『侍戦隊シンケンジャー』(2009)7〜12話感想まとめ

 

第七幕「舵木一本釣」

第八幕「花嫁神隠」

第九幕「虎反抗期」

第十幕「大天空合体」

第十一幕「三巴大騒動」

第十二幕「史上初超侍合体」

 


第七幕「舵木一本釣」


脚本:小林靖子/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
先代との戦いでなくなっていたと思われた舵木折神が発見され、丈瑠は流ノ介に捕まえてくるよう命じる。しばらく海で暮らしているうちに野生化していた舵木折神はゲットするのが困難な状態だったが、そこに運が悪いことに外道衆が次の作戦を仕掛けてくる。捕獲に難航する流ノ介だったが、そこで出会ったのは何と意外な秘密を隠し持った人物だった…。


<感想>
前回に続き今回もやや箸休めのようなエピソードですが、今回のポイントは実質「流ノ介の覚悟」が改めてきちんと描かれたというところにあります。
これまで何かと空回り気味だった流ノ介ですが、ようやくこのエピソードで「二番手」としてのポジションを改めて確立することができたのではないでしょうか。
エピソードとしては正直そんなに中身がある回ではないのですけど、改めて流ノ介が語ってみせた次の言葉がすごく印象的だったのです。

 


「あの殿なら命を預けて一緒に戦える。そう決めたのは自分です、親じゃない!その戦いがどんな結果でも虚しさなんて残るはずがない!絶対に無いです!」


今回のテーマを象徴するのはもうこの言葉であり、流ノ介が単なる「ネタキャラ」ではなく「殿の家臣の象徴」として、真正面からその覚悟が描かれました。
流ノ介に関しては相葉弘樹氏の演技力の高さもあって最初から非常に存在感があったのですが、その使われ方はどうにもギャグ方面というかコメディリリーフとしての描かれ方が強かったのです。
もちろんそれはそれで悪くないのですが、一方で流ノ介がこのままギャグとしてのみ描かれ続けると「真面目さをバカにしている」と取られかねませんし、流ノ介のキャラ自体も毀損してしまいます。
現に流ノ介とは違いますがそうなったキャラクターの1人として「ドラゴンボール」のベジータがありますし、汚れ役をこなせる2枚目半は便利な反面、匙加減を誤ると単なる都合のいい便利道具に成り下がるものです。
そうさせないためにも、流ノ介の殿に対する時代錯誤とも取れる暴走気味の忠義心を「ネタ」ではなく物語として真面目にきちんと描く必要があり、まさにこのタイミングでそれが実現しました。


実は流ノ介の時代錯誤とも言える固い忠義心は第一幕から示されており、世襲制な歌舞伎の家柄で育ったこともあって、すごく浮世離れしている印象が強かったのです。
しかし、実は第一話の段階から本作がメインテーマとしている「殿と家臣の主従関係」の中で「殿への忠義心」を律儀に体現していたのは流ノ介だけでした。
ここで改めて第一幕で、殿が「ただし、家臣とか忠義とか、そんなことで選ぶなよ?覚悟で決めろ」と言われた時の各自のリアクションを振り返ってみましょう。

 


「殿!ここに来た以上、覚悟はできています。戦わせてください、殿と共に!」
「…ま、子供の頃からそのつもりでいたし…」
「一生懸命頑張ります!」
「はあ、大袈裟なんだって。さっさと終わらせればいい話だろ…なあ、殿様?」


そう、実はこの時点で斜に構えた茉子と千明、そして真正面から受け止めている流ノ介とことはの違いが伺えるのですが、この時真っ先に迷いなく返事したのは流ノ介だけでした。
茉子はどこか「家臣である自分」を受け入れたくない感じも伺えますし、千明に至っては殿様を舐めてましたしね…ことはは覚悟こそできていてもまだマインドのステージが低いのです。
だから、実戦経験がまだ不足している4人の中で誰が一番心構えができていたかというと、実は時代錯誤な振る舞いをしていた流ノ介でした。
ただし、その流ノ介もこの段階では「親からそう教え込まれていたから」そう言った感じが強く、まだ実戦の厳しさというか理想と現実のギャップに気づいていません


だからこそ第二幕で「侍としての覚悟、ようやく身に沁みました!」と言ったわけですし、その後もなんだかんだ言いながらきちんと真面目に戦い続けていたのです。
ただし、前回の「マザコン」「ファザコン」発言で傷ついていたように、流ノ介は心のどこかで親を当てにしていたというか「親の七光り」だったのではないかという疑問もないわけではありません。
そこを克服して自分の意思で家臣であること、そしてシンケンブルー・池波流ノ介であることを選べるかどうかが今回一緒に釣りをした元黒子の人とのやり取りで試されたことです。
そしてまたね、そんな流ノ介に対する殿の言葉が優しいというか、初めてここで丈瑠が流ノ介に対して信頼の言葉を向けるのですよ。

