『侍戦隊シンケンジャー』(2009)1〜6話感想まとめ

 

第一幕「伊達姿五侍」

第二幕「極付粋合体」

第三幕「腕退治腕比」

第四幕「夜話情涙川」

第五幕「兜折神」

第六幕「悪口王」

 


第一幕「伊達姿五侍」


脚本:小林靖子/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
この世とあの世を繋ぐ「隙間」…その隙間にソフトボールを入れてしまい、取ろうとする少年。すると、そこから「ナナシ」と名乗る怪物たちがわんさか出てきて、少年の命が危うい。するとそこへ少年を逃す恰幅のいい着物姿の付き人と1人の寡黙な青年・志葉丈瑠が現れる。シンケンレッドに変身した彼は圧倒的な剣術でナナシ連中をバッサバッサと切り捨てる。しかし、もうすぐ外道衆の本格的な目覚めが近いと睨んだ付き人の日下部彦馬は丈瑠と共に戦う宿命を抱えた4人の侍を招集しようと提案する。躊躇する丈瑠だが…。


<感想>
さて、「ジェットマン」だけではなんか寂しいので00年代戦隊からも1つ候補を…ということで早速「シンケンジャー」も同時進行で書いていきます。
メインライターは「タイムレンジャー」以来9年ぶりとなる小林靖子女史ですが、画面的な構成でいうと「ギンガマン」をやや和風にしつつ、そこに「ジェットマン」「タイムレンジャー」的な変化球を入れている感じ。
色々見所がたっぷり詰まっていますが、見所はなんといっても4人の家臣となるシンケンジャーが集まるところで、このシーンはとにかくブルーの流ノ介が美味し過ぎます(笑)
演じる相葉裕樹氏は本作以前だと「テニミュ」を代表作として舞台畑で活躍していたのですが、本作でいよいよテレビにもデビュー、安定した演技力の高さが凄いです。


それから演技力という点でいうと、相葉氏と同じくらい芸歴がある高梨臨氏であり、この段階だとまだキャラの見えてこない茉子姐さんをうまく演じきっています。
アイドル枠の森田涼花氏も出身が京都ということではんなりとした天然さを醸し出しつつ、どこか影のある感じがまたとても魅力的で「さすがはアイドル」という感じですね。
そして、何よりも注目すべきは本作がデビュー作となる松坂桃李氏と鈴木勝吾氏…ベテラン役者や芸歴の長い人たちに挟まれていたとはいえ、全然デビューとは思えないほど自然な演技でした。
特に松坂氏は今でこそ国民的俳優として大成していますが、この当時はまだそんな予兆すらもなくまだ若干拙い感じさえします。それが特に馬に乗った時の揺れ具合に現れていますね。


それで、話の見所はというと、個人的に印象に残ったのが丈瑠が4人に向かって放った次のセリフです。

 


「最初に言っておくぞ。この先へ進めば後戻りする道はない。外道衆を倒すか、負けて死ぬかだ!それでも戦うってやつにだけ、これ(ショドウフォン)を渡す……ただし、家臣とか忠義とか、そんなことで選ぶなよ?覚悟で決めろ」


現在同時並行で感想を書いている「ジェットマン」との比較でも思うのは、「シンケンジャー」の方が1度本気で戦う覚悟があるかどうかを聞いて、各自の反応を確かめているところが違うなと。
「ジェットマン」は80年代戦隊の延長線上で「お前今日から〇〇戦隊だから戦え!」と有無を言わせない形であるのに対して、本作では00年代戦隊らしくワンクッション置いているんですよね。
その上で本作ではクールに振舞いつつも使命そのものには前向きな茉子と千明、そして最初から迷いがないながらも忠義心が暴走しすぎてややズレている流ノ介とことはの天然組となっています。
まあもちろんいきなり素人を集めることになった「ジェットマン」と家系の宿命でずっと子供の頃から侍になるべく修行してきた本作とではそもそものバックボーンからして違うというのはありますが。
そして4人がすぐさま戦う意思があると確認が取れると、もう雪崩れ込むように戦いへと入っていきますが、一度着物に着替えてからの変身と名乗りの特徴が特徴的です。


「シンケンレッド・志葉丈瑠!」
「同じくブルー!池波流ノ介!」
「同じくピンク!白石茉子!」
「同じグリーン!谷千明!」
「同じくイエロー!花織ことは!」
「天下御免の侍戦隊!」
「「「「「シンケンジャー!参る!」」」」」


