくすくと成長しているのは千明ですね。
最年少という設定なのもあるでしょうが、ことはの成長速度が「亀」だとすれば、千明はまさに「兎」のようにトントン拍子で強くなっていきます。


いやあ、今回は千明ファンの方々にとっては随分嬉しかったんじゃないですかね、スタートがマイナスだったこともありますが、「ギンガマン」のヒカルばりに千明もグンと成長しているのが嬉しいなと。
まずアヤカシの特性を逆利用して千明とアヤカシを入れ替えさせ、さらにそのアヤカシとサッカーボールを入れ替えて魂を元に戻すように誘導するという作戦が見事でした。
つまり、正攻法がダメならば知恵を使って切り抜けろということなのですが、千明が自由故に咄嗟の機転が利くのは第三幕や第十幕、第十五幕でも描かれていましたしね。
安全で無駄のない戦い方をする丈瑠や教科書通りの戦い方をする無難な流ノ介や茉子との差別化、また真っ直ぐで不器用故に機転が利かないことはとの差別化もよかったです。


それから、ここ数話ですっかり大活躍だった丈瑠を猫殿にしてみんなでいじって楽しむことで丈瑠のキャラにも柔らかさが出て、いい感じに面白くなりましたね。
そしてスーパーシンケングリーン…いやもうね、今回の千明は至れり尽くせりで、初期からグングンと成長する、正に大木のごとく強くなっていて嬉しいです
彦馬爺のいうとおり、丈瑠たちがいなくても自分達だけで戦えるくらいに強くなっていて、それがとてもいいところだなあと。
初期はずっと丈瑠一強で他は引き立て役みたいな扱いでしたが、2クール目、そしてこの3クール目に至ってその戦力的格差が是正されてきているのはいいところです。


あとやっぱり面白かったのは源太で、これまでどこか陽キャすぎて個人的にはウザかった源太を見事に寿司恐怖にさせて落としたのも「よくやった!」と感心しました。
流石にこのままずっと天才が天才のまま無双して終わりとなるとどこぞのビッグワンみたいになりかねないので、その前にきっちりと落とすべきとこで落としといてよかったです。
むしろ源太に関しては天才過ぎる故にもっと落としてもいい気がしますが…あとここ数話で株が上がっていた流ノ介がナニを晒して公然猥褻を第二幕以来久々にやったのも笑いました。
空気の読めないギャグは好きじゃありませんが、こういう筋の通った洒落たコメディは好きなので、今回はその点中途半端にせずしっかりやってしっかり落としています。


総合評価はもちろんS(傑作)、千明とことはのメイン回も含めて小ネタが充実していて非常に面白い回でした。


第二十八幕「提灯侍」


脚本:小林靖子/演出:竹本昇


<あらすじ>
前回、魂を寿司と入れ替えられた時に猫に食べられかけたことで、源太はすっかり寿司恐怖症になってしまった。シンケンゴールドも寿司屋も引退という事態に、丈瑠たちはなんとか彼を元に戻す方法を思案する。一方で外道衆の方は筋殻アクマロと呼ばれる者が現れ、シンケンジャー5人の前に新たな脅威として立ちはだかるのであった。


<感想>
前回の続きですが…源太、とうとう寿司屋から岡っ引きに転職!おめでとう!!


以上が今回の感想ですが、もう1つ本筋の部分に関わるネタとしてはアクマロの登場でしょうか、シタリとは違う意味での知略系の敵というか。
見た目も言葉遣いもスマート、というよりは慇懃無礼な感じはリッチハイカー教授や闇商人ビズネラを思い出しますが、アクマロもその系譜に属する幹部しょうか。
話の内容としては前回で猫に食われそうになった源太が(どうでもいいけど猫が可愛い)寿司恐怖症になってしまうというのを克服するだけのお話です。
で、見所としては序盤以来久々に茉子が見せる「ダメンズウォーカー」モードなのですが、正直私こういうのは苦手なのでいい加減自重していただきたいなと。


でも流ノ介や源太レベルでこれなら、それこそ「ジュウオウジャー」の世界に来たら、茉子姐さんのダメンズウォーカーモードが存分に発揮されるんだろうなあ。
だって、豆腐メンタルで体育座りをしまくってた操とか胃薬必須の大和先生とか茉子にとっては物凄く世話の焼きが甲斐がある後輩たちじゃないですか。
ちなみにギンガマンはメンバー全員メンタルが完璧なので別に茉子が寄り添う必要全くないという…強いて言えばゴウキくらいかな。
そんな源太が最終的にどうやって克服したかというと、彦馬爺さんが無理やり食わせるという荒療治で解決しました。