 


「いいか、俺は適当にお前を選んで行かせたんじゃない。お前なら出来ると思ったからだ」


もちろんこれは皆まで語っているわけではありませんが、決してうわべだけの言葉ではなく、丈瑠が家臣たちの中で最も信頼できるNo.2が流ノ介だと示されています。
単なるビジネスパートナーのようなものではなく、これまでの戦い方や稽古への取り組みなどを総合的に高く評価してここに至っているのではないでしょうか。
多少それが空回りに映ったとしても、流ノ介はあくまで「家臣」であることを誰よりも理解し、言葉と行動を一致させて高いレベルで貫いているからこそ殿の二番手となり得たのです。
茉子はまだ手探りの部分があってまだ信頼できない感じがありますし、千明はまだ反抗的な部分が強く、芯が強いことはもまだ舌足らずで色々追いついていない感があります。
そういう諸々を総合的に評価した上でのことなので、ようやくここで流ノ介がしっかり殿を支えられる存在として立った感じがあり、ここから流ノ介は紆余曲折ありつつも大化けしていくのです。


ただし、ドラマとして面白かったのはそこまでであり、やっぱりアクションやアヤカシに関しては今ひとつ面白みがないまま終わってしまった印象が否めません。
アヤカシが毒で戦闘不能にするのはいいとしても、水であっさりデバフしてしまうのは安易な流れですし、後ロボアクションが冠として頭に被るって雑じゃないですか?
第一、アヤカシの能力と設定自体がいかにも舵木折神の販促用に作られた感じで、第五幕と同じ「玩具販促の引き立て役」にされてしまった感じです。
というか、そもそも外道衆自体やってることが「人間を泣かせる」か、それができなければ破壊行為ということしかやってないので、バリエーションに欠けます。


そのため総合評価としてはどう高く見積もったとしてもB(良作)以上の評価にはなりえず、玩具販促やアクションとドラマがやや分断気味なのは気になるところです。

 


第八幕「花嫁神隠」


脚本:小林靖子/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
ある教会で結婚式が行われていたが、新郎が丈瑠で新婦が茉子という珍妙な組み合わせだった。しかしそれは本物の結婚式ではなく、あくまで花嫁を攫っているという噂の外道衆をおびき出す陽動作戦である。しかしその陽動作戦は失敗に終わり、丈瑠たちの作戦は失敗に終わってしまう。その花嫁誘拐のうらで意図を引いていたのは何と外道衆の女性幹部・薄皮太夫であった…。


<感想>
えーっと…「ジェットマン」での結婚ネタに続き、この作品でも結婚話…何だか浮かれてるなあと思いつつ、この回に関しては小林女史の同人業界に対する宣戦布告としか思えません。
まあ本人はそのような同人界隈の人たちを意識して書いたことはないとのことですが、ここまで実はまともに絡んだことのない丈瑠と茉子を結婚式という形で急接近させますか普通
もうどう考えても「ほら、お前らどうせ丈瑠と茉子でカップリング小説とか妄想したいんだろ?燃料投下してやっから好きに書け」と小林女史が言っているように思えてならないのです。
作戦自体は空振りに終わってしまいましたが、当時殿と茉子を応援していたファンも少なからずいたらしく、私はそのような妄想は一切しませんが、それでも好きな人はしたでしょうね。


とはいえ、この回で最もネタになったのは花嫁姿に紛争した流ノ介であり、作戦上のこととはいえ流ノ介が女装とは…しかも茉子よりも花嫁姿が似合っているから困る(笑)
凄いです、前回めちゃくちゃかっこいいところを見せたと思った流ノ介が直後のこの回でまたもやネタキャラ化してしまい、しかもそれが嫌味なくハマってしまうとはなあ…。
まあよくいえばそれだけハイスペックだったということなのでしょうけど、これは相葉弘樹氏の持って生まれた中世的なビジュアルと細いモデル体型のお陰ですね。
多分これ、流ノ介以外の丈瑠と千明がやってもダダ滑りするだけですし、ことはは正直花嫁になるには年齢的にもビジュアル的にも幼すぎるしなあと思ったのです。
そのため、ここで茉子以外に花嫁に偽装できるのが流ノ介くらいしかいなかったとフォローしておきましょう、歌舞伎役者という設定なので女形もできるのですけどね。