いわゆる歌舞伎や時代劇を基にした「名乗り」は戦隊シリーズの本家本元となる「白浪五人男」への意識的な原点回帰を感じますが、4人が「同じく〇〇」というのが「家臣」という感じでいいなと。
それから、本名をきちっと付け加えるのもそれこそ「ギンガマン」以来であり、00年代戦隊ではファンタジー戦隊でもなかった「変身後の名前+変身前の名前」という名乗りも復活しました。
そこからの重々しいアクションなどもやはり90年代までの戦隊シリーズが持っていた「宿命の重さ」を抱えての戦いを表現していて、この第一話から既に本作が提示する「アンチ00年代戦隊」を感じます。
「ヒーローになることを軽く考えるな!」という作り手の意思を強烈に感じるところであり、やっぱりヒーローとは「使命」を抱えていて、それを受け止めて乗り越えていくものだと思うのです。


ただ、ここまでは完璧だったのですが、その後の等身大のアクションはややテンポが悪い(個人武器を見せてるからね)のと、第一話で巨大ロボ戦まで見せる関係でかえって物量を詰め込みすぎと感じました。
本作が徹底した「和風」なのに「秘伝ディスク」「ウォーターアロー」「ヘブンファン」「ウッドスピア」「ランドスライサー」と中途半端に英語を使ってしまっているのも良くなかったですね。
それから、物語の流れとは関係ない個人的なツッコミどころで、リアルタイムから誰も指摘しないので言いますが、流ノ介が前半にやってたあの歌舞伎の舞台は歌舞伎じゃなくて能や狂言用の舞台だよ!
能・狂言と歌舞伎はまた違いますから…一応歌舞伎も能・狂言も見たことがある身としては、フィクションとはいえあの舞台が「歌舞伎」として表現されていたことが気になります。


総合評価はA(名作)、冒頭から名乗りの部分までは完璧な流れだっただけに、その後のアクションと巨大ロボ戦がいまいちテンポが悪く、どうにかならなかったのかと。
無理して第一話の段階で巨大ロボ戦まで入れなくてもいいのに……思えば「ジェットマン」と見比べた時の差はやっぱり「物量を適切にテンポよく詰め込めているか?」だと思います。

 


第二幕「極付粋合体」感想


<あらすじ>
本格化した外道衆との戦いで一緒にシンケンジャーとなって戦う流ノ介たちであったが、戦いに対する姿勢やモヂカラの扱い、剣術の練度などには大きな差があった。特にやや不真面目で感じの悪い千明と険悪なムードになると、丈瑠は容赦無く戦力外通告を行ってくる。殿に対する態度を決めかね議論していた3人だったが、ことはの真っ直ぐさに絆される形で一旦まとまった。しかし、そんな4人のつながりですらもアヤカシは凌駕し、再び4人の家臣と丈瑠の間に心の溝ができるが、その真意をことはだけが理解する。


<感想>
とりあえず5人揃ったはいいものの、戦いは想定していた以上に厳しいものであった…そんなことを実感させる第二幕であったと思います。
もう今回の話に関してはシンケンレッドの以下の言葉に全てが集約されているのではないでしょうか。

 


「一生懸命だけじゃ人は救えないッ!!」


これです、もうね、前作「ゴーオンジャー」までの00年代戦隊シリーズの作風を全てこの一言で一蹴するかのように丈瑠が言い放ってくれました。
そう、どれだけ綺麗事を言っても理想論を紡いでも、敵を相手にきちんと戦える力がなければそれは単なる「やる気のある無能」でしかありません。
第一幕で丈瑠が言い放った「最初に言っておくぞ。この先へ進めば後戻りする道はない。外道衆を倒すか、負けて死ぬかだ!」は単なる脅しじゃなかったのです。
4人がやってくるまでずっと1人で外道衆と戦い続けていた殿だからこそ、どれだけ厳しく重たい戦いであるかを理屈ではなく感覚で理解しているのでしょう。


最初に見たときはどうしてレッドばかりを贔屓する展開なんだろうと思ったのですが、そうではなく家臣たちに「戦場の狂気」を肌身で知ってもらうためなのだなと。
前半で真っ直ぐで健気なことはを中心にそれまで丈瑠を様子見していた(約1名毛嫌いしていた)家臣たちがまとまるシーンを描きつつ、それすらも後半で奈落の底へ突き落とす前振りだったのです。
つまりうわべだけの友情ごっこで戦いに勝てるようなら苦労はしない、外道衆との戦いに勝つためには1人1人がその使命の重さや戦場の狂気を理解するしかないのだということを伝えています。
これは頭でわかっていてもなかなか実感の持てないものであり、それを2段階かけてまず1話で忠告を入れうまく行ったと見せておいて、2話で実戦の厳しさを実感させる構成にしているのです。
だからこそ、剣術に対して真っ直ぐでシンケンジャーとしては一番非力なはずのことはこそが実は真っ先に殿が伝えようとしている真意をきちんと理解していました。

