『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(2015)1〜6話感想まとめ

 

忍びの1「俺たちはニンジャだ!」

忍びの2「ラストニンジャになる!」

忍びの3「強敵、蛾眉あらわる!」

忍びの4「でたゾウ!パオンマル!」

忍びの5「宇宙忍者UFOマル!」

忍びの6「デングの神隠し」

 


忍びの1「俺たちはニンジャだ!」


脚本:下山健人/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
忍者の末裔である伊賀崎天晴(いがさき たかはる)は、4年ぶりに実家の忍術道場に帰ってきた。そこで出会う、足軽に似た奇妙な化物たち。天晴はアカニンジャーへと変化(へんげ)する!そこへ現れる妹、風花(ふうか)と、父の旋風(つむじ)。天晴のいとこ達も呼び寄せているという。一堂に会するいとこ達。イギリス帰りの八雲(やくも)、最年少の凪(なぎ)、大学生の霞(かすみ)。旋風は語る。444年前に倒した戦国最恐最悪の武将、牙鬼幻月(きばおにげんげつ)が、妖怪となって復活するという予言があるというのだが……。いよいよここに手裏剣戦隊誕生、………か?


<感想>
さあいよいよ来ました、平成戦隊の中でも世紀の大傑作もとい大駄作の「ニンニンジャー」、早速見ていきましょうか。
まずニンニンジャーといえば、やはり冒頭の実家爆発なのですが、どっちかというと「敵が恐ろしい」というより「味方側がザル警備」としか言いようがない。
だってさあ、そもそも主人公たちの父親が「牙鬼軍団復活の年を間違って覚えていた(そしてその間違った情報が天晴たちに伝わっていた)という単なる誤情報だからはないでしょ。


この時点で話に乗りづらい本作ですが、リアタイ以来何度見てもさっぱり何が何だか理解できないです……とりあえず演出とアクションのギミックだけはそこそこ面白い位しか褒めようがありません。
まず脚本もそうですが、何より役者の演技がもはや学芸会以前のクオリティで、完全に武部Pの好みの顔だけで選んだんだろうなあという…前作「トッキュウジャー」の役者陣とは雲泥の差です。
前作「トッキュウジャー」は前半割と掴みづらい脚本でイマイチだったのですが、それでも役者の演技は非常にクオリティが高く、1話の段階で既に役者がキャラをものにしている印象を受けました。
特にライト役の志尊淳君、そしてヒカリ役の横浜流星君は今や超売れっ子ですから、あの時からもう既に売れるんだろうなあというポテンシャルを見せつけてくれていたのです。


対して本作の役者陣と来たらどういうことかと……辛うじて及第点といえるのが旋風役の人と好天役の人、そして霞役の人くらいで後は軒並み壊滅状態という(^^;
タカ兄の人はファンから滑舌をいじられますが、ぶっちゃけ千葉麗子・オンドゥル語・松本寛也に比べればそこそこ聞き取れるレベルで、問題は声に迫力がないことと抑揚が全くついていないことです。
そのせいで日常的な喋りのシーンと「うおー!燃えてきたー!」「熱いなーこれ!」みたいな叫びの演技との区別がつかず、どれも平板過ぎ&大味すぎて、よくこんなので中澤監督がOKしたなと思ってしまいます。
そしてそのタカ兄以上に酷いのが八雲役の人で、顔立ちは完全に劣化中丸くんなんですが演技が完全に自己完結してしまっていて、きちんと他の役者さんとコミュニケートしようという意思が感じられません。
この2人に関しては次回で絡みがあるので詳細を書きますが、何れにしても戦隊の「華」であるレッドとブルーの演技力がゴミクズな時点で脚本や演出を見ていく以前の段階で作品に入り込めないのが辛いです。


で、その肝心要の下山脚本ですが、この人は「ゴセイジャー」の頃から当たり外れがめちゃくちゃ激しい人で、典型的な「二次創作しかできない作家」の典型で、その中でも歴代ワーストクラス。
そもそもまず「お話になっていない」のですよねこの人は……今回に関してはまず話の流れ自体がおかしくて、レッドが初っ端変身して無双するという流れ自体に乗れないのですよね。
本作はいわゆる武部Pの「ウッチーリスペクト(宇都宮Pへの尊敬)」が前面に出された作風で、話の流れが完全に「シンケンジャー」の意図的なパロディになっています。
初っ端敵を相手にレッドが無双→封印していたはずの敵が目覚める→他の4人が招集をかけられ、戦う決意をするかどうかで葛藤する→レッドを筆頭に全員が変身して戦う、という流れです。