今回の話は細かいポイントが2つあり、1つが薄皮太夫が初めて前線に出て来たこと、そしてもう1つが作戦のためにシンケンジャーが繰り出した「影武者」という設定。
まあ後者に関してはモロに終盤のネタバレになっていますので言及はしませんが、こんな細かいところでさりげなく伏線が張られているとは思いもしませんでしたよ。
そしてもう1つのポイントである薄皮太夫…そういえば、これまで薄皮太夫が三味線弾いてるだけのドウコクの愛人という印象が強かったのですが、今回初めて前線に出ました。
まあシェリンダやリラの系譜なのですが、実力はかなり強い方で、2人がかりで戦ったブルー・流ノ介とピンク・茉子を単体で圧倒していたのです。


しかも女性だからもっとテクニカルに頭脳を使って戦うのかと思えば、意外にも肉弾戦で戦っていて、こんなに直線的な戦い方をするキャラとは思えませんでした。
この後、薄皮太夫は後半〜終盤にかけて茉子の因縁の相手となっていくのですが、この回はそのための布石だと思っておくことにしましょう。
ただ、アイデア的な面白みはあったものの話の内容としてはまあ普通であり、高く評価してもC(佳作)というところです。


第九幕「虎反抗期」


脚本:小林靖子/演出:渡辺勝也


<あらすじ>
稽古を始めた丈瑠と流ノ介。腕は五分五分であり、技術はむしろ流ノ介の方が上との声もある。一方外道衆の方では腑破十蔵と名乗る男が現れ、ドウコクから了承を得て丈瑠を狙うことに決めた。一方、妖術で虎折神を洗脳して操っていたアヤカシが現れ、流ノ介を洗脳してしまう。流ノ介は茉子、ことは、千明を倒し、丈瑠との一騎打ちとなるが…。


<感想>
今回の話は七幕の舵木に続き、またもや流ノ介のメイン回。こんなにも序盤で出番を貰ってる流ノ介、やっぱり美味しいなあ(笑)
そろそろことはと千明、茉子の3人にも出番が欲しいところですが、まあ流ノ介は何かと便利すぎるから仕方ないというところでしょうか。
今まで直接的に描かれてこなかった「丈瑠と流ノ介、どっちが強いの?」という当然の疑問に答えるように作られており、しかもありがちな「洗脳」ネタをここでやってしまうという。
本作は立ち上がりこそやや遅めの感じでしたが、そのあとはいろんなキャラのメイン回をコンビ形式で出すことにってしっかりと立てていってて、今のところ順調です。


今回浮き彫りになったのは「シンケンジャーは丈瑠さえいれば本当に大丈夫なのか?」というところであり、実はここ数話丈瑠だけでは厳しい状況が続いています。
六幕ではことはがMっ気あったからなんとか乗り切ったようなものですし、七幕は流ノ介が舵木捕まえないと解決しませんでしたし、八幕は茉子と流ノ介がなんとかしました。
それを受けて今回は丈瑠が家臣の中で最も信頼を置いていた流ノ介が敵に回ったことで「流ノ介の強さ」を逆説的に示しているところに説得力があるのです。
特に洗脳されたブルーがレッド以外の3人を倒すところなんて「ギンガマン」の第二十四章でリョウマが洗脳されて暴れた時以来のトラウマを感じました。


リョウマの時はまだハヤテとゴウキが近い実力を持っていたので止められましたが、流ノ介の場合なまじ止められるのが丈瑠しかいません。
逆にいえば、これで剣術の序列もはっきりしたといえ、やはり丈瑠>流ノ介>(超えられない壁)>茉子>ことは>>千明となったのです…頑張れ千明!
とまあ冗談はさておき、本作の厳しいところは「1人がダメでもみんなで頑張れば何とかなる」が通用しないところにあります。
基本的に個人の実力で流ノ介と互角かそれ以上の相手でなければ決して倒すことはできず、個人の力量や資質があった上でのチームワークなのです。


そしてまた、流ノ介と丈瑠の違いが「教科書通りか実戦向きか」というところでしっかり分けてきたのも良かったと思います。
だから同じ「努力の天才」でも、流ノ介は基本的に型通りに教わったこと以上のことはできてない、いわゆる秀才タイプなのでしょう。
それに対して丈瑠は実戦の中で常に体力配分や地形の有利不利を総合的に判断して活用し、五感をフルに駆使して戦っています。
そういえば、流ノ介って実戦で想定外が起こったら意外と弱いというかあたふたするところがありましたから、「教科書通り」というのは間違いありません。
まあだからこそ、殿への忠義心も歌舞伎も全部「親から教わったもの」だったわけですよね…流ノ介の課題はそこから身を離して教科書通りの戦いを実戦向けに昇華することです。


