『侍戦隊シンケンジャー』(2009)19〜24話感想まとめ

 

第十九幕「侍心手習中」

第二十幕「海老折神変化」

第二十一幕「親子熊」

第二十二幕「殿執事」

第二十三幕「暴走外道衆」

第二十四幕「真侍合体」

 


第十九幕「侍心手習中」


脚本:小林靖子/演出:竹本昇


<あらすじ>
シンケンジャーの仲間入りを果たした源太は独自にモヂカラを分析し、独自で開発した海老折神を丈瑠たちに見せて自慢する。とんでもない開発能力のすごさに驚く丈瑠たちだが、流ノ介だけは「侍ではなく職人」と急所を突いて批判し、源太の行動や言動を「侍ごっこ」と批判する。その後、千明たちから流ノ介について聞いた源太は何とか認めてもらおうと、黒子に化けて流ノ介の規則正しい生活態度を見ならぬことにしたが…。


<感想>
さて、源太の侍としての仲間入り、最後の壁は流ノ介だったわけですが、結論からいうと「もうちょっとそこは段取り組んでもいいんじゃない?」と思ってしまいますね。
何だか無理やり源太をシンケンジャーの仲間に早い段階で入れたいがために、かなり急ぎ足でやっている感じはあり、どうしても丁寧さを重視する小林女史とは思えないほどの勢い任せです。
源太が黒子として流ノ介を研究しよいと思った時に丈瑠から「そういうことするから、流ノ介に嫌われるんだぞ」というフォローが入ったのはホッとしました。


また、個人的にとてもよかったのが「流ノ介のルーティン」が具体的に描かれたところであり、モヂカラや剣の稽古だけではなく、歌舞伎の稽古や早朝トレーニングと入ったのはよかったです。
基本的にシンケンジャーは初期からすごく鍛錬を大事にする世界観・ストーリーなので、流ノ介のルーティンが強調されることで自他共に認める「純粋侍」であることが補強されています。
私は批判的に論じましたが、そういう風にみると、シンケンブラウンと名乗る外国人が丈瑠ではなく流ノ介への弟子入りを頼んだのも人選として見事だったのだなと。
しっかりと彼の侍たる所以が具体的な生活習慣として描かれているので、単なるネタキャラではなく「芯から侍」ということで、丈瑠に次ぐ強さなのにも納得です。


源太はいわゆる「天才肌」であり、剣術もモヂカラも上位ではあるのですが、それでもやっぱり純粋な剣術や侍としての心構えは流ノ介には及ばないと思います。
だからこそ、そんな2人を真正面からぶつけさせて一緒に共闘するという流れに持っていくのは悪くないのですが、今回のハイライトはこちらです。

 


「助けなきゃいけねえ人が居るのに、侍が自分の命守るかよ」
「どうやら、他はともかく、その一点だけはお前も侍のようだな」


う、うーん…これは流石に厳しいというか、いわゆる源太が持っているのって江戸っ子らしい等身大の当たり前な正義感ってやつですよね?
それは構わないのですが、いわゆるサスケや猿顔の一般市民、健太が持っていた「粋でいなせ」みたいな正義感と時代劇がかった侍としての主従関係を等価値にするのはどうかと思います。
これはやっぱり「幼馴染だから」という理由と合わせても、もうちょっときちんと源太の心理描写やバックボーンを掘り下げてから出すべきものなので、その辺の積み重ねが足りていません。
「命を懸けて守る、これだけは「ごっこ」じゃねえ!」というのは構わないのですが、どうにもありがち展開すぎてもう少し本作の世界観に合わせたひねりや工夫は欲しいところです。


例えば夜逃げした設定を掘り下げて「食い扶持に困る日々が続いていたから」「寿司を美味しいと言ってもらえることに幸せを感じたから」とかでもいいわけですよ。
ベタではありますけど、源太が「丈瑠との約束」以外で侍に改めてなろうと思ったきっかけをきちんと掘り下げて描かないと、作品の世界観が薄っぺらく安っぽいものになってしまいます。
だって家臣たち4人は真の侍戦隊になるまでを第二幕から丹念に描写して、掘り下げた状態であの十二幕の最高の盛り上がりへと持っていくことができたわけじゃないですか。
いくら天才の寿司屋で圧倒的陽キャだからって、その辺の積み重ねや段取りをおろそかにしていい理由はないので、この辺りはどうも小林女史らしくない雑さが出たなと。