いわゆる「宿命の戦士」という設定のパロディなのですが、シンケンレッドならともかくアカニンジャーが無双したところで全然強さが伝わらないし重みがないんですよね。
シンケンレッド=志葉丈瑠は元々志葉家当主としてシンケンジャー召集までずっと1人でナナシ連中と戦い続けていて、日夜稽古を欠かしていなかったという設定になっています。
また、彦馬爺や黒子などのお目付役がいるから当初から無双できることにも納得いくのですが、アカニンジャー=タカ兄は初めて戦う敵なのにいきなり戦い慣れているプロ感を出しているのがなあ。
かといって、ギンガマンみたいに敵の復活に備えて臨戦態勢で準備して来た感じでもなくいきなり実家に呼び戻されただけの普通のお兄ちゃんという感じだから、キャラ設定と状況が噛み合っていません。


それから、タカ兄以外の4人が宿命を拒否→タカ兄の奮闘する姿を見て「お爺ちゃんの孫なんだぜ!」という血筋を持ち出された途端に戦いを決意、という流れも全く乗れないです。
それぞれ「まだ大学生だから」「魔法の訓練中」「基礎しか修行していない」「おとぎ話で信じられない」という断り方からして安っぽいのですが、タカ兄の猪突猛進さに感化されて、というのはもっとダメ
しかもタカ兄から紡がれた言葉が「爺ちゃんへの憧れ」といった血筋に関連するものであり、逆にいえば本作はもう既にこの時点で「血筋こそがパワー!」を押し出してしまっています。
これが終盤で物凄い大惨事を招いてしまうのですが、既にこの時点でその仕込みがしてあったのかと思うと、ある意味基礎設計自体はできています、掘っ建て小屋レベルの基礎土台ですけど。


なんか、全てが「軽い」のですよね、やたらに背景設定に重いものを仕込んでおきながら、全てがその場しのぎのいい加減なギャグで乗り切っているというか。
それが例えば「カーレンジャー」のような「真面目に不真面目」のような「計算された可笑しさ」に昇華されていれば、一周回って「凄い」と思えますが、本作はその領域には至っていません。
下山氏は浦沢門下生とのことですが、師匠でありながらこの程度のものしかできないのかと私はかえって愕然としてしまいました。
何というか、「定石外し」「お約束破り」をやるのはいいのですが、本作はそれが「手段」ではなく「目的」になってしまっていて、それをやった先に生じる「面白さ」がありません。


それは役者の演技が微妙なのもそうですが、それ以上にそもそもの脚本の設計がきちんとスムーズに流れていないせいなのでしょうね……浦沢脚本も展開自体は予想外のものが多くても、流れは自然ですから。
変身後のアクションは等身大・巨大ロボ戦共に悪くないものの、上記した弱点・欠点を覆せる程のものではなく、評価としてはどう頑張ってもF(駄作)以外はつけようがありません。
昔に比べると私自身の評価も甘くなっているとはいえ、本作に関してはどうしても甘くしようがないのです。


忍びの2「ラストニンジャになる!」


脚本:下山健人/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
牙鬼幻月(きばおにげんげつ)との戦いで死んだと思われていた爺ちゃんが生きていた!驚く天晴たちを、祖父、好天(よしたか)は、新・忍術道場へと連れて行く。爺ちゃんが修業してくれるのか、と意気込む天晴だったが、好天は、どろろんと消えてしまう。後に残されているのは、五トン忍シュリケン。早速、修業を始める5人だったが……。


<感想>
そんなに忍術より魔法が凄いと思うんだったら、ニンニンジャーじゃなくホグワーツにでも行って名前を言ってはいけないあの人を倒して来い!


