『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(2015)7〜12話感想まとめ

 

忍びの7「春のニンジャ祭り!」

忍びの8「時をかけるネコマタ!」

忍びの9「忍術VS魔法、大バトル!」

忍びの10「ヒーハー!金色のスターニンジャー」

忍びの11「シノビマル、カムバーック!」

忍びの12「最強決戦!奇跡の合体」

 


忍びの7「春のニンジャ祭り!」


脚本:下山健人/演出:竹本昇


<あらすじ>
強敵、蛾眉に歯が立たなかった八雲たち。なお一層、修業に身が入る。一方、忍術が使えない無力さを実感した父、旋風(つむじ)は、さらに強くなれるよう、皆の先生を連れてきたという。その先生とは……カクレンジャーにハリケンジャー!?そんな中、生まれる最強妖怪ネコマタ。何やら、先輩方とも因縁がありそうで…?


<感想>
「人に隠れて悪を斬る、それが忍者だ」
「人も知らず、世も知らず、影となりて悪を討つ、それが忍者だ」
「忍びなれども忍ばない?そんなこと言ってるようじゃ、到底本物の忍者にはなれないぞ」


う、うーん……言ってることは間違っていないんですが、何なんだろうこのサスケと鷹介のウザさは……?(^^;)
これは「ゴーカイジャー」を見た時にも覚えた違和感だったのですが、何が嫌って歴代先輩がさして面識も免疫もない現役のやつらに先輩風吹かせてマウント取ることです。
しかし、それ以上にもっと嫌いなのは天晴のあの生意気を通り越した非常識な態度で、これは単なる礼儀知らずの人でなしと取られても仕方がないでしょう。
なので今回は話の内容以前に、そもそも「なぜテレビシリーズにおいて先輩との客演・コラボが好きではないのか?」という話をします。


まあ元々先輩戦士とのコラボ自体は別に珍しいことではなく、昭和ライダーしかり昭和ウルトラしかり、それからロボアニメでいう「東映まんがまつり」しかり客演自体はあったのです。
で、大体共演の形は2種類あって、1つが友達感覚の横社会でもう1つが先輩をきっちり現役が立てる縦社会なのですが、「ゴーカイジャー」しかり本作しかり縦社会が行き過ぎた感じは好きじゃありません。
「ゴーカイジャー」はなんか「歴代戦隊の熱い魂をゴーカイジャーにぶち込んでやる」みたいな作りになっていましたけど、私からするとそれって高校や大学の部活でよくあるOBOGの現役に対するマウントですよね。
私は高校時代も大学時代もそういうOBOGが来てくれる部活に所属していましたから、「ゴーカイジャー」の歴代戦隊のゴーカイジャーに対する態度や今回のサスケ・鷹介のニンニンジャーに対する態度が気に入りませんでした。


最初に書いた「人に隠れて悪を斬る」「人も知らず、世も知らず、影となりて悪を討つ」は別に彼ら自身の思想信条や戦い方を言っているわけではなく、単なるキャッチフレーズでしかありません。
実際に原作の「カクレンジャー」「ハリケンジャー」をご覧になればわかりますが、彼らだって現役の時は別段ニンニンジャーに偉そうに説教・指導ができるような人たちじゃなかったですよ。
サスケなんて妖怪を復活させた元凶の片割れで序盤は結構ズボラさが目立ったフリーターでしたし、鷹介だって言動・行動はすごく幼さが目立つ「バカレッド」の類です。
そういう意味ではむしろ天晴に近いわけで、鷹介は変に偉ぶるよりも鷹介とおバカ同士でわちゃわちゃやった方が良かった気がするんですけどね。


しかも伊賀崎流とサスケたち先輩の正義の形は違うわけであり、そういう違いをきちんと踏まえないで一方的に思想信条を絶対のものとして押し付けてくるのはもっとダメでした。
これは「ゴーカイジャー」のレジェンド回でも思ったところで、何というか変に先達を尊敬しすぎるあまりに偉ぶった老害みたいに描いてしまうのは寧ろ失礼だと思います。
かといって、現役のニンニンジャーたちの舐め腐ったような態度も決して正しいとは言いませんけども、もしかして先輩たちにこうして厳しく指導してもらって成長するためにわざとダメダメに描いてたんでしょうか?
もしそうだとしたら完全に作劇として失敗であり、これは下山脚本に限ったことではないですが、「成長物語」と称して偽悪的ないしお味噌が足りないバカキャラを描きたがる人に限って最初からダメダメに描きたがるんですよね。