まあその代わり、流ノ介が丈瑠たちが来るのを「信じる」のではなく「疑わない」というのはとてもよかったところで、流ノ介と4人との信頼関係が補強されました。
源太のキャラクター自体はシンケンジャーの世界観にとびきりの明るさと爆発力を持ち込んだので好きなんですけど、キャラのドラマは丁寧にやって欲しいところです。
特に「幼馴染としての約束」「目の前の困ってる人をほっとけない正義感」と「殿と家臣の主従関係」をイコールで結んでしまうのは良くありません。
ただでさえ源太は寿司職人という設定で開発能力に長けているというチート設定が与えられているのですから、ここまで行くと流石にやり過ぎです。


評価としてはC(佳作)、高く評価してもせいぜいこのくらいで、もっと源太をうまく世界観になじませていくべく段取りを丁寧にすべきでした。
まあラストの掛け合いは悪くなかったので、ここからラストにかけて源太のキャラがきちんと収まってくれることに期待です。


第二十幕「海老折神変化」


脚本:小林靖子/演出:竹本昇


<あらすじ>
何とか源太を無事に侍として認めた丈瑠たちはことはの誕生日サプライズパーティーを企画しようと、秘密裏に計画を進めていた。一方、外道衆は人の魂を奪い取るアヤカシ・ウタカサネが人間界に送り込まれ、ことはの魂を吸い取ってしまう。ようやく自由の身になった十臓が偶然近くを通った源太に声をかけるのだが…。


<感想>
さて、やってきました。当時めちゃくちゃ批判されたという曰く付きのエピソードが…うん、このエピソードに関してはもう容赦なく批判させてもらいます。


まず何が問題といって丈瑠、流ノ介、茉子、ことはの4人がことはを助けるために人の道から外れたことをしようという展開にしてしまっていることです。
そして2つ目の問題はそれを源太が別の方法であっさり回避してしまったことで、そこまでの丈瑠たちの葛藤が軽いものになり、有耶無耶にされてしまったことにあります。
前回の源太もそうだったんですが、この2クール目で改めて問おうとしたのは「侍としての覚悟」「殿と家臣」といった彼らの関係性に関する部分でしょう。
家臣たちが「ことはを助けたいから外道を働く」というのをあっさり決めている時点で問題ですが、さらなる問題はそれを丈瑠が1人で背負いこもうとしていることです。


他に助ける方法がないのかをもっと話し合った上での結論ならいいのですが、それを模索もしないでこの選択をしてしまっているせいで物凄く後味悪くなってしまいました。
確かにことはの命も大事にしなければなりませんが、だからと言って「この世に生きる人々の価値」よりも「ことは」を優先してしまうのはどうなのでしょうか
ことはの命を粗雑に扱っていい理由はないのは事実ですが、そのことと「ことはを助けるために外道を働く」は全くの別問題なので、そこをあっさりイコールにしてはいけません。
その選択をしてしまえば、「復讐」のために動くことになり、やろうとしていることが「ギンガマン」のブルブラック辺りと同様の選択です。


とにかく「丈瑠たち4人が果たしてどんな外道行為をしようとしたのか?」の部分がどうにも引っかかったので、今回の話は正直受け入れられませんでした
いくら小林女史といえどやっていいこととやってはいけないことはあるわけで、ことさらそういうことには敏感な脚本家だと思っていたのですけどね。
しかもそれだけやって、十臓まで再登場させておきながら、それを源太のギャグ成分で上書きというのは最悪な印象しか残りません。
なんというか、物凄く苦味のある料理を食わされた後にいきなり胃に重たいデザートが来た感じで、明らかに食い合わせが悪いです。