また、細かいポイントですが、千明が「何考えてんだよ丈瑠の奴?いつまでも殿様の顔崩さねえから、こういう時100パー信じらんねえじゃねえか!」いうのも成長が伺えます。
色々すったもんだあったとはいえ、千明自身も精神面で着実に成長していることが垣間見ますし、同時にこれは茉子とことはが思っていることの代弁でもあるでしょう。
千明もなんだかんだ美味しいポジションやセリフをもらえていて、あとはそこに「千明自身の剣術」というものがきちんと追いついてくれば、文句ありません。
しかもここで十臓が違和感なくさらっと偵察に現れて解説することで、シンケンジャー以外の余所者から2人の剣術の凄さをきちんと補強されているのもいいところです。


結果的には流ノ介が丈瑠のかませ犬扱いされてしまいましたが、まあ強くなければかませ犬は務まりませんし、このあと流ノ介がさらなる成長を見せると思うとこの扱いが妥当なところでしょう。
また、この時に虎も洗脳から解放されるのですが、ロボアクションに関しては正直今ひとつ綺麗につながっておらず、また頭に被ってのアクションがカッコよく見えません。
そして最大の見所はラストシーン、「私が癒してあげる」オーラを嬉々として出すうざい茉子を袖にし、流ノ介は丈瑠に謝罪をしますが、この時の丈瑠の対応が素晴らしいのです。

 


「流ノ介。あれだけのモヂカラを打ち込んだら、お前は死ぬかもしれなかったんだ。俺はお前の命を勝手に賭けた……ごめん」


ここで流ノ介だけではなく茉子、ことは、千明の全員が驚くのですが、おそらく丈瑠が謝罪したことではなく「ごめん」という言葉に反応したのだと思います。
普通に殿様として謝るなら「すまなかった」「すまない」といえばいいものを「ごめん」という砕けた言い方にすることで、「殿」ではなく「丈瑠」として気持ちを込めて言っているのです。
まあ丈瑠かあらしたら、そろそろ流ノ介があまり構ってこないようにこっちから歩み寄ったところも見せておこうということでしょうが、それを踏まえてもいい言葉でした。
これまでどちらかといえば一方的だった流ノ介→丈瑠の関係性が今回の勝負とラストの丈瑠からの「ごめん」によって双方向性のあるものになって良かったです。
評価はA(名作)、まだ玩具販促との兼ね合いはうまく取れていませんが、今後改善してくれることを期待しています。


第十幕「大天空合体」


脚本:小林靖子/演出:渡辺勝也


<あらすじ>
3枚の秘伝ディスクを手に入れたシンケンジャーは大天空へと合体させるが、合体させるには一定以上のモヂカラを持つメンバーが3人必要であった。そのメンバーに自分が選ばれなかったことを悔しがる千明は行き詰まっていたが、丈瑠の粋な計らいで爺と個別に訓練することになる。一方その頃、外道衆が人を絶望させる雨を降らせており、千明はさらなる成長のため自分なりの「モヂカラ」について考えるが…。


<感想>
さて、やっと来ました、第三幕以来の千明メイン回(ことはとのコンビも含めれば第六幕も含む)ですが、この回は文句なしにドラマと玩具販促の双方がまとまっていました。
千明単品というよりは彦馬爺との絡みによって相乗効果で引き立つ感じでしたが、改めてここまで千明の成長をクローズアップしてくれたのは大きいのではないでしょうか。
まず彦馬爺が丈瑠にそっと「千明の場合はどうすればいいのか?」を相談するところが面白く、丈瑠も「そろそろ次の段階へ進ませろ」というニュアンスのことをいうのがいいですね。
丈瑠は見てないようでメンバーのことをしっかり見ていて、千明がきちんと稽古を頑張っていることも、そして上昇意欲が強いことも認めた上での発言でしょう。


特に良かったのが大木のところでの爺との交流であり、殿だけではなく家臣たちと彦馬爺の横の関係をしっかり作っているところも見事です。
その中で改めて、彦馬爺が千明に向けたアドバイスがこれまた秀逸なものでした。

 


「文字の力とは文字が持つ意味そのものだ。使う者が意味を理解し、強く思うことで力を持つ。お前のモジカラは殿の「火」や流ノ介の「水」とは違う。当然、茉子やことはとも違う、お前だけの文字だ…お前の中にある、お前の木を見つけよ」