 


「誰も守れへんかったら意味ないもん」


この一言にことはの全てが詰まっていて、どれだけ綺麗事を言って御託を並べても、結果を出せなければ無意味です。
これは現実のビジネスも一緒であり、どれだけ理想が高くて人格が良かったとしても、それにビジネススキルが伴ってなければ結果は出せません。
まさに1人でずっとシンケンジャーの使命を背負って戦い続けた殿と、所詮はうわべだけでしかシンケンジャーの使命をわかっておらず甘さが残っていた4人との違いなのでしょう。
そしてだからこそ、戦いの後に殿がことはに優しく「お前は強かった」とかけた言葉と表情が優しくて、これは決して綺麗事じゃなく1人だけ折れなかった芯の強さを評価しています。
まあ終盤までの展開を知った上でみると、ある意味丈瑠とは正反対のところにいるからそことはのそういう純真さに丈瑠がこっそり憧れていて敬意を示しているというのはありそうですが。


それからもう1つ気づいたんですが、何気なく前半のシーンで千明が食っていたおでんがまさか巨大ロボ戦のおでんに繋がってるとは思いませんでしたよ(笑)
「俺、余ってるだろ」のセリフや構成からもこれ自体が伏線になっているのですが、もう1つ千明のおでんがこのおでん合体につながっていたということでしょう。
まあ最終的に4人とは若干距離は縮まったものの、まだ完全に歩み寄り切っているわけではない、というところも見ていて感じ取れたところです。
最終的に色々やらかしや失言があった流ノ介が半裸で水浴びで、周囲はドン引きで帰るというあのオチはかなり秀逸でした。


今回、改めて「ジェットマン」と同時進行で感想を書いていて気付いたのですが、戦いにおいて「どれだけ準備していたか?」は大事ですね。
「ジェットマン」では事情が事情だけに仕方ないとはいえ、敵の襲来に味方があたふたして不完全な中で戦わざるを得ませんでした。
それに対して本作では、丈瑠が既に実戦を経験済みであり、4人も丈瑠ほどではないにしても実戦投入しても大丈夫なようには準備していました。
ちなみに「ゴレンジャー」「サンバルカン」「チェンジマン」「オーレンジャー」「ギンガマン」辺りも臨戦態勢で準備していたのでバッチリです。


00年代戦隊も「デカレンジャー」「ボウケンジャー」のように「お仕事」としてやっている戦隊を別とすれば、「素人なのにいきなり戦える」ことが多いんですよね。
大体は「スーツ性能のおかげ」とされがちなんですけど、それだけではなく「どれだけスーツ性能が優れていても、使い手が未熟者だったらだめだ」ということでしょう。
井上敏樹先生にしても小林靖子女史にしても、作風やアプローチは違えど「力を持っていることがヒーローであることの条件ではない」と考えているのは同じのようです。
その上で「真の強さとは何か?」「ヒーローとは何か?」「戦隊とは何か?」を常に考えながら描くところが、私がこの2人の作風の好きなところだと感じます。

 

総合評価はS(傑作)、パイロットとしてここで面白くしてきました。


第三幕「腕退治腕比」


脚本:小林靖子/演出:諸田敏


<あらすじ>
稽古に励むシンケンジャー一同だったが、千明だけは相変わらず寝坊も稽古に対する態度もひどく、剣もモヂカラも他のみんなに数段後れを取っていた。しかも殿に対する態度もひどく、戦力外通告まで受けることになる。イラついた千明は課題すらサボってかつての学友とゲーセンで遊んでいたが、その友人を外道衆の攻撃に巻き込んでしまい…。


<感想>
前回を経ての第三幕ですが、やはりメンバー一の劣等生であるシンケングリーン・谷千明に早速焦点を当ててのストーリー展開。
丈瑠との険悪な関係から自暴自棄になり、最終的にまたもや学友と遊び巻き込んでしまう…そこから「シンケンジャーとは何か?」をしっかりと描いています。
特に丈瑠からの「侍辞めろ」「友達と会ったせいだ」という言葉は何気なく見ていたものの、今思い返すと物凄く痛烈に響く言葉なのです。
本作の世界観やストーリー展開って逆「ギンガマン」になっているというか、かなり意図的な裏返しの構造として描いているなと思いました。