そもそも「4人が外道に走っていいのか?」というのは十臓のキャラも含めて、終盤への伏線とするつもりだったのでしょう。
しかし、そのためにことは以外の4人をあっさり闇落ちさせようとするというのはどうにも葛藤として微妙です。
また、ギャグで上書きすることに関しても、本作はそもそもギャグで上書きして「はいそうですか」で済む世界の話じゃないんですよ。
ギャグを入れるのは構いませんけど、本筋を大きく阻害してしまうようなギャグは本作の世界観では控えるべきだったかと。
せめて「カーレンジャー」「ゴーオンジャー」のような世界観だったらわかるのですけどね。


源太関連と合わせて、どうにも2クール目はできの悪いエピソーが続いており、ややグダグダ気味。
評価としてはF(駄作)であり、流石に小林女史だからと言って今回の失態を見逃すわけには参りません。


第二十一幕「親子熊」


脚本:小林靖子/演出:加藤弘之


<あらすじ>
源太は烏賊折神を盗んだ「仮面ライダー」と名乗る男・門矢司を探していた。その一方で街に現れたナナシと応戦していたシンケンジャーはアヤカシの姿が見えないため、周辺の調査を行う。爺は腰痛を治すために丈瑠の勧めで病院へ行き、千明と茉子はファミレスデートに洒落込む。するとそこに何やら軽いノリの中年男性が顔を出したのだが、なんとその男は千明の父親だった。


<感想>
十五幕以来となる千明メイン回ですが、ここでようやく千明のバックボーンである家庭事情が掘り下げられ、どうして千明があのように育ったのかを描いています。
第二幕で流ノ介から「いい加減な親らしいな」と言われ千明は「当たってるだけに腹立つんですけど!」と返すのですが、その伏線回収に応える見事な内容です。
お話としては特別なひねりがあるというわけではないのですが、初めて直に絡むことになる茉子姐さんとの関係性も補強しつつ、いい内容に仕上がっていました。


こうしてみると、あの弱っている男をぎゅっと抱きしめるダメンズウォーカーみたいなことをしなければ、茉子って凄く優しいお姐さんなのだとわかります。
単に甘え下手なだけで、普通に距離感を取って話す分にはいい人だとわかり、そんな姐さんがことはとは違う意味で話しやすいのが千明ではないでしょうか。
ことはとはまあ「女の友情」みたいなものだとして、丈瑠や流ノ介とは基本侍としての使命以外であんまり話さないし(話すとアダルティな会話になる)、源太は陽気すぎてうざいし。
その点千明ってある意味一番人間としてもヒーローとしてもバランスが取れているというか、ウザすぎず空気すぎず、フラットにみんなと対応できるいい子なんですよね。


で、そんな千明の父親ですが…あー、うん、こりゃ確かに「いい加減な親」だわなと。ノリがいわゆる「ウェーイ」系のパリピで、こんなのが父親とか私なら絶対嫌です。
年甲斐もなくあんなに馴れ馴れしい感じで絡んでくる中年のおっさんとか絶対にこれ世間から浮くパターンじゃないですか。
しかも千明の迷惑とかを考えず勝手に相席しちゃうし…明るいのはいいんですけど、馴れ馴れしくて非常識なのは私は好きじゃありません。
そんな千明の父が今回どうして千明をああいう風に育てたのか、改めて茉子に語る場面があったのですが、この語りの演技がなかなか見ものです。

 


「いやあ、私……本当侍らしいこと教えてこなかったから。早くに亡くなった千明の母親がね、「とにかく明るい子に」って…名前も「千の明かり」で千明ってつけて…だから、武術っていうことより、なんかそういうことをね」


ここできちんと千明の父親があんな風に明るく、悪く言えばパリピっぽく千明を育ててきたのは「侍」であることより「人間」であることを優先させた結果だったのだなと。
千明から見ればいい加減に見えたとしても(まあ流石に昼間からあんな格好で街中ぶらつくのはどうかと思いますが)、内心はとても我が子思いのいい親ではあります。
少なくとも昨今で言われている「毒親」ではないし、千明が改めて自尊心の強い子として育てられたのはよかったんじゃないでしょうか。
序盤の段階では千明のそうした面って「侍には不要」なんて思わせ厳しくしつつ、しかしこの段階に来ると「それがむしろいい面もある」とバランスを取って来ました。