私の長年の親友である黒羽翔氏も語っておられるように、下山健人はジャンプ漫画を描いても戦隊シリーズでもアニメでも明らかに自分の描いた作品が受け手にどう映っているかという自己評価が適切にできていません。

 

 

・いきなり国内サッカーdis
・二部dis
・先輩を先輩とも思わない態度でかすぎ新人+寒いギャグ連発新人
・ふざけてるようにしか見えない監督
・ホペイロ志望にも関わらずサッカー知識ゼロのヒロイン 


引用元:https://note.com/all1_accepter/n/n7ee3dacf56bd

 


これらの特徴は「ニンニンジャー」にも当てはまる要素であり、「いきなり実家爆発」「忍者dis」「目上に対する接し方がなってないバカレッド」「ふざけてるようにしか見えないダメ祖父」など。
今回の話は先輩を立てながら現役の魅力を引き出すということには失敗していますし、しかもしらこく「天晴が過去で殺されるからそうならないように現在にやってきた」という取ってつけたような言い訳をしています。
そんな言い訳をしたところでニンニンジャーたちの好感度が上がるわけでも、ましてや先輩忍者の現役に対するウザいマインティングが正当化されるわけではありません、ただのパワハラ・モラハラです。
先輩戦隊との客演をやるなとは言いませんが、それは最低でも天晴たちのキャラクターと関係性がしっかり出来上がってからやるべきであって、本作はその基礎すらできてない砂上の楼閣でしかありません。


基礎土台がボロボロのところにまともな家が建つわけないので、もう本当に終始しかめっ面で見てしまい、唯一褒められそうなのは3人のレッドが揃い踏みしたところくらいでしょうか。
しかもものすごく深刻な話題を振っておきながら「天晴は本番に強いから」というクソみたいな屁理屈であっさり回避するという「ゲキレンジャー」辺りから目立つようになる雑な解決です。
そのため今回ももちろん総合評価はF(駄作)なのですが、1個だけ評価とは別に褒めておきたいのは小川輝晃氏と塩谷瞬氏がきちんと現役のスタッフ・キャストにダメ出しをしていたこと。
当時の公式HPを見ればわかりますが、あまりにも弛んだ現場の雰囲気に喝を入れるメタ要素が話に活かされていたと思えば、まあそこだけは悪くないのかなと思います。


忍びの8「時をかけるネコマタ!」


脚本:下山健人/演出:竹本昇


<あらすじ>
風花と凪は春になって、高校生活が始まった。前の道場から引っ越してきたので、転入生となる。さっそく風花には友達ができ、家に遊びにきたいといわれるが、忍者であることは知られたくない。そんなことをしたら学校中の話題になってしまうに決まっている。ましてや、忍者しか頭にないお兄ちゃんに会わせたくない・・・。一方、道場に妖怪の目撃情報が入り、出動した天晴たちは、再びネコマタに遭遇する。なぜ倒したはずのネコがまた?


<感想>
いや「ニンニンジャー」としての戦いに集中したいのならば学園生活なんか中途半端に描くなよ、危ねえだろうが!


そう叫びたくなった今回の話ですが、これまでそんなそぶりは特別描かれてこなかったのに、今更この段階で凪と風花の学園生活なんか中途半端に描いて何になるのでしょうか?
八雲のイギリス魔法しかり霞の科学者ネタしかり、本作に出てくる登場人物の設定って本当に単なる「記号」にしかなっていなくて、全然彼らの思想信条を形成するほどになっていないんですよね。
私はそういう物語に全く反映されない設定ってクソだと思っていて、本作も例外ではなく取ってつけたように中途半端なシリアスネタを出して、それで最後は天晴わっしょいで雑に解決してしまいます。
あと、もっと嫌だったのはクラスメートの友達に天晴が触れたり、ラストで凪がお姫様抱っこしたりしているところで、あれ今の時代セクハラ扱いされるから気をつけてください。


そもそも友達に気付かれるのがそんなにまずいんだったら最初から関わりなんか持つなよと思ってしまうのですよね、だって責任を取るのはそれだけ大変なことですから。
こういう時、どうしても私は「シンケンジャー」の千明を思い出してしまうのですが、なぜ「シンケンジャー」では第一幕の段階で世俗との関わりを捨てさせたかがわかるんですよね。
なぜかというと第三幕の千明がそうであったように、中途半端に学友と関わりを持っていたがばかりに外道衆との戦いに巻き込み怪我をさせたということがありました。
そう、無辜の者にとってはヒーローもまた悪の組織と変わらない脅威なのであって、「メガレンジャー」の終盤なんてそのせいで世間一般から迫害されたわけですし。