世俗との関わりを絶っている戦闘種族という設定はギンガマンもシンケンジャーも一緒なのですが、チームとしての成り立ちや外界との関わりはまるで違うのですよね。
ギンガマンは外の世界の知識を仕入れていながらも、結界を張って世俗との関わりを持たないようにギンガの森という特殊な世界の民族として生きていきました。
それがバルバンとの戦いで外の世界に出るようになり、青山親子をはじめ戦いを通して世界観が広がっていく、つまり「内→外」という広がり方をしています。
シンケンジャーはその逆で、志葉家の人間は世間一般との関わりを隔絶していて、逆に外界の住人である残りのシンケンジャー4人が世俗との関わりを捨てるのです。
つまり「外→内」という極めて閉鎖的な世界観で物語を展開しており、「シンケンジャーとして戦うためには過去の友達との関わりを捨てろ」は新鮮でした。


思えば第二幕でも茉子が自分の夢を放り出してきてるといってましたし、流ノ介も歌舞伎役者としての役割を放棄してシンケンジャーとして来ているのです。
殿が最初にかけた言葉が単なる外道衆との戦いの過酷さを知らせるためだけではなく、過去一切の人間関係を強制的に断捨離することも意味していたということでしょう。
まあ「ガオレンジャー」もそういう路線なんですけど、こんな風に「世間一般との関わり」に関して、一番現代っ子な千明と学友の関係を通して描いています。
これに関しては、変に現代的な要素や世俗的な価値観を交えると「カクレンジャー」「ハリケンジャー」みたいにチープなB級テイストの時代劇パロディみたくなるからというのもありますが。


また、これはビジネスというか大人の人間関係にもいえる話で、大人になって自分が成長してステージが上がると自ずと付き合う人間関係って変わるんですよ。
今までうまく行っていた学友との関係が急にうまくいかなくなって、千明はたとえ腕が数段劣っていたとしてもシンケンジャーとして戦う他はありません。
千明はこの段階で古い人間関係を断捨離してシンケンジャーとして新しい段階のステージに進まなければならないことを意味するのです。
その後のアヤカシを倒すための作戦が千明と殿で違っているところも細かい書き分けがなされていて、安易な「みんなでGO」にはなりません
そんな千明も改めて丈瑠の凄さを認め、2話の流ノ介とは違った形で自分なりの覚悟と決意を口にします。

 


「丈瑠!いや、殿…これからも一緒に戦わせてくれ!」
「…誰も辞めさせるなんて言ってない」


その後千明は丈瑠を追い抜くようにしてダッシュするのですが、千明のキャラクターを見てるとどことなくギンガイエロー・ヒカルやボウケンブラック・伊能真墨を彷彿させます。
まあ両者の性格をミックスしてさらに現代っ子に崩した感じなのでしょうけど、一度やる気に火が点いたら根は真っ直ぐなのでとても努力家だと思うんですよ。
ただ、何せまだ青春真っ只中のスレた高校生なので、どうしてもストレートに丈瑠への思いを口にするといったところができないでいるのでしょう。
ましてや丈瑠にウザいくらい執着している流ノ介やことはみたいなのを見ているがゆえに、あんまりにも侍であることにストレートすぎてもそれはそれで困るものです。
外道衆が改めて途中撤退する理由が「水不足になったから」というのは若干御都合主義な気がしなくもないですが、まあ納得はできるのでよしとしましょう。


で、話はこれで終わりではなく、殿のコミュニケーション能力というか接し方にも今回の問題はあって、丈瑠は結局シンケンジャー以外の戦隊だったら上手くいかないんだろうなと思いました。
第一幕で「忠義や家臣なんて時代錯誤」と言い、家臣たちにも「覚悟で決めろ」と言いつつ、その実結局は家臣たちに対して殿様然とした面でしか対応できない矛盾が示されています。
これにはある事情が関わってくるからなんですが、一見「丈瑠の対応が正しく、千明の未熟さが間違っている」ようでいて、実はこれが逆だったりもするのです。
誰に対してもフラットに接することができる千明は人懐っこくてコミュニケーション力がありますが、シンケンジャーというヒーローとしてはイマイチ。
逆に完璧超人で、戦いにおいてはパーフェクトなはずの丈瑠が実はコミュニケーション能力や人間関係に問題があって、人間性がかなり薄いのです。


本作における「ヒーロー性」と「人間性」は反比例の関係にあり、その辺りもまた人間性とヒーロー性が不即不離で比例していたギンガマンとは真逆でしょうか。
決して単純にかっこよく活躍して終わりではなく、徐々に殿と家臣たちが距離を縮めていく過程を通して、本作なりのヒーロー像がどう構築されていくかが見ものです。
評価はA(名作)、千明という脇のキャラクターから「シンケンジャー」とはどんなヒーローなのか?」を構造的にも明らかにさせています。