また、この父親の台詞によって、本作における「ヒーロー性」と「人間性」が反比例である、というのが改めて示されたと思います。
それは主人公の丈瑠を見ればわかると思うのですが、丈瑠は侍として圧倒的な「ヒーロー性」を強く持ちながらも、それとは反対に「人間性」はないがしろにして来た(そう育てられ来た)のです。
侍たるものとにかく厳しくあれ、弱音など吐いてはならない…確かに侍としてはそれで正しいけれど、人としてはどうなのでしょうか
同じようなことは流ノ介とことはにも言えて、流ノ介とことはも侍としての使命にはまっすぐな反面人間性という部分でかなり偏った育ち方をしたようです。
その点最も謎だったのが茉子なのですが、彼女は3クール目に解き明かされますので楽しみに…だからこのエピソードで実は千明が一番順当に成長しています。


そしてまた、そんな千明も千明で父親の剣術の凄さを見て、考えを改めるというところもよかったです。

 


「姐さん。強くなると、もっと強いのが見えるんだな。親父の剣、ずっと見てたのにさ、強さはわかってなかった」


ここで千明の言う「強さ」とは単純な剣術の技量や戦闘力のことではなく、もっと内面も含めた意味での総合的な「強さ」ということであり、千明のステージがまた1つ上がりました。
第三幕では丈瑠という目標を定め、第十幕では自分の中の「モヂカラ」とは何かを知って確立し、そして今回の話では父親の凄さを知って自分が目指すべき強さの道が見えています。
そこでEDの走る映像に合わせて他の侍たちがいるのはいいんですけど、個人的にどうも納得がいかないのはやっぱり源太…うーん、天才だから仕方ないとはいえ、千明の格上なのはどうなんでしょう?
今の所「丈瑠の幼馴染」「開発と居合術の天才」という便利キャラ以上の魅力が出てこないので、どうしても異物感が激しいのは否めず、改めてきちんと文芸面から源太の弱さを掘り下げて欲しいです。


そしてそんな千明の順当な成長を丈瑠と茉子もしっかり評価しており、また茉子にとってもそんな千明と父親の温かい関係性に憧れを持ったんじゃないでしょうか。
茉子は「お嫁さん」になるという夢を持っていますが、実はまだ内面らしい内面がこれといって描かれていませんから、素直に自分を出していける千明が羨ましいのかも。
惜しむらくはこの会話がファミレスの中というプライベート感のまるでないところで行われていること、そしてディケイドという横道まで挟んでしまっていることかなと。
加藤監督の演出もあるのでしょうが、どうしても中澤監督や諸田監督らに比べるとまだ演出が上手とはいえませんしね。


アクションや外道衆のやること自体には可もなく不可もなしといったところですが千明と茉子を使ってのサブエピソードとしてはよかったので評価はB(良作)でしょう。


第二十二幕「殿執事」


脚本:小林靖子/演出:加藤弘之


<あらすじ>
源太は常連客である松宮と名乗る男からある頼みごとをお願いされる。その頼みごととは屋敷に居た丈瑠とことはに松宮の婚約者と執事になってもらうことであった。侍の使命とは全く関係ない源太の依頼に2人は呆れつつも対応することになるのだが、最初は作戦だったはずの御曹司・松宮は作戦を遂行していく中でことはに惚れ込んでしまい…。


<感想>
前回が千明メイン回だったので今回はことはメイン回…というよりも丈瑠とことはの回
この2人に関しては第二幕で少しだけ関係性が示されましたが、今回改めて一対一でのやり取りで2人の関係性を浮き彫りにしてくれました
とてもよかったのがことはの苦悩・葛藤をきちんと丈瑠が受け止めていたことであり、徐々に柔らかさを見せるようになっていた丈瑠もきちんとことはの凄さを見込んでいます。
しかし、その上でどうしても引っかかっていたのがことはの自己肯定感の低さ…そこを丈瑠はなんとか払拭させて、前に進ませたかったのでしょう。


特によかったのが執事になったときの2人の会話ですが、役割とはいえ逆に丈瑠に跪かれるのが申し訳ないと思ったところでのこのやり取りです。

 


「あのなあ…あんまり俺を絶対だと思うな」
「え?」
「俺が居ても、お前はお前の立ち位置を持ってろ、自分の中に。あの流ノ介だってそうしてる。わかるか?」
「うち、あんまり……」
「そうか」
「だって、殿様は殿様やし」