そういうデリケートな、扱うのに慎重さが要されるネタをギャグとして粗雑に扱ったのもさることながら、ネコマタの時間ネタに関してもまたうまく扱えていたとはいえません。
時間ネタというとやはりどうしても「タイムレンジャー」「電王」が思い出され、それらもやはり小林脚本ですが、この2作は時間というギミックをすごく慎重に扱っていました。
こういう時間SFの要素は余程のプロじゃない限り扱いに失敗するととんでもない劇薬になってしまうので、扱いには慎重さが必要とされるのですが、その辺りもすごく雑。
それから今回風花が目立っていましたが、「たまにはいいか!」という天晴のセリフの意味が「基本的に妹は俺の引き立て役だがたまにはいいか」でした。


だってそのあとの巨大ロボ戦、風花が神輿に座って目立った時に「おい何お前が座ってんだよ!」という、八雲が座った時には全くしたことがない反応を見せていましたから。
これってつまり天晴はナチュラルに八雲以外のやつらを格下にして引き立て役扱いしているということでよろしいでしょうか?
まあ何れにしても、とにかく天晴が目立てば目立つほど好感度が下がること、そして風花と凪があまりにも中途半端だったことだけが示され、評価はもちろんF(駄作)です。


忍びの9「忍術VS魔法、大バトル!」


脚本:下山健人/演出:加藤弘之


<あらすじ>
八雲の母、加藤春風が来日した。世界的ファッションデザイナーで、日本のショーに参加するためだった。道場では、皆でネコマタの行動を分析していた。過去でも、道場でも「終わりの手裏剣」といったものを探していたようだ。父、旋風は、昔、家で見た事がある……と、話していて、テレビのニュースに目が止まる。なんとまさにその手裏剣がファッションショーのドレスのアクセサリーとして、春風が使用していた。5人による「 終わりの手裏剣奪還作戦」が始まる――!


<感想>
「俺は魔法使いでも忍者でもない。魔法忍者だ!」


えーっと、忍術も魔法もアプローチが違うだけで奇妙奇天烈な技の使い手なのは同じだと思うのですが、何がどう違うんでしょうか?


八雲の母親が登場し、終わりの手裏剣というキーアイテムが既に序盤から登場、しかも後半では次回の目玉となるスターニンジャーも初登場とかなりまた無茶振りを盛り込んでいますが……。
うーん、天晴マンセーの流れ自体はないからまあよかったんですけど、それでも全体を見ると「お前ら「NARUTO」と「ハリーポッター」シリーズに土下座してこい!」と言いたくなります。
まあ別にこの程度のレベルの低さで両作品とも傷がつくわけじゃないんですけど、魔法と忍者のどちらが優れているかの基準が「かっこいいかダサいか」というのは初めて聞きました。
何かなー、こういうのを見てしまうとどうも作り手の底の浅さが露呈してしまっているというか、結局は「そんなの好みの問題だろうが!」で片付いてしまうのですよね。


そもそもこの1クール目の段階で八雲のみの視点で描かれてきた「忍術と魔法」ですが、その落とし所が「かっこいいかどうか」で収まってしまい、物語の本テーマに絡まないのは残念です。
母親のファッション業界の描写についても本気で勉強したわけじゃなく、「所詮ファッションなんてこの程度だろ」という見下しで描いているように見えてしまいました。
まずパリコレレベルのショーが日本で開かれるなんて余程のことがない限りまずありませんし、任務のためとはいえニンニンジャーが簡単に潜入できるほど甘くはない世界ですよ。
八雲の母がまともに話し合う気がないと決めつけていますが、そんな回りくどいことしなくても事情をきちんと説明すれば理解してくれると思うのですけどね。


八雲の魔法と忍術の使い分け自体も今まできちんと思想信条や他の忍者たちとの色分けで描かれてきたわけじゃなく、ただその場しのぎの都合で使ったり使わなかったりしているだけですから。
大体魔法といえば杖と絨毯というのも「マジレンジャー」「ハリーポッター」をはじめ、それをモチーフにした作品群を冒涜しているとしか見えません。
つくづく本作って先達である「カクレンジャー」「ハリケンジャー」しかり、全方位に喧嘩を売っているとしか思えないような内容になってしまっているのですよね。
ファッションにしたって、私は一度だけ東京で偶然に一度だけ開かれたパリコレショーを親友の伝手で招待状をいただいて見に行ったことありますが、こんなしょぼいセットじゃないですよ。