第四幕「夜話情涙川」


脚本:小林靖子/演出:諸田敏


<あらすじ>
流ノ介が突然家臣たちに「悩みがあれば相談しろ」と構うようになる。周囲はそれを鬱陶しく思ってしまうが、実はホームシックから来る流ノ介の精神の限界だったのだ。茉子はそんな流ノ介をついつい抱きしめてしまうのだが、その茉子は茉子で料理が壊滅的に下手くそという致命的欠陥がある。そんな中、人に涙を流させるアヤカシが登場するのだが…。


<感想>
いよいよ来ました、前回までひたすらに忠義心が暴走しているだけの残念なイケメンでしかなかった池波流ノ介…まさか極度の寂しがり屋だったとは(笑)
そして茉子…あー、ダメだこりゃ…茉子姐さん、あなたそれ単なる「ダメンズウォーカー」ですよ…とりあえず茉子さんはその内悪い男を捕まえてしまわないか心配です。
あ、ちなみに中の人である高梨氏はとても素敵なサッカー選手と無事ゴールインしましたので、今この話を見返すと笑い話として微笑ましく見られるんですが。
スーパー戦隊シリーズのヒロインにはいわゆる「弱っている男を放っておけない」というダメンズウォーカーの系譜というものが実はあります。


それは愛情とも取れるのですが、本作以前にも「こいつダメンズウォーカーじゃないか?」と思えるような女性はゲスト含めてスーパー戦隊シリーズに何人かいるものです。
個人的には「ダイレンジャー」の亮のライバルである陣の恋人・アキなどがそのパターンで、「私が陣のそばにいてあげなきゃ」と思ってる節があります。
また古いところで見ていくと、「デンジマン」の桃井あきらとか「ライブマン」の岬めぐみとか、00年代だとそれこそ「ゴーオンジャー」の須塔美羽もそのケがありますね。
あれかなあ、女性の「包容力」「母性本能」というやつを間違った方向に使ってしまうと「ダメンズウォーカー」になってしまうものなのかなあと切なくなるのです。


ただ、流ノ介の場合はシンケンジャーとしての宿命に対して生真面目すぎるが故に精神の糸が切れそうだからそうなるのであって、いわゆる「悪い男」ではありません
だからラストで立ち直った瞬間に茉子からは「そういうのウザいから」とバッサリ切り捨てられてしまったのでしょうけど…うん、どんまい流ノ介、あなたは何も悪くないですよ。
まあただ茉子姐さんの気持ちも一方でわからなくはないんですよね…あんなに鬱陶しいフルテンションで毎回毎回絡まれたら溜まったものではないでしょうから。
主にその被害に遭っているのが殿である丈瑠と未熟者の千明なので、丈瑠も内心「こいつ鬱陶しい」「空気読めねえな」と思ってはいたと思います。


だから、今回改めてシンケンジャーに対して一番中立的で冷静沈着に物事を見られる茉子の視点から流ノ介のそういう過干渉なとこをズバッと切ってくれたのはありがたいです。
流ノ介はいってみれば「自分が実力あるのをいいことに正論を振りかざしてドヤ顔する嫌なやつ」な造形ですから、そうならないように三枚目の側面も愛嬌として入れていますしね。
そして茉子ですが、個人的には正直未だによくわからないキャラクターだったのですが、彼女はいわゆる「ダメな男」が絡むと一気に冷静さを失っちゃうタイプなのでしょう。
その真の理由は後半に語られるのですが、実は最もシンケンジャーの中で「人間性」が希薄なのも彼女だったりはするのですよね。


涙を流させるというのは若干安易ではありましたが、こういう同情話っぽくい構成にすることによって流ノ介と茉子のキャラクターに変化を入れているのが今回のミソです。
前回までの段階だと丈瑠と並んで年長者の立ち位置にいる2人がすごく頼り甲斐のあるお兄さんお姉さんな感じなんですが、今回の話で一気にポンコツぶりを露呈させています。
そう、シンケンジャーとしてかなり腕が立つ剣術を持っているのに、それ以外のことになると全くダメダメなところは流ノ介と茉子の2人に共通しているところです。
その点、一見ヒーローとして頼りなく見える年少者のことはと千明が逆に今回では一歩引いて冷静な対応をしていたあたり、人間的にはこの2人のがよっぽどまともに見えます。