ちなみにこの無理やり食わせて解決は食物アレルギーだった場合はNGですが、源太は「恐怖症」なだけであって「アレルギー」ではないのでOKです。
そして復活したと思ったら、なんと密かに開発していたダイゴヨウを引き連れて無双、ついにスーパーシンケンレッドが乗ったシンケンオーをかませ犬扱いしてしまいました。
流石にこの辺はやりすぎじゃないかなあ…あとダイゴヨウのデザインはいいんですが、必殺武器がただの銭投げならぬ円盤投げやないかい!
そんなにホイホイ円盤投げつけていいのか!?と思ったのですが、まあ今までのシンケンオーの追加武装も微妙なのばっかだったなあと思いました。


ちなみにこの岡っ引きネタや円盤投げからイメージは「銭形平次」だと思われますが、まあ確かに岡っ引きって現代でいう「警察」だから存在しない職業だわなと。
それをいえば侍はどうなるんだと思いますが、この辺はフィクションということですませておきましょうか
内容的には前回までが物凄い重量級の幕の内弁当だっただけに、なんだか今回はサクサク食べれるスナック菓子を食べてる感じです。
評価はC(佳作)、アクマロネタと源太のギャグがうまく連動しなかったのが原因です。


第二十九幕「家出提灯」


脚本:大和屋暁/演出:加藤弘之


<あらすじ>
ダイゴヨウは源太の寿司の握り方が気に入らなかったのか、我慢の限界に達して口喧嘩を始めてしまう。売り言葉に買い言葉でヒートアップした源太はとうとう「夜しか役に立たない提灯」と言ってしまう。ダイゴヨウは家出してしまい、茉子は心配そうに見つめる。その時、外道衆の方ではドウコクが不機嫌そうにしていると、アクマロが配下のアヤカシ・ドロボウを差し向けた。


<感想>
今回は久々の大和屋脚本回で源太とダイゴヨウの圧倒的陽キャ同士の喧嘩回ですが、今回の話は特に違和感がなく普通に楽しめました


まあ、源太のキャラクター自体が不思議コメディの時空からやってきた便利な助っ人キャラとしか思えなかったので、大和屋氏としてもかなり描きやすかったのでしょう。
以前のシンケンブラウン回や黒子回に比べればだいぶ構成としても見やすくなっていて、まあありがちな「似た者同士の喧嘩」ではありますが、ちゃんとダイゴヨウと源太の関係を掘り下げたのはよかったです。
その2人の関係性というか、実質の仲介役として茉子姐さんのフォローがあったのもよかったところで、変なダメンズウォーカーモードではなく、こういう自然な気遣いのできる姐さんは好印象。
単なる2人の喧嘩だけで終わったら面白くなかったのですが、ここで茉子姐さんが絡むことで源太以外との関係性も補強し、まあまあベタながらいい感じだったんじゃないかと。
それから源太に解雇されたダイゴヨウが転職活動をして焼き鳥屋へ転職というのも、ギャグとはいえ地味な終盤への伏線となっています。


ただし、話の方はそこそこよかったのですが、戦闘シーンの方はパワーバランスも含めて全体的に面白みがなく、別に提灯がいなくても解決できた話です。
つまり分身を繰り出してくる場合は強烈な光を浴びせて本物だけを炙り出せばいいという落ちでしたが、これはダイゴヨウを使わなくても源太がスシチェンジャーで「光」とでも電子モヂカラを打てば解決できる問題でしょう。
わざわざダイゴヨウを使わなくてもできることなので、能力面も含めてどうにもアクションシーンの方は盛り上がりが足りません。
今回はスーパーシンケンピンクでしたが、これも別に茉子がやる必然性が全くなく、普通に殿がやればよかったんじゃないですかね?基本的にインロウマルは丈瑠が使うものだと思うので。


あと、アヤカシが途中撤退する理由が「水切れを起こしたから」というのもだんだんと悪い意味での御都合主義の道具になっているというか、それさえつければ撤退のさせ方が適当でもいいというのはダメです。
まあそもそも本作は幹部連中以外の一般のアヤカシ自体がデザイン面も含めてバリエーション不足で面白みがないので、山場のドラマ以外の回がどうしても盛り上がりが足りません。
年間のアベレージで見た時に、どうしても本作がA(名作)にはなれてもS(傑作)にまで跳ねられないのはこういう細かい部分の設定や整合性をきちっと詰め切れていないところにあります。
殿と家臣という主従関係さえ軸として守っていれば、それ以外は多少おざなりでもいいだろうという雑さが見えてしまい、幾ら何でもこういうのはいただけません。


そのため評価としてはどう高く見積もってもC(佳作)にしかならず、また加藤監督の演出も緩急がうまくついていないせいで、メリハリがありません。


第三十幕「操学園」


脚本:石橋大助/演出:加藤弘之


<あらすじ>
鷹白学園にことはが生徒、そして流ノ介が教育実習生として赴任してきた。その学校ではどうやら半分以上の生徒が覇気が感じられないという怪奇現象が起こっており、その原因を調査し解決するためである。しかし、その学園の生徒たちは外道衆が現れても全く動じることがないので、2人は訝しはり始めた。果たしてこの学園で何が起こっているのであろうか?