母親がファッション業界というのは「洗練されたお洒落な天才クリエイター」という雰囲気を出したかったのでしょうが、どうにも役者の雰囲気がそれに合っていないというか。
会場にしたって、どうにも都内のビルのある場所を借りてきただけという感じになっていて、ファッションショーというよりは精々が社会人のサークルないし同人界隈のコスプレレベル。
こんなので本当に世界のファッションを描いたつもりでいるならば、ファッション業界の方々にも失礼なので頭を下げていただきたいというほどです。
私は別にファッションの大ファンというわけではありませんが、それでも本作で描かれているレベルの描写が浅すぎるというか、作り手がまともに勉強しないで書いているのが透けて見えます。


内容の評価以前に私はそもそも本作の根底にある作り手の見下して舐めている姿勢がもう画面に滲み出ていて、本当に忍者にしても魔法にしてもファッションにしても、全部消耗品としてこすり倒しているだけ。
しかもこれが物語中盤以降ならともかく序盤でこれですから、もはや先行き不安を通り越して地獄という地獄を這いずり回っているようにしか見えないのが凄まじく「ニンニンジャー」だなと。
今までに比べればまあ「可もなく不可もなし」のレベルではあるのですが、前述したように作り手の価値観・倫理観がどうにも気に入らず総合評価はE(不作)となります。


忍びの10「ヒーハー!金色のスターニンジャー」


脚本:下山健人/演出:加藤弘之


<あらすじ>
お爺ちゃんが何者かに襲われた!騒然となる伊賀崎家道場。今にも飛び出そうとする天晴に、父、ツムジは、復讐のために忍者の力を使うべきではない、と諭す。皆で、その刺客をおびき出す作戦をとることにした。爺ちゃんの姿に変装して、公園で待ち伏せる。そこに現れたのは、ギターを背負ったテンガロンハットの男で……。


<感想>
戦闘力しか取り柄のない天晴、追加戦士にあっさり敗北(笑)


いやあもうね、今回ばかりは流石にちょっと気持ちがよかったというか、サスケと鷹介ですらも「先輩の余裕」としてやらなかったことをスターニンジャーがガツンとやってくれました。
数値化するなら、今後どうなるかは別としてスターニンジャーは間違いなくステータスはトップクラスに高いのではないでしょうか。
天晴以上の戦闘力と闘争心に八雲・霞レベルの技巧と知性、さらには風花と凪に近い親近感というか人間力まであるなんて、これズルくないですか?
しかもアメリカ帰りでありながら、なぜか話し言葉はべらんめえ口調という、「シンケンジャー」の寿司屋以上に盛ったやつが出てきました。


正直天晴マンセーはウザかったので、それに横槍をきっちり入れてきたのはよかったところですし、逆にここからが天晴の伸び代であると思うのです。
しかも初っ端から好天狙いで容赦なく殺しにかかるため、「爺ちゃん大好き」で頭が上がらない天晴たちと比べて明確な殺意を持っているのはよかったところ。
またそれを受けて天晴たちが報復に乗り込もうとするのを旋風が諌めるなど、とりあえず物語としてはギリギリ合格ラインというところでしょうか。
そもそも基礎土台の構築に散々失敗しているので立て直しには時間がかかりますが、このスターニンジャーの投入がどうなるかが見ものです。


まあ正直早すぎる気はしますが、ただ本作の場合そもそも演じている役者たちの演技力が微妙なのもあって30分も画面が持たないんですよね。
そこで舞台経験者で演技力がそれなりにある多和田秀弥氏を持ってきたのまあまあよかったのではないでしょうか。
彼の代表作というと「ミュージカル テニスの王子様」の七代目手塚が浮かびますが、本作の中ではビジュアルも演技力もダントツです。
後はこれで脚本・演出によるキャラ付けがしっかりして作品全体がいい感じに均されればいいのでしょうけど、そんな芸当は無理でしょう。


あんまり天晴のことをどうこういじりたくはないのですが、今回の天晴は完全なザコキャラムーブでしたね。
戦闘力ではそれなりに渡り合っていたものの、結局単独では勝てずに青と白に援護されるって屈辱ではないでしょうか。
でも正直流れがデカブレイクをはじめとする塚田戦隊の追加戦士の伝統「初登場だけ異様に強くて、それ以後弱体化」になりかねないので油断は禁物です。
敵側の牙鬼軍団の存在感がショボいため、今の所味方側の「ラストニンジャになる」以外がピンときません。