そう叫びたくなった今回の話ですが、えーっと……役者の演技云々以前に、そもそもまずこれ立ち上がりの段階でするような話じゃありません
今回はレッドとブルーの衝突がドラマのメインでしたが、「切羽詰まった男たちの価値観の相克」ではなく「小学生男子のしょうもない喧嘩」にしかなってない時点で無理です。
誰がどう見たって今回に関しては、八雲が一方的に突っかかっているだけで、しかもその八雲の主張や行動の示し方が余りにもアホ過ぎて、話についていけません。
それだけならまだしも、対する天晴の返し方もこれまた稚拙なもので、こちらは小学生男子というよりも幼稚園児レベルの返し方になってしまっています。


まず八雲に関しては「ラストニンジャ?興味ないな」はまだ理解できます、ありがちな「一応協力自体はするものの、全てを受け入れたわけではない」というありがちな反応です。
しかし、八雲がイギリス留学時に通っていた魔法学校がどんな学校だったのか、そしてそれが一体本作の世界観においてどんな意味を持つのかが全く説明されていません。
地球の平和を守るための力として規定されているのかそうでないのか、また何故忍術と比べて洗練されていて現代的だと主張するのかという理由も明確ではないのです。
要するに八雲の主張自体が薄っぺらいハッタリにしかなっておらず、口でそう言っているだけで実態として「魔法よりも忍術がすごい」と感じられないんですよね。


一方で天晴も天晴で考え方がものすごく偏っているというか、八雲の主張に対する返しが「八雲!お前忍法に対して、いや、爺ちゃんに対して失礼だぞ」は幾ら何でもズレ過ぎててギャグにすらなりません。
前回から見る限り、というか年間を通して天晴がおじいちゃん子として描かれているのですが、八雲はあくまで「魔法>忍術」を主張しただけで好天爺ちゃんのことを批判したわけではないのです。
それが天晴の中では「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のような考えで、忍術を否定される=好天を否定される、というあまりにもアホすぎる屁理屈で反撃しており、説得力云々以前の問題。
下山健人が書いてるのは「筋が通った理屈」ではなく「その場しのぎの屁理屈」であって、論点ずらしそのものが目的化してしまっていて、作劇として全く面白さに繋がっていないという。


そしてそんなめちゃくちゃくだらない論点ずらしの作劇にすらなってないドラマ未満を繰り広げた挙句、行き着いた結果がこれ。


「俺、本番に強いタイプだから」


はあああああああ!?わけわからんだろ!!


この後八雲と並ぶ知性派担当の霞が「天晴くんって何も悩まないですよね。それってニンジャとして一番凄いです。お馬鹿さんだからかもしれませんけど」と言っていますが、これは賞賛ではなく皮肉でしょう。
私はそもそもデカレッド辺りから目立ち始めるバカレッドが大嫌いなのですが、その理由が改めてこの天晴を見て改めてわかりました、バカレッドの実態って「アッパー系コミュ障」という奴に分類されるからです。
因みにアッパー系コミュ障とはこういう人たちのことです。


・他人に対して無頓着・無自覚
・そのため人やものを貶すことに躊躇がない
・自分に無意識の自信を持っている
・相手が認めるまで何度も主張を繰り返す
・言動による相手への不快感などの影響を想像できない
・そのため周囲が好きなものでも気にせず堂々と貶す
・他人との距離感を読まずに主張をし続ける
・声が大きい
・外野のマナーにはうるさい
・これらの症状に対する指摘に対しては非を認めない
・一方で不足の指摘自体はすることは求める、ただし聞かない
・自分本位なので相手にも自分と同じように主張することを求める
・周りと会話が噛み合っていなくとも気にせず盛り上がる
・同じアッパー系との相性は良いので集団を形成できるため、コミュ障の自覚がない


引用元:https://comilyukaizen.com/category-mind/upeer-kei-com.html


00年代で量産されていたバカレッドや中島かずき脚本の「グレンラガン」のカミナ兄貴、「仮面ライダーフォーゼ」の弦太朗もこのアッパー系コミュ障に分類されると思われます。
別にバカはバカで、例えば「メガレンジャー」のメガレッド/伊達健太のように好感や愛着の持てる「愛すべきおバカ」だったらまだ受け入れられたと思うんです。
でもタカ兄はその次元じゃなく、バカレッドのくくりで見てもデカレッドと並ぶ最底辺の奴で、何でファンからこんなのが「自分がバカだと自覚している有能なバカ」と評されているのかがわかりません
そもそも相手と話の前提が噛み合っていないのに幼稚な争いを繰り広げた挙句、そのアホさが強引に正当化されてしまうというのは塚田Pの「デカ」「マジ」「ゲキ」がやっていた地獄のパターンです。