<感想>
今回の話は流ノ介とことはの学園潜入回だったわけですが、全然面白くありません。


まず、どうして学園に潜入するのが流ノ介とことはでなければいけないのかという理由が全くないのです。
高校生戦士という設定ならことはより千明の方が向いていますし、あと教育実習生という設定なら、流ノ介よりも茉子に行かせた方が向いてるんじゃないでしょうか?
千明は「転校生」にした方がスムーズですし、茉子は第一幕で幼稚園の先生をしていましたし教えるのもうまそうですから、流ノ介よりも先生に向いてると思いますが。
たとえばことはが中学までしか行っていなくて高校からは行ってないから楽しんでみたいとか、流ノ介も外の世界を知ってみたいとかいう理由だったらわかります。
しかし、そういう物語としてやって当然の理由付けすらまともにできてないせいで、終始シンケンジャーの中からこの2人だけが潜入する意味が全くありません。


それから、源太のバンカラネタとかも「やってみました」というだけの感じで、とにかく今回の話は「シナリオ」でも「ストーリー」でもなくただの「プロット」
いってみれば「今回はこういう要素をやってます」という素材だけをバラバラに並べ立てただけで、全然1つの内容として意味付けされていません
千明の偽物回もそうだったんですけど、石橋氏の脚本はそもそも「文芸」ですらなく、こんなクオリティでよくGoサインが出たものだと思います。
というか、単に学園に潜入するなら、わざわざ教師や生徒に扮して潜入する意味がまるでなく、正面切って潜入した方がいいといえるでしょう。


それから今回一番酷かったのがダイゴヨウの扱いであり、前回もそうだったんですけど、源太共々都合のいい便利道具として使われすぎです。
今回はアヤカシのいる場所を探るための赤外線センサーみたいな用いられ方をしていましたが、これ自体が前回の今回で突発的に使われたものであり、不自然すぎます。
また、アクションシーンでもなぜがイエローがそのままダイゴヨウを使っていたのですが、どうして岡っ引きでもない純粋侍のことはがダイゴヨウを使えるのでしょうか?
あれは「侍ではない」源太だからこそ使いこなせるものであって、ダイゴヨウをまともに使ったこともないことはが当たり前に使い熟しているのは本作の「修行と稽古」の積み重ねを明らかに愚弄しています


まあそもそも源太の設定自体が初期5人から積み上げてきた5人の関係性を愚弄している部分が無きにしも非ずだったのですが、それでもなんとか物語の中に収めようとしてきました。
しかし、前回でせっかくダイゴヨウ共々シンケンジャーの一員として馴染んだはずなのに、今回またもや御都合主義の便利道具と化しているので、本作の短所が剥き出しに。
というか、ダイゴヨウのあの短い警棒みたいなのは十手なのですが、真剣と十手は明らかに使い勝手や用途が異なるものなので、ことはがそれを使えるのはおかしいでしょう。
ことはに関しては第二幕で「学校の勉強や家の竹細工は全然ダメで、得意なのは笛と剣だけ」として、「シンケンジャーしかできることがない」という不器用な落ちこぼれキャラとして描かれていました。


その不器用なことはのキャラクターを今回の石橋脚本は明らかにスポイルしてしまっており、話の都合のためにことはもダイゴヨウのキャラも消耗品として雑に扱いすぎです。
さらに巨大戦でのシンケンオーゴヨウというのも物語の中で登場する必然性が全くないので、ただでさえ巨大戦がいまいち盛り上がらない本作の弱点に拍車をかけてしまいました。
本作はそもそもアヤカシのパワーバランスがうまくいっていないことや能力の差別化がうまくいっていないため、折神やインロウマル、ダイゴヨウが登場する必然性がそもそも薄いのですよね。
それでも何かしらドラマとしての意味付けや定義付けがきちんとなされていればいいのですが、それすらうまくいっていないので、結果として短所が長所を駆逐してしまっています。


総合評価はもちろんF(駄作)本作の短所という短所が全部露呈する最低最悪のクオリティでした。

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

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