その「ラストニンジャになる」という私的動機も「タイムレンジャー」「ボウケンジャー」レベルできちんとしているわけではないというか。
公的動機に成り代わるだけの私的動機を描く場合、それ相応に筋の通った土台が必要なのですが、本作はそれすらもまともにできていないのです。
前回の感想でも言った「魔法と忍者」もそうなんですけど、ラストニンジャになって天晴たちは何がしたいのかがさっぱりわからないんですよね。
ラストニンジャになることは「手段」であって「目的」ではないというか、そこを目的に設定したなら「ラストニンジャになることでどう変わるのか?」を示さないといけません。


まあこの辺りは終盤で深刻な問題点となってくるのですが、とりあえず今回はスターニンジャーの初登場補正に免じて、そこそこ評価は高くしましょう。
少なくとも「天晴=主役、他4人=かませ犬」というヒエラルキーに一石を投じてきたので、ここからどう変化していくかを見守り、総合評価はD(凡作)


忍びの11「シノビマル、カムバーック!」


脚本:下山健人/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
スターニンジャー・キンジは道場に住み込み天晴たちの身の回りの世話を始めたが、刺客でもあるわけで皆もペースを乱される始末。一方、蛾眉は「赤いの」との再戦の舞台を整えるよう十六夜に命じた。それが出来れば牙鬼復活に専念するというのだ。誕生した妖怪はエンラエンラ、ガシャドクロも登場しアカとアオはオトモ忍を召喚する。だか、何故かシノビマルは急にUターンしてどこかに消えてしまう……シノビマルに何が?


<感想>
「嘘だ!嘘くさいフォローなんか聞きたくないよ!」


のセリフというか、今回の展開そのものこそ私が見たくも聞きたきもなかったものなんですが、作り手は本気でこんなものを面白いと思っているのでしょうか?
確かに戦隊シリーズとかだと「このキャラ空気だなあ」とか「不遇な扱いを受けてるなあ」とか思うことはありますが、まさか挙ってこんなことを言い出すとは……。
何だろう、もはや作り手の「こういうダメなとこに切り込める俺たちすげえだろ(ドヤッ」しか見えなくて、好きとか嫌いとかを通り越してただただ意味不明。
扱いが不遇なキャラがいるんだったら、不遇さを自虐ネタにして突っ込ませるんじゃなく、「成長させて活躍の場を与える」ことでやっと最適解となるわけです。


今回でいえば存在感が希薄化していた風花と凪をネタにそれをやっているわけですが、この2人が目立たないのはそもそも「キャラ自体をまともに描けていないから」でしょう。
描写だけでいえば風花も凪もそれなりに出番はあるのに印象が薄いのは役者の演技が大根だから脚本・演出ともに2人をどういうキャラ付けで描くが不明瞭なまま描いているからです。
忍者ものの資格だったり天晴の妹だったり、そういう「属性」は盛り込んでいる割にそれがきちんとキャラクターのドラマとしての芯にまでなっていないから面白くないということになります。
それに2人がコンプレックスを感じている対象となった天晴やキンジにしてもきちんと立っているわけじゃなく、ただ自己主張が激しいだけのクソガキでしかないのですがね。


それから八雲とキンジの衝突ネタにしても「シンケンジャー」の流ノ介と源太の衝突ネタを安易にパロディしたものでしかなく、その衝突が物語としての面白さになっているわけでもありません。
何やらイギリス英語とアメリカ英語の対比を作っていましたが、問題はそれが「忍者」と何の関係もないただの枝葉末節なネタで物語に広がりがないということにあります。
流ノ介と源太が衝突することになったのは当主である丈瑠の幼馴染と剣術・モヂカラが使えるだけで贔屓されていることへの嫉妬と「侍としての心構え」ができていなかったことにありました。
だから根っからの純粋侍である流ノ介にとって源太の存在は不純物であり、源太も自分のやっていることが決して「ごっこ遊びではない」と認めてもらおうとして対立することになったのです。