今回の話はいわゆる「イメージトレーニング」、昨今でいう「マインドフルネス」のようなものであり、あくまで「千明にとってのモヂカラ」とは何か?を問うものでした。
ただがむしゃらに稽古に励むだけでは意味がなく、使い手自身が「自分にとってのモヂカラ」をイメージし、それを具現化することで初めて真の力を発揮するという持って行き方が上手いです。
また、それを通して「モヂカラとは何か?」を改めて定義しており、ここで「漢字」の持つ特性と絡めて他の戦隊とは違う「文字の力」を絡めて来たのはとても良かったところ。
英語とは違い日本語は「文字」の言葉と言われていて、漢字の形がそのまま意味となっており、それを意識しながら美しく書くと、そこに魂が宿るというものです。


「モヂカラ」とはすなわち「言霊(ことだま)」であるともいえ、使い手が「どうしてその文字を使うのか?」まで含めて認識して、初めて物にして使い熟すことができるということでしょう。
逆にいえば、そこをクリアしてしまえばモヂカラが劣っていることに関しては解決でき、あとは剣術の技量を戦いの中で磨いていけばいいという持って行き方には納得しました。
そして、戦いの中で千明が出した答えは「広がってる自由な感じ」というかなり適当な感じでしたが、でもこの大雑把さがある意味でいうと千明らしいですね。
いい意味で「侍」っぽくないというか、他のメンバーとは違い型に囚われないところが、良くも悪くも千明らしい個性としてモヂカラとともにまとめて来ました。


のちにシンケンゴールドの源太が入って来てからはまた大きく変わっていきますが、これまで後れを取っていた千明がモヂカラでの格差がかなり埋まってきています。
ところで、このモヂカラって侍の家系にしか使えない血筋の力なのか、それとも侍の家系でなくとも鍛練すれば誰でも使えるようになるのか、どっちなんでしょうか?
どうしてもこの辺は掘り下げ不足というか、やや詰め不足の感じがあって、「ギンガマン」のアースとか「タイムレンジャー」の圧縮冷凍とかに比べるとふわっとしてるんですよね。
まあおそらくは「血筋+文字の鍛錬+思いの力」ということなんでしょうけど、この辺りは後の方で答えを出してくれることに期待です。


また、そこからさらに大天空へと広げていき、丈瑠、流ノ介、千明の3人で並び立つという構図もとても良かったところで、このトリオがまたいいんですよね。
それぞれ丈瑠と流ノ介、流ノ介と千明、丈瑠と千明といったコンビもいいのですが、3人揃った時のバランスがまたいい味を出しています。
後半になるとここに源太も加わるのですが、ここでやっと玩具販促とドラマが分断気味だったところからうまく連動してきました。
評価は文句なしのS(傑作)、ここからシンケンジャーの物語はボルテージが高まっていきます。


第十一幕「三巴大騒動」


脚本:小林靖子/演出:諸田敏


<あらすじ>
志葉家には「封印の文字」と呼ばれる文字が代々受け継がれており、それこそがドウコクを唯一封印できる手段である。しかし、圧倒的に強力なモヂカラが必要であり、先祖たちは使いこなせなかった。そのことを知った家臣たちは殿を守ろうと息巻くが、丈瑠は「その必要はない」と冷たく切り捨てる。そしてその情報を知ったアヤカシが殿との一騎打ちを申し込むが…。


<感想>
さあ来ました、第1クールの総決算にして、同時に終盤に関わってくる大きな布石がこの段階から貼られています。
思えば、この時からすでに丈瑠と家臣たちの間にはすでにズレがあるというか、完全には埋められない深い溝があったことがわかります。
ドウコクを封印できるという封印の文字は圧倒的に強力なモヂカラが必要とのことなので、やはり血筋が関係してくるようです。
また、封印の文字という手段を打ち出しておくことで、ドウコクへの対策がすでに示されているとともに、なぜ殿を家臣たちが守るべきなのかも具体化されました。


普通の戦隊ならここで一足跳びに「じゃあこれから俺たちは丈瑠を守るぜ!」「おう、お前たち!」となるのですが、丈瑠はそれをバッサリと切り捨てます
これには終盤で明らかとなるある事情が隠されているからなのですが、それだけではなくここで改めて「殿と家臣」という関係性を初期化するのです。
そう、ここがミソであり、普通の戦隊なら「仲間」として横並びにするところなのですが、本作はあくまで丈瑠を絶対的に君主として立てなければなりません
普通に仲間っぽくなってしまったら他の戦隊との違いがなくなってしまいますし、実際過去には主従関係が設定されたものの、うまくいかなかった作品がありました。