こういう価値観の相克をパイロットの段階でいえば、記憶に新しいのはやはり「鳥人戦隊ジェットマン」の竜と凱ですが、あの2人のぶつかり合いには説得力がありました。
竜はリエを失った悲しみを抱えており、尚且つスカイフォースが全滅して小田切長官しか頼れる人がいないという切羽詰まった状況で、ほかの4人は全員素人。
で、凱は個人の快楽のために生きている男であり、そんな男がいきなり「今日からお前はジェットマンだ」と言われても「ふざけんな」となるのは当然のことです。
つまり戦士が選ばれた経緯も人生観も全く違う者同士だからあの衝突が成立したわけであり、決してシリアスめいたこと語らせてギスギスさせただけではありません。


しかし、本作の天晴たちは一応修行はそれなりにしてきた忍者の末裔で従兄弟同士、ある程度顔見知りでもあるわけなので、そもそも価値観の対立自体を作りにくいのです。
かといって全員を一様に忍者として描くとバリエーションがなくなるし偏ってしまうから、そこで八雲が魔法という異種の価値観や戦い方を入れたということなのでしょう。
それならそれで構わないのですが、それだとしたらそもそも「魔法とは何か?」「忍術とは何か?」からまずきちんと描き、最低でも1クールかけて基礎を構築してからやるべきです。
その基礎設計すらまだできていない段階でいきなりこういう小手先の応用に走るのは三流以下の素人作家がやることであり、それを仮にも戦隊シリーズというプロの作品でやってしまっています。


それに加えて天晴も八雲も演技の基礎ができておらず、全然役としての会話が成立しておらず、一方通行で流れてしまっており、中澤監督が指導してもこのレベルだと正直きついです。
ああ、そう考えると今放送中の「ドンブラザーズ」はまだ役者さんが馴染みきれていない面はあるものの、演技の基礎はできているからきちんと役としての会話はできているのかなと思いました。
前回に引き続き、全く作品として成り立っておらず、すべてがちぐはぐなまま終わってしまったため評価としてはF(駄作)以外ありえません。
一応頑張って最後まで感想は書きますが、おそらくほぼこんな評価ばかりになると思われますので、覚悟しておいてください。


忍びの3「強敵、蛾眉あらわる!」


脚本:下山健人/演出:加藤弘之


<あらすじ>
凪(キニンジャー)は参考書で忍術を勉強していた。これまでもそうやって様々な資格を取得してきたらしい。ガマガマ銃の関知で、出動するニンニンジャーたち。現れたのは妖怪カシャ!カシャリラカシャリラ 止めてみな!「傾向と対策はバッチリ!」と意気込んで向かうキニンジャーだったが・・・。やがて戦う彼らの前に、あきらかに雰囲気の違う敵が現れる。その名は、牙鬼家一番槍 蛾眉雷蔵(がびらいぞう)!


<感想>
え、えーっと……これは割とマジでどうすればいいんでしょうか?


今回の話は00年代戦隊がいくつかの例外を除いてやっていた「結局バカの理屈がまかり通ってしまう」であり、それを意図的にパロディしたものだったとしても、余りにも下手すぎて困り果ててしまいます。
どういう話かというと、凪が「実戦には教科書・参考書に載っていない想定外の事態がある」ことを学ぶ回なのですが、だからといって「教科書・参考書に意味はない」と存在そのものを否定するのはダメです。
こういうのはまず「教科書・参考書レベルのことが一通りできる」が前提としてあるからこそ、その上にある応用・発展として成立しうるのであって、最初から基礎基本を軽んじるのは三流どころか五流のすること。
2回目の魔法学校のこともそうなのですが、下山さんが提示する「この登場人物はこういう設定を持っています」が単なる記号にしかなっていなくて、バックボーンや思想そのものにまでなっていないのですよね。