しかし、八雲とキンジは別にそこで衝突するような要素がありませんし、イギリス英語とアメリカ英語の違いをどうこう言ったところで別にそれがキャラクターのバックボーンになっているわけでもありません。
自虐ネタを盛り込むなとは言いませんが、自虐を自虐で済ませるのではなくキャラクターのプラスに還元して成長へと繋げていかなければ単にマイナスのまま終わってしまうことになります。
この辺りの酷さが終盤の展開では余計に深刻化してしまうのですが、早くも作品全体を腐敗させる膿をここで作り手が自ら出してしまっているというのはいいことなのか悪いことなのか……。
どっちにしても全く面白みがなく、アクション自体は面白かったのですが、せっかく追加戦士が出てくることで起こるはずの化学反応が全く面白くなかったため評価はF(駄作)以外ありません。


忍びの12「最強決戦!奇跡の合体」


脚本:下山健人/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
コクピットで倒れてしまったアカニンジャ―。まさか、タカ兄が蛾眉雷蔵に負けてしまうとは……ショックを受ける八雲たち。「心してかかれ」と祖父・好天の指令に緊張が走る。すぐには戦えない天晴の代わりに、皆は今出来ることをやるだけだった。そんな様子をみていたスターニンジャー、キンジは?


<感想>
先生!家族愛とは無縁のところにある本作で、どうすれば作品としてたどり着くメッセージが「家族愛」になるのでしょうか!?


そんなツッコミを思わずしてしまった1クール最後の回ですが、結果的には所詮ここまでの土台構築すらまともに出来ていなかったことが判明しただけとなってしまいました。
蛾眉にフルボッコにされたところからの形勢逆転、天晴が倒れたことで強まるチームの絆とそれを受けてのキンジの心境の変化、そしてそれすら全て悪事に利用する久右衛門。
状況や題材としては非常に面白くなりそうなものが揃っているにも関わらず、全部がバラバラに空中分解したまま終わるというのは一周回って新境地ではないでしょうか。
まあこの際「家族愛」に関しては、「家族愛と見せかけた天晴マンセー」ということで解釈すれば、一応筋が通っていないこともありません……全く乗れませんけどね(^^;


そもそも前回の「強くなったな、赤いの!」というセリフからしてダメダメで、ジャンプ漫画でもそうですがこの手の「強さの格が描けてない奴が「強くなったな」と強敵認定するのはダメ」というジンクスにハマることに。
急に「正々堂々とした武士道ムーブ」でカッコよさを演出していますが、こういうのはそれこそキャラクターのバックボーンと積み重ねがしっかり描けているからこそ映えるのです。
しかし本作はそもそも蛾眉のやっていることって「己の力量と相手の力量の差もわからない三下」であって、それって要するに天晴と変わらないただの武力バカなのですよね。
要するにパワーバカの力自慢でしかなく、それを迎え撃つ天晴=アカニンジャーもただのパワーバカでしかないので、パワーバカVSパワーバカの力自慢という全く物語として締まらない展開になってしまいました。


しかも、表向き凄くかっこいい風の演出をしていたから今回はどうやって乗り切るのかと思いきや、単に4人の剣の力を天晴1人に集約させてトドメを刺すという、あまりにも身も蓋もなさすぎる刺し方です。
そんなことで解決できるんだったらわざわざ天晴をボコボコにさせる意味がありませんし、むしろ「仲間達がいながらそんなことにも気づけなかった天晴がバカ」ということの強調になってしまっています。
これが「高度な次元で戦える者同士の拮抗したぶつかり合い」ならこの展開にも唸るのですが、それならそれで技や知略を使っての駆け引きをもっと描かなければなりません。
逆転の必殺技によってカタルシスを演出するというのはそこまでの積み重ねや下地の整え方が完璧であればこそ可能なのであって、本作はその積み重ねや下地すらボロボロです。


何度でも言いますが、本作は家の建築に例えるなら、基礎土台の鉄筋コンクリートや基礎断熱・ミラフォームなどがボロボロな状態で上に掘っ建て小屋を建てようとして崩れています。
1クールめでここまでボロボロだと、よほど頑張らないと取り返すのは難しいのですが、本作は決して最後まで取り戻すことのないままボロボロで全てが終わるので覚悟しておいてください。
で、結局蛾眉に勝てた秘訣は家族愛でもチームワークでもなく「天晴=主役、他のメンバー=引き立て役」を忠実に貫いた結果でしかないため、総合評価は当然F(駄作)
何が気持ち悪いと言って、誰がどう見ても天晴マンセーにしかなっていない展開を表向きいい話風に見せて美談に仕立て上げようとしているところです。

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

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