ここで改めて丈瑠の方からことはの欠点である「家臣であること=丈瑠への依存」が指摘され、同じように忠義心の厚い流ノ介との違いが示されました。
流ノ介の忠義心に関しては第七幕→第十幕でかなりの段階まで消化されていますから、もはや自分への迷いがなくなりつつあるんですよね。
それに対して、未だに自分への迷いやコンプレックスが消えないことは…そこでこの助言ですから、これは相当に大きいでしょう。
とてもいい感じの流れに見えて、その後作戦とはいえことはは丈瑠に平手打ちをかますことになってしまいます。


丈瑠はもちろんこれが作戦であることを理解した上で、「よくやった」と褒めて頭を撫でるのですが、うん、天堂竜に欠けているのはこういうところだ
侍として厳しく躾けられすぎた丈瑠ですが、同じように完璧超人である(そうあろうとする)竜との違いはここにあるのかなと思います。
丈瑠は竜と違って「公私を混同するな」とか「お前は女だから」とかそういう性差別的なことや人の神経を逆撫ですることはしないんですよね。
陰性こそ強いですけど、侍としての戦い以外であんまり口を挟みませんから、稽古さえ真面目にやって結果を出してくれればそれでいいのでしょう。


そして、御曹司の松宮ですけど、うーん、演じてる役者に華が無さすぎて本当に御曹司なのかどうかが微妙なとこです。
ルックスそのものは悪くないんですけど、本作のシンケンメンズのビジュアルがレベル高すぎるせいで、全然イケメンじゃないのがキツい。
まあシンケンメンズに太刀打ちできるレベルのイケメンなんて、それこそ水嶋ヒロとか佐藤健とか、あるいは嵐の松本潤とか小栗旬とかじゃないと無理ですね。
それくらい本作の男性陣はビジュアルのレベルが歴代でも高いので、どうしてもやっぱり松宮とことはより丈瑠とことはのが全然絵になります。


それから丈瑠があんまり女っ気が無さすぎるせいで、ことはの忠義心や2人の関係性があんまり色っぽくならなかったのも逆によかったところです。
あくまでも2人は「殿と家臣」であって「友達」「恋人」ではありませんから、その辺りの線引きがきちんとなされていたのもいいところでしょう。
話としては「侍の使命は全然関係ない」のと、後この年に流行っていた「殿執事」という作品のパロディを本作でもやって見た感じでしょうか。
内容としてはほどほどにまとまっており、評価そのものは悪くはなくB(良作)といったところです。


第二十三幕「暴走外道衆」


脚本:小林靖子/演出:渡辺勝也


<あらすじ>
真夏のお盆の時期には、三途の川の流れが活発化し、ドウコクもまた自分でも抑え切れないほどパワーを増大させた影響で身動きが取れなくなる。彦馬爺はそうした時期への対策として、電子モヂカラによる開発能力を持つ源太の腕を見込み、志波家ゆかりの寺に大事に保管されていた印籠を完成させようと目論む。先代の供養も兼ねて、5人は寺に向かうのだが、そこには思わぬ外道衆の襲撃が待ち構えていた。


<感想>
ここから二十六幕までは中盤の山ともいえる「インロウマル編」であり、具体的には今回と次回、そして二十五幕と二十六幕の二部構成ずつとなっています。
2クール目の終わりと同時に3クール目への繋ぎとする構成は「ギンガマン」の第二十二章〜第二十六章の繋がりと似ていますが、結論からいえばあっちほど上手くないなあということですね。
まず結論からいうと、どうしてもこのインロウマル登場編が劇的なものになり得なかったというのが大きく、二十五幕と二十六幕が上手くまとまっているために余計にそう感じてしまいます。