そう、「忍者戦隊カクレンジャー」「忍風戦隊ハリケンジャー」という同じ「和風ファンタジー戦隊」であり、それぞれカクレンジャーには鶴姫、ハリケンジャーには御前様という主君がいました。
しかし、この2作が主従関係を描けていたかと言われたらそんなことがなく、カクレンジャーの場合実質のリーダーはサスケであり、鶴姫と4人はあくまでも横並びの「仲間」だったのです。
そしてハリケンジャーにおいても御前様を主君として立てていたのはシュリケンジャーだけで、あとはハリケンジャーもゴウライジャーも御前様を立てていたわけではありません。
つまりこの2作はあくまで「和風ファンタジー」をもとにした普通の戦隊シリーズであって、本格的な時代劇をスーパー戦隊シリーズとして描きたいというわけじゃないのです。


これは本日から並行して感想を書いた「仮面の忍者赤影」を見ているからこそ思うのですが、小林女史が本作で擬似的に再現したいのはこのような時代がかった重くて渋い作風なのでしょう。
それを実現するためには、どれだけ物語が進んでキャラが成長して関係性に多少なりの変化があろうと、あくまで丈瑠と流ノ介たちは「殿と家臣」として一線を引かねばならないのです。
前回までである程度キャラの成長を一通り描いて関係性が出来上がったので、シンケンジャーがそろそろまとまって来そうというところで絶妙に重たいボールを放り込んで来ました。
それが後半〜終盤で描かれる三つ巴の殺陣であり、丈瑠を潰したいアヤカシ、丈瑠と斬り合いがしたい十臓、そしてそんな2人を捌きつつ志葉家当主として矢面に立つ丈瑠と利害が奇妙に重なっています。


また、十臓ははぐれ外道という「第三勢力」であり、一応は外道衆所属のようだが、利害の上で邪魔になるようであればアヤカシだろうと容赦無く敵対するという絶妙な立ち位置です。
忠義心が暴走した流ノ介とことはが真っ先に倒されてしまい、完璧に庇護の対象、すなわち「お荷物」となってしまっている茉子と千明…もうこの関係性がよくできていました。
特に千明なんてせっかくモヂカラが成長してやっとこさ丈瑠たちとともに戦えるレベルになって来たところで、またもや「丈瑠以外は役立たず」という第二幕のトラウマが再来したのです。
そしてとうとう、今回はそんな丈瑠ですらも負けてしまい、十臓は一方的に丈瑠に因縁をつけるタチの悪いストーカーとして因縁をつけられ、シンケンジャーは詰み寸前となりました。


まあ十臓が去る理由は「今はまだ丈瑠と斬り合いしたい気分じゃないから」でわかるのですが、アヤカシ側がここで「水切れ」となることで退散する理由として有効に機能しています。
さすがは小林女史、そう簡単に殿と家臣たちがヒーローになるという展開には持っていかず、そのためにここで関係性を第二幕あたりの段階まで揺り戻すとはね。
だんだんとこなれて来て、このまま仲間として一緒にやっていくという甘い展開なんて用意するわけがない、「ギンガマン」の頃からそうですが小林女史の中に「順風満帆」「平々凡々」というワードはありません
また、殿にとっても家臣たちにとっても高いハードルを突きつけて壁を示すことで、「勝って兜の緒を締めよ」といったところへ持っていっているのだと思います。


巨大戦も無理に挟まず、大胆に尺を使って余すところなく3人の斬り合いを見せる大胆な構成で、ドラマの密度がこれ以上ないほどに上がったのです。
また、封印の文字や十臓との因縁といった大事な伏線をこの段階から仕込んでおき、大枠を動かすことで一気に物語のステージが一段高くなりました。
その上で今度は「丈瑠1人でついに守りきれなくなった」という状態へ持ち込み、改めてシンケンジャー5人に揺さぶりをかけているのです。
丈瑠がいつも守ってくれるわけじゃない、丈瑠にだって守りきれない時はある…その状態でもなお家臣としてともに戦い続けられるのか?と。


第一幕から示して来た「殿と家臣」「忠義」「覚悟」「4人の家臣たちの存在意義」を問いつつ、4人が戦力としてある程度足並み揃って来たところで突き落とす構成が見事です。
もう一段階高く跳ねるには、その前に強烈なショックを与えなければならない…果たして丈瑠、流ノ介、茉子、ことは、千明…5人はどのようにしてシンケンジャーになるのでしょうか?
次回への期待も込めて、非常によくできた決戦編であり、評価はもちろんS(傑作)です。


第十二幕「史上初超侍合体」


脚本:小林靖子/演出:諸田敏


<あらすじ>
全滅は免れたものの清々しいまでの敗北を喫してしまったシンケンジャー。自分を庇って負傷した流ノ介とことはに責任を感じた丈瑠は無言で家出してしまう。彦馬爺は丈瑠が必ず戻ってくると信じ、残された家臣たちは改めて侍であること、家臣であること、シンケンジャーであることの意味を考えていた。迷った丈瑠は幼稚園児に道を聞く丈瑠、しかしそこでまたもやアヤカシとナナシ連中が襲いかかってきて…。