まあ千明とことはに関しては後々メイン回があるのでそちらで改めて語るとして、とりあえず流ノ介と茉子の2人の関係を一気に掘り下げたのは今回の見所でしょう。
お互いにシンケンジャーのサブリーダー格と呼べる2人の「仲のいい同僚」みたいな、言って見ればユウリとアヤセのようなクールな関係はいいですね。
話そのものはやや普通気味ではあるものの、「こういうアプローチでキャラを掘り下げるのか」という機転が面白く、評価はA(名作)


第五幕「兜折神」


脚本:小林靖子/演出:竹本昇


<あらすじ>
稽古をずっと行っていた侍たちだったが、久々の休暇で遊園地に遊びに行くこととなった。しかし丈瑠は4人と遊ぶのではなく、橙色の秘伝ディスク・兜折神を使いこなす訓練に励む。無茶する丈瑠を支える爺だったが、今度のアヤカシは侍たちの斬撃を無効化する能力の持ち主。修行が完全に終わっていない中、丈瑠は辛い体を押して何とか秘伝ディスクの起動を成功させるのだった。


<感想>
遂に5話目にしてようやく来ました、丈瑠&彦馬爺のメイン回…ここまできてやっと丈瑠の裏にある思いが描かれるという、スーパー戦隊においてはかなり変則的な構成です。
普通ならレッドが主人公ですから、もっとわかりやすく最初の段階で見せても良さそうですが、丈瑠はこの辺りのハードルがかなり厳しく設定されています。
前回までの話では、とにかく「丈瑠=不愛想で厳しい無口な鉄仮面」として描かれ、若干の歩み寄りは見せつつも基本的に家臣たちと積極的に絡もうとしません。
とにかく「何を考えているかわからないけど、侍としては超一流」というその圧倒的な侍としての強さと厳しさのみを前面に押し出した完璧超人として描かれました。


今回のエピソードではその丈瑠の内面に初めて突っ込んだエピソードだといえ、完璧超人で天才タイプだと思われていた丈瑠こそが実は一番努力の人だったのです。
まあ俗に言う「努力の天才」というやつなのですが、単に偉そうにふんぞり返って実力を誇示しているだけではないところを今回しっかり視聴者に見せてきたといえます。
しかもその理由が「自分が矢面に立つことで家臣たちを死なせないようにするため」であり、もう1つは後半に出てくるある事情が深く関わってくるためです。
一応第一幕で「会ったこともない奴らを戦いに巻き込んでいいのか!」と言っていて、実は丈瑠は家臣たちのことが心配でたまらず、命を落としたらと不安なのです。


しかし、そんな不安を吐露してしまえば、ただでさえ未熟で距離感も団結力もバラバラな4人との関係性がもろく崩れ去ってしまうかもしれません。
丈瑠がそのように柔らかい部分、弱い部分を見せることができるのは後見人であると同時にメンターでもある日下部彦馬爺さんの前だけなのです。
ここまで敢えて触れませんでしたが、この日下部彦馬役の伊吹吾郎氏は「水戸黄門」で有名な大ベテランであり、シンケンジャーの世界観にシリアスさと重厚感を与えています
その彦馬爺が時に殿を厳しくいさめつつも、優しく温かく受け止めてくれる父親がわりの存在として描かれているのはここでうまく「彦馬爺に好感を持てるようにする」演出として成功です。
今回はそんな彦馬爺の名言が飛び出しました。

 


「彼らの支えになるのは殿の強さのみ。その強さに微塵の揺らぎもないからこそ命を預けて戦える、それが分かっているからこそ、殿は1人で…背負わねばなりませぬ、志葉家十八代当主を!」


これは綺麗事でも何でもない彦馬爺の名言にして、ある意味ではシンケンジャーの「長所」と「短所」を見事に言い当てた本質であるといえるのではないでしょうか。
そう、全てを捨てて挑む外道衆との厳しい戦いの中で、シンケンジャーの絶対的な強さの中心にあるのはシンケンレッド・志葉丈瑠の圧倒的な強さにあるといえます。
ある者はその強さに敬服し、ある者はその強さに劣等感を覚え、そしてある者はその強さを懐疑的に見て…いろんな視点がありますが、「丈瑠が強い」という事実は変わりません。
普通の戦隊だったら、ここで4人がそんな努力を必死に行う丈瑠の姿を見てそれに絆されるという形になるんでしょうし、実際同人や二次創作ではそういう話も多いです。