さて、今回が初登場となるインロウマルの設定ですが、これはもちろん「水戸黄門」に出てくる印籠のオマージュであり、それに合わせて今回は水戸黄門シリーズのキャストが何名か出演しているのです。
具体的には天幻寺の浄寛を演じる高橋元太郎氏は伊吹吾郎氏が格さんを務めていたシリーズで「うっかり八兵衛」を演じていた方ですし、初代シンケンレッドの志葉烈堂役の合田雅吏氏も水戸黄門で格さんを演じています。
また、これは余談ですが「ギンガマン」でギンガブルー・ゴウキを演じた照英氏も水戸黄門に出ており、後に松坂桃李氏も大河ドラマに出演しますから、その意味でも本当に時代劇マニアにはたまらない回です。
お寺の雰囲気や演出などもしっかりお盆の時期という季節に考慮しながら綺麗な画となっていて、とても雰囲気が出ており、そういう情景だけでも楽しむことができます。


で、そのインロウマルを今回源太に完成させようというのですが、どうして源太なのかというと先代の人たちのモヂカラが足りなさすぎて完成させる前に力尽きてしまったからでした。
そこで、電子モヂカラによる開発能力に長けた天才である源太に任せようということになったのですが、ようやくここで源太の「開発の天才」というチートじみた設定が物語に活かされています。
今までは正直「ズルいなあ」と思っていたのですが、ここで「インロウマルを完成させるため」という大きな力のために源太を当てがう設定によって、上手く源太が物語に収まりました。
後はこれで源太が「真の侍」になるまでの描写さえきちんとしてくれれば文句はないので、それを後半に期待するとしましょうか。


その源太は今回またもや十像と絡むことになるのですが、源太はあくまで「寿司屋」という設定にしたことで、はぐれ外道の十臓と自由に絡めるようにしてあるのがいいところです。
これが外道衆だったらそうはいかないのですが、「はぐれ」外道であるがゆえに外道衆とは違い無意味な殺生は行わないから源太の寿司を食っても違和感がありません
むしろ、源太の極端なまでの江戸っ子キャラが十臓のシリアスなキャラと上手く打ち消しあっていて、圧倒的な陰に圧倒的な陽をぶつけてフラットにしたのはよかったです。
その後丈瑠は敵が仕掛けた毒にかかって倒れてしまい、十臓に連れ去られてしまうという見事なまでのヒロイン力を見せてしまうのですが、これはどうしたことでしょうか?


思えば小林女史がメインライターを務める作品って、なぜだか女性陣よりも男性陣の方がヒロイン力高いんですよね…本作では丈瑠が主人公でありながら一番ヒロイン力高いですし。
ちなみにヒーロー力が一番高いのは今の所源太なのですが、源太はいわゆる「一般的なヒーロー」であって「侍」とは違うので、どうかそこら辺はしっかりしてほしいなと。
そして家臣たち4人もそれぞれに骨のシタリや薄皮太夫も本格的に出撃してあっという間にシンケンジャーを追い詰め、源太がいなかったら完全に全滅寸前という危ない状態に。
十臓は珍しく源太の「普通」といわれる寿司を気に入り、そのまま倒れた丈瑠を掴んでいずこかへと去ってしまい、果たしてシンケンジャーはどうなるのか!?


今回はインロウマル前編でしたが、キャスティングから演出、さらには敵組織の大暴れに味方のピンチ、丈瑠と十臓と源太の奇妙な関係など小ネタが盛り沢山です。
かつてないほどにしっかりシンケンジャーを追い詰めており、ボルテージも高まっているので評価はS(傑作)、文句なしに面白かった。


第二十四幕「真侍合体」


脚本:小林靖子/演出:渡辺勝也


<あらすじ>
ゴズナグモ達の想定外の襲撃を受け、丈瑠は毒で倒れてしまい十臓に連れ去られ、流ノ介たちも負傷で満身創痍となってしまう。印籠は無事にシンケンジャーの手に渡り、源太が必死に完成させることになる。一方、傷ついた流ノ介たちもまた力になれなかったことを悔やむが、勢いを増す外道衆の襲撃と源太の頑張りを見て考えを改めるのだった。


<感想>
インロウマル編の後半戦ですが、結論からいうと微妙に盛り上がりませんでした。
理由は色々あるのですが、一番の理由はやっぱり源太1人が天才で勝手に完成させてしまったからであり、実質「源太がチートだから乗り切りました」と言っているようなものです。
まあチートなのは別にいいんですけど、携帯電話で文字入力の繰り返しというのが絵面としてあまりにも地味すぎて全然カッコよくありません
源太は以前にも述べたようにメガシルバー・早川裕作の系譜ですが、これならまだインロウマル開発のプロセスを見せない方が良かったと思います。