<感想>
さあ来ました、第1クールのクライマックスにして、侍戦隊シンケンジャーが改めて「戦隊」として成立する姿が描かれた名編が。
ドラマ的に大きなポイントは2つあって、まずはこれまで距離感を見失っていた部分があった家臣たちが一度「自分が丈瑠の立場だったら?」と考え直したところ。
そしてその4人がそれぞれの覚悟をもって殿に思いをぶつけ、丈瑠もまた自分の思いを4人にぶつけることで彼らなりの形で「殿と家臣」の関係性を構築したことです。
特に最初の方はこれまでの家臣たちには欠けていた視点ですが、逆にいえばようやく丈瑠が背負っているものの重さを4人も実感できたということでしょう。


歴代戦隊でもかなりハードな展開の「シンケンジャー」ですが、まず大事なのはこれまでの4人の家臣たちに求められていたのは「侍としての覚悟と決意を固めること」でした。
まだこの段階では4人の家臣たちの背景設定は詳細に描かれていないのですが、それはこの段階で描くべきものではなく、あくまで「真の家臣になるまでの過程」が優先されたからです。
流ノ介も茉子も千明もことはもそれぞれにスタンスや温度差はあれど、内面描写のほとんどが丈瑠に向けられたものであり、個人的事情など二の次になっています。
なぜこのような構成になっているかというと、まずは丈瑠と戦えるようにするためには、実戦の厳しさを前もって知ってもらう必要があったからです。


だから、第二幕で丈瑠が単なるいい加減な奴ではなく、圧倒的な強さをもって必死に戦っている強い志葉家当主であることをことはを中心に理解してもらいました。
そしてそこからは千明の成長、流ノ介の心の迷いと茉子の観察眼、そしてことはの健気さといった形で展開され、なんとなく5人の関係性が出来上がってきます。
しかしそれですらまだ本当の主従関係といえるものではなく、ここで横並びの「仲間」になってしまったらチームとしての結束力もなあなあになってしまうのです。
そこで前回もう一度第二幕のトラウマを再来させる形で4人に改めて丈瑠が抱えている「志葉家十八代目当主」という立場の重さが表面ではなく芯の部分で受けとめられたのでしょう。


よかったのは千明が「ペコペコされるのは気持ちいいだろうな」と言った後に「あのね!ペコペコされるってことはその人の全部預かるってことだよ!」と茉子が激怒したことです。
茉子ってこれまで流ノ介に甲斐甲斐しくした時以外で感情を露わにすることなく、基本的に中立の立場で後ろから見守るお姐さんという立場だったじゃないですか。
そんな彼女がここでようやく自分の想像力が及んでいなかったことに気づき、丈瑠の心情を察して悶々とし、それを千明が思わぬ失言で藪蛇突いた形です。
千明も別に怒らせようと思って言ったんじゃなく、沈みすぎている場をなんとか和ませようと彼なりに気を遣い、そのあとに改めて丈瑠の背負ったものを理解します。
ぶっちゃけ「それダメンズウォーカーですよね?」と思っていた茉子のやや屈折した優しさ、洞察力がようやく最良の形で発揮されました。


それを受けて彦馬爺も考え直し、改めて外道衆が出現した時に4人に初めて心情を明かしました。

 


「それから、これだけは言っておこう。殿は最後までお前達を集める事に反対しておられた。戦いに巻き込むまいと1人で戦っておられた」


そう、第一幕でやっていたあのやり取りがここで生きてきて、家臣たちはようやく丈瑠が単に強く厳しいだけではなく、その裏に優しさを抱えた人なのだと話すのです。
もちろんやろうと思えば彦馬爺も第二幕あたりで話してもよかったでしょうが、ここまでそれをしなかったのはまだ信頼関係ができていなかったからでしょう。
それに4人の家臣たちがまだ覚悟もできておらず実力も及んでいない段階で話しても、かえって逆効果になってチームが崩壊すると思ったからです。
だからこそ、たとえ「殿を贔屓しすぎ」「殿とその他」という批判が集まることになっても、まずは丈瑠の圧倒的な強さと厳しさを強調して描く必要がありました。
シンケンジャーを支えているのはあくまでも丈瑠の圧倒的な強さがあってこそであり、その上に初めて信頼や絆といったものができるのです。