しかし、本家本元の小林女史はそんなに甘くはない、努力する姿という「過程」ではなくあくまで殿が実戦で見せる強さという「結果」しか見ていません。
また、丈瑠には志葉家当主だからという驕りのようなものがある訳でもなく、むしろ一瞬でもそれに満足してしまったら簡単にシンケンジャーは瓦解してしまいます。
まあ正直私の好みに合うかといわれたら微妙なんですけどね…ここまで意図的に「レッドとその他」という格差を示す必要があるのか?と最初に見た時は思いました。
通常の戦隊ならここで「殿がいなくても俺たちは頑張れる」となるところですが、本作はあくまでも「丈瑠が中心にいないとチームが機能しない」のです。


この一極集中はある意味戦隊のタブーに挑戦しているともいえ、「シンケンジャー」以前にもレッドと他の4人で扱いに格差のある戦隊はありました。
しかし、それが単なる設定上のことだけではなく、物語のドラマのテーマとしてがっちり据えられた戦隊は後にも先にも本作だけではないでしょうか。
現在の段階だとぶっちゃけ「侍戦士シンケンレッド」になってしまっており、今回初披露した大筒モードもレッド1人で使い4人が傅くというシュールな演出です。
そして、4人の前では完璧超人に見えている(あるいは自分で見せている)丈瑠が爺の胸元で倒れるという演出も丈瑠が内面を晒け出せる数少ない1人であるということでしょう。


ただし、物語のテーマとしては面白かったし、丈瑠と彦馬爺の関係性もしっかり掘り下げられたのはよかったのですが、バトルそのものはあまり盛り上がりませんでした
まず今回出てきたアヤカシの能力がいかにも烈火大斬刀・大筒モードの引き立て役ありきで作られたという御都合主義を感じますし、上にも書きましたが、殿が1人でとどめを打ちます。
作品の性質上仕方ないとはいえ、現段階ではシンケンジャーってレッド=主役家臣たち=引き立て役という感じに描かれているので、どうしてもアクションシーンはワンパターンというか。
あと巨大戦で頭にかぶって上から振り下ろす巨大戦という演出もあまりにかっこ悪くなってしまい、どうにもアクションとしては現段階だと「殿TUEEE」でしかありません。


この辺りはまだ現在同時進行で書いている「ジェットマン」の方がきっちり5人で団結して倒している感じはあるので、まあアクションシーンはいかにも玩具販促のためというのが透けて見えます。
これは本作で9年ぶりにメインライターに復帰となった小林女史がブランクが長かったこともあって、00年代戦隊の過剰な玩具販促ありきの作劇に慣れていないのかもしれませんね。
どうにも全盛期だった頃と比べて玩具販促の意味づけを物語のなかで行うことができていないというか…評価はB(良作)、ドラマはよかったんですけどアクションが月並みで雑です。


第六幕「悪口王」


脚本:小林靖子/演出:竹本昇


<あらすじ>
今日も剣の訓練に余念がない侍たち。ことはと千明が剣術を行うが、真っ直ぐかつ強いことはの剣術に千明は勝てずに負傷してしまう。しかし、そのことはは武術と剣以外はさっぱりで、怪我の手当てすらもまともにできない。そんな中、その人の最も傷つく悪口を言って物理的ダメージに変換するズボシアヤカシが出現する。侍たちもまた悪口で倒されていくが、ことはだけが無傷なままであった…。


<感想>
前回のシリアスぶりから打って変わって、今回はちょっと爽やか青春テイスト…と思いきや、実はさりげない爆弾を放り込んできました
ええ、終盤に向けての伏線を貼っているのはもちろんですが、何と言っても今回のテーマは同じ劣等生の千明とことはの絡み…もうね、これは見ていて胸が痛みます。
なんというか、つくづくこの2人って日本人独特の自己肯定感の低さを体現した存在だなあと思うのですが、改めてコンビとして描いたことでそれが浮き彫りになりましたね。
訓練を真面目にしていなかったばかりに実力不足が未だ解消されない千明と、ずっとさえない幼少期を過ごしていじめられっ子体質が抜けないことは。


初見では「ここまで暗い話にする必要あるのか?」と思ったのですが、一方でこれが最も「日本人とはどういう人種か?」をよく描いている気がします。
ことはに関しては第二幕で笛と剣以外は不得手でそれ以外は何もできず、シンケンジャーになったのも病弱な姉の代理であることが語られてそれっきりです。
千明もまた第三幕でその劣等生ぶりが描かれて以来でしたが、そんな2人がぶつかり合うとものの見事にマイナスとマイナスで打ち消しあってプラスになったという。
この2人、同じ劣等生同士でもその「劣等生」であることに対してどのように受け止め消化しているのかが全く違っていました。