個人的にこういう強化形態のパワーアップと幹部退場を兼ねてやる総力戦となると一番好きなのはやはり「ギンガマン」の中盤なのですが、それとの比較抜きでも純粋につまらなかったです。
せめてシンケンジャーが本当に壊滅寸前でどうしようもないという状況まで追い詰める、或いはアヤカシは倒せたけど幹部連中はスーパーシンケンジャーでなければ対応できないとした方が納得できました。
今回パワーバランスとして不味かったのは普通の武装でも倒せるはずのアヤカシをインロウマルを使ってレッドが倒してしまい、更にロボットのパワーアップまで描いてしまったことです。
そもそもアヤカシ自体があんまり面白味がないキャラが多いのですが、今回のアヤカシはいかにもスーパーシンケンジャーの引き立て役にされてしまった印象は否めません。


また、序盤からそうでしたが、本作はどうも玩具販促と物語とのリンクがうまく行っておらず、インロウマル登場も結局単なるパワーアップアイテム以上の意味がありませんでした。
これを例えば先代のシンケンジャーの過去と絡めて「ご先祖様から継承してきたもの」として意味付けし、現代のシンケンジャーと先代のシンケンジャーを繋ぐ象徴して描いても良かったでしょう。
そうすれば、単なるパワーアップだけではなく、丈瑠たちシンケンジャーが背負ってる侍の使命の重みもより際立ちますし、パワーアップアイテムとしての存在感がより増すはずです。
それからこれはスーパーシンケンジャーに限りませんが、アバレマックス然りアクセルテクター然りキョウリュウレッドカーニバル然り、レッド一強のパワーアップというのはどうなのでしょうか?


もちろん本作は「殿と家臣」という特殊な主従関係なので丈瑠は第一に立てなければいけないし、後の回では丈瑠以外も使い回し可能なのでいいんですが、1人しかパワーアップできないのは微妙です。
羽衣風のデザインは好きですし、強さの描写は圧倒的な感じがあって良かったのですが…あと「スーパーシンケンレッド」なんて横文字使って欲しくなかったなあと。
本作は「和風」で統一している割には中途半端にカタカナ文字を使っているので、どうせやるなら全部英語で統一して欲しかったところです。
まあそれをいうならば「シンケンアカ」「シンケンアオ」「シンケンモモ」「シンケンミドリ」「シンケンキ」「シンケンキン」になってしまうんですけどね。


良かった点を褒めると、改めて丈瑠と十臓の因縁を強化したところであり、この2人に関してはまあ掘り下げがうまく行ったというところでしょうか。

 


「もう1つだけ聞いておく。なぜ俺なんだ?強さだけなら他に幾らでもいる」
「確かに。ただ、おまえもどこか歪だからかもしれないな」


ここで第二十六幕、そして終盤に向けた丈瑠と十臓の因縁を掘り下げて、十臓と丈瑠が一見正反対のようで実は似ているのかもしれないことをきちんと打ち出しています。
その意味はまだここではわかりませんが、ここで丈瑠に「殿」以外のもう1つの「私」の側面を強調しておくことで、個人の因縁も強化して物語に幅が出ているのです。
ということで、全体的なまとまりとしては、前回あれだけ盛り上げた割にはかなり強引にまとめすぎて消化不良を起こしてしまっているというのが正直な感想。
何より源太の開発能力が天才的なので乗り切りましたというのも、そして「スーパーシンケンレッド」というネーミングセンスも微妙です。


あと、真侍合体までごちゃごちゃ詰めすぎてて、全体的にどこをピックアップして見せたいのかがわからず、評価はE(不作)という微妙な結果に。
どうせなら無理して新ロボ登場まで見せず、アヤカシを普通にやっつける&インロウマル開発に専念、スーパーシンケンジャー登場と真侍合体は次に持ち越しでも良かったはずです。
2クール目の終わりということで、次回以降が3クール目となりますが、どうにも2クール目は全体的にグダグダ気味でいまいち全体のまとまりがよくなかったと思います。

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

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