そして丈瑠もまた1人で背負いこむのではなく、家臣たちに歩み寄ることを考えるようになるのですが、ここでの4人のセリフがよく考えられています。

 


「殿!うるさく思うでしょうが、私はこの様に育ちましたし、この様にしか戦えません!この先もずっと!」
「正直、戦うなら仲間でいいって思ってたけど、殿だから背負えることもあるんだよね、きっと…だから決める。丈瑠に命預けるよ!」
「お前が殿様背負ってくっつーなら、家臣になってやってもいい。ただし、俺がお前を超えるまでな」
「うち……あの………殿様!死んだらあかん!うちイヤです!それだけです!」


流ノ介は第七幕で自分なりの「忠義」とは何かをきちんと出した上で、自分が暴走していることも理解した上で開き直っています。
千明も第三幕で丈瑠を超えることを思い描いていましたが、それを改めて丈瑠に対して斜に構えつつ口にしているのです。
ことははもうとにかく自分の素直な気持ちを殿に届け…そして最後にやってきた茉子、これがまた絶妙なセリフになっています。
これまで様子見でなんとなくの距離感だった茉子が初めて感情を剥き出しにして「丈瑠に命を預ける!」と口にするのです。
また、「殿だから背負えること」とあえて丈瑠が背負っている内容を具体的に言わずボカすことで、逆に色気のあるセリフとなっています。


そして4人は丈瑠がちゃんと認めてくれるまで生身で戦っており、ここで丈瑠もまた改めて真の当主としての覚悟を口にするのです。


「流ノ介、茉子、千明、ことは……お前達の命、改めて預かった!」
「もとより!」
「俺の命、お前達に預ける!」
「任せろ」
「はい!」
「書道フォン!」
「「「「「一筆奏上!」」」」」
「シンケンレッド! 志葉丈瑠」
「同じくブルー! 池波流ノ介」
「同じくピンク! 白石茉子」
「同じくグリーン! 谷千明」
「同じくイエロー! 花織ことは」
「天下御免の侍戦隊!」
「「「「「シンケンジャー、参る!」」」」」


ここの名乗りは終盤の生身名乗りと合わせて大好きなシーンの1つで、4人が「真の家臣」になる覚悟を示し、丈瑠もまた「真の当主」になる覚悟を示す。
これまで一方的な関係性だった丈瑠と家臣たちがきちんと自分たちの言葉でシンケンジャーになるこの瞬間に1クールで積み上げてきたものが集約されます。
「ギンガマン」の「炎の兄弟」、「タイムレンジャー」の「新たなる絆」、そして「トッキュウジャー」の「決意」と小林女史の戦隊は必ず「真の戦隊」になるシーンがあるのです。
特に本作では「殿と家臣」という、歴代でも類を見ない難しいテーマに挑んでいますから、序盤から丁寧に関係性を描く必要がありました。


ここでの重要なポイントは5人が「横並びの関係で仲間になる」のではなく「殿と家臣としての絆を強める」という形で結束力を育んでいることです。
それは茉子の「戦うなら仲間でいいと思ってたけど」でも言われてるように、あくまでシンケンジャーは「侍」であって単なる「仲間」ではありません。
その後の主題歌に乗せての息の合った連携は関係性の変化として象徴的で、「侍とは裏切らない一度誓った仲間のこと」も最高のハマり方です。
「仲間」という言い方をしていても、他の戦隊のそれとは数段意味合いが違うことを強調しているからこそのものとなります。
ここから4人が二段構えの攻撃を防ぎ、最後に殿が大筒モードで決めるという、最高のアクションとしてこれ以上ないまでにカッコ良かったです。


さらにそこからロボアクションも盛り上がり、流ノ介が勢い任せでありつつ、密かに開発していた「テンクウシンケンオー」を成功させるのは見事。
ここは第二幕で空回りしておでん合体にしてしまったことと対比になっており、殿が「初めてお前に感心したぞ」と口にしていることからも成長が伺えます。
勢いに乗ったシンケンジャーに結束力の象徴としてテンクウシンケンオーを持ってきてフィニッシュとしたことでボルテージが最高に高まったのです。
思えば、第一幕で名乗りからのアクション→巨大ロボ戦の流れがイマイチだったのは敢えて狙っていたことだったのですね。


こうして、侍戦隊シンケンジャーがひとまず真の侍戦隊として出来上がる姿を描き、第一幕からここまで綺麗に繋がっています。
現在同時進行で書いている「ジェットマン」と比べると、やはり20年近くの歴史の蓄積と尺の余裕がある分こちらの方がいいですね。
評価は文句なしのS(傑作)、ここまで積み上げてきたものすべてうまく集約させた名編で、一番好きなエピソード。

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

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