まずことはは「素直」「健気」「純真」という性格ですが、それは決して天性のものではなく、いじめられっ子として過ごしていた自分を謙遜して卑下しているだけでした。
私はことはの天然な可愛らしさの中にどこか晴れない影を感じていたのですが、その影の正体が「劣等生だった自分」であることをどこかで認めて自分を変えるのを諦めていたからです。
そして千明は男の子で反発心が強いから、そんな風にいじめられたら「何が何でも強くなってやる!」と思うものだし、実際丈瑠を心の中でライバル認定して超えるつもりでいます。
こんなことを言うのもなんですが、ことはってぶっちゃけMっ気が強いですよね、悪い意味じゃなくて相手の言葉に一々反論しないというか…千明はやっぱりSっ気が強いですし。


だからそんな千明からしたら、自分よりも剣の実力が上のくせに「大したことない」という態度を取ることはにイラつくのは至極真っ当なことだといえます。
ことは「謙虚」と「謙遜」を履き違えているといえ、千明は千明で悪ぶってるけど不良にはなりきれないというお互いの欠陥がぶつかったことで見えたのです。
そのあとはお互いに誤ってスッキリ和解するのですが、これだけ見るといかにも傷の舐め合いっぽく見えても、そうはならない気のいい同級生みたいな感覚がいい味出してます。
きっと同じ学校のクラスメートだったらこの2人は意外と気の合う仲間になれたんじゃないかなあと思います、千明ってコミュ力あるから友達作るの上手そうですし。


特に千明がことはに対して言ったことは八つ当たりだったにしてもことはの短所を見事に言い当てているといえ、その健気さの裏に潜んだことはの痛々しさを本能的に見抜いていたのかもしれません。
逆にことはは自分のことで背一杯だからそんな複雑な感情の機微を千明が察していることも理解できず、だから鈍感といえば鈍感ですが、鈍さもまたある意味では強さです。
小林女史の系譜でいうと、千明はギンガイエロー・ヒカルの発展型ですが、ことははギンガレッド・リョウマとギンガピンク・サヤを融合させて極度に不器用にした存在だといえます。
姉の代わりに戦うまっすぐな芯の強さはリョウマと似てますし、殿様に対してやや恋心にも似た憧れを持っている点なんかはサヤのヒュウガに対する憧れを侍としての忠義心にしたものでしょう。


だからこそ、改めてズボシアヤカシに対してまっすぐに勝てたともいえ、しかも「姉の補欠」と言われたことにやや傷つくというところもまたリアルでいい反応でした。
ちなみに丈瑠の「大嘘つき」は終盤までにとっておきますが、流ノ介の「マザコン」「ファザコン」と茉子への「一生独身」は本当に図星すぎて笑ってしまいます。
いやまあ確かにあのダメンズウォーカーなところを治さないと、茉子は一生いい男と結婚できないと思うので、そのお眼鏡に叶う相手となると…やっぱり殿とかになるのかなあ?
私はあんまり戦隊内の恋愛は好きじゃないのですが(「ジェットマン」は別)、茉子と見た目も中身も釣り合いそうな相手って相当ハードルが高い気がします。
まあ中の人はもう今幸せな結婚生活を送っていらっしゃるので、そんなしょうもないことはどうでもいいのですけど。


さて、最後に丈瑠と茉子がこんな意味深なやり取りを行なっています。

 


「やめとけ。誰にでも、触れられたくないことだってあるだろ」
「ふ〜ん、嘘つきも?」
「そういうことだ」
「…まあ、そうだよね。殿様もそれぐらいはね」


私の記憶では丈瑠と茉子が一対一で絡んだのは何気にここが初めてで、クールな天才同士の肚の読み合いという独特の緊張感が凝縮されています。
茉子は丈瑠が何かを隠していることを実は前回の時点で見抜いているのですが、この段階ではそんな茉子ですらも「大嘘つき」の真意を正確には読みきれていません
そして丈瑠も丈瑠で無理に否定するのではなく「そういうこと」と肯定したように見せて煙に巻くことで、深い追求をされるのを絶妙に避けているのです。
ここで下手にムキになって否定しようものならかえって怪しまれてしまい、その大嘘が露呈してしまう可能性があるので、バレるわけにはいきません。


表向きは千明とことはのやや暗めな青春物語という「いい話」っぽくまとめつつ、ラストで意味深な丈瑠と茉子の大人の会話を入れることで緊張感を持たせているのです。
また、ことはもかろうじて堪えていただけで、戦闘終了と同時に意識を手放す辺りも非常に良くできており、話そのものは無難でも味付けや工夫で面白く見せています。
評価はA(名作)、年下2人組の横の絡みを強化しつつ、さりげなく大筋の部分でも伏線を仕込んでおくというテクニカルさが良くできていました。

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

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