しかも、それに被せてくるかのように最初の訓練で赤が「叫ぶ」という凡ミスをやらかす、黄色は敵をいいとこまで追い詰めたのにかませ犬扱い、そして何の脈絡もなく出てくる久右衛門と蛾眉。
あまりにも作り手の「これをやりたい」だけがごった煮のごとく詰め込まれていて、そこからのネタの取捨選択や「こういうテーマに沿ってこういうストーリーを展開する」という筋道を立てることができていません。
そもそも1・2話の段階で「キニンジャー=凪はどういう人物なのか?」という最低限の性格の描写すらできていないのに、一足跳びに凝ったテーマをやろうとしており、そこに持って行くまでの描写の積み重ねが不足しています。
それこそ教科書・参考書が出たので大学受験にたとえるなら、学校の授業レベルのことすらきちんと消化できておらず宿題レベルで手一杯の奴がいきなり関関同立や東京六大学の赤本に挑むような無茶具合です。


しかも、最終的に天晴と八雲が美味しいところを持って行ってしまう構造になっているので、凪の途中の活躍は毀損されてしまっているという、一番やってはならない脚本の見本市。
脚本家ないし作家を目指す方々はこういう脚本は書いてはいけないということにもなっているのですが、もしかしてラストに妹から「天晴=反面教師」と言わせているのは下山脚本が反面教師であるという自虐なのか?
そしてその天晴ですが、あんだけ周囲からミスを責められているのに何の反省もは謝罪もない上に、強い敵が来たからとにかく倒すぜ!で全部を押し切ってしまうという典型的なバカレッドコース一直線です。
別に力押しでもいいのですが、その割には「忍者としてのレベルが低い」「自分が文句つけられると反抗しまくる」「話を聞いているようで全く聞いていない」と全く成長が見られません。


戦闘狂なら戦闘狂でどこぞの地球育ちのサイヤ人みたいに根っから突き抜けていれば認められますが、でもあいつはあいつで少なくとも原作漫画では徹底したクレバーな戦闘の天才として描かれていました。
だから、細かいことや複雑な思考はできていなくとも、発想力が柔軟かつシンプルに強く無駄な戦いをしないというキャラが上手く成立しており、決してバカではなかったのです。
しかし天晴がそのような戦いの天才として描けているかといえば、現段階では少なくとも「周囲を引き立て役にして強く見せている」という風にしか見えません。
しかもこれが最終回まで一貫して続くものですから、なぜか悪い部分だけは一貫しているのが「ニンニン」クオリティ。


天晴のことを「バカなようで天才」と見せたいのか、それとも「天才のようで意外とバカ」と見せたいのか(前者と後者ではだいぶ印象が違う)、また単細胞熱血なのか合理主義者なのか余りにもチグハグです。
アクション自体は悪くないのですが、ただ派手なアクションがあればいいというわけではなく、そこに「キャラクターの良さ」をしっかり物語として乗せるからこそいいアクションになるのではないでしょうか。
さらに八雲も八雲で「ただ魔法学校出身でマウントを取る痛い人」にしかなっておらず、早くも暗雲が立ち込めており、評価はF(駄作)でしかありません。


忍びの4「でたゾウ!パオンマル!」


脚本:下山健人/演出:加藤弘之


<あらすじ>
今日も修業に励むニンニンジャーたち。チームプレーの訓練だったが、天晴が暴走して、だいなし。一人だけ別修業となってしまう。「俺の何がいけないってのかなあ……?」考えても答えはすぐには出ない。祖父からの伝言、「忍タリティを高めよ!されば封印の手裏剣はお前たちの力となる!」も気になるところであるが……。


<感想>
えーっと、そもそも忍タリティって何?それとおでんと何の関係があるの!?


4話目にして早くも危険信号が出ましたが、そもそもおでんってゆで卵が主役で他が引き立て役でしたっけ?
相変わらず話のチグハグさに呆れる他はなく、この見せ方だと結局単なる天晴マンセーをしているようにしか見えないのですが……。
敵の体内に囚われたという状況なのに全く緊張感がない上、最終的に自力で脱出しているために八雲たちが作戦を立てた意味が全くありません。
しかもその八雲自体も霞が突っ込んでいたように、天晴の勇気と無謀を履き違えた作戦を考案しており、全くついていけず。


ゆで卵だけを単品で食べても意味がなく、他の具材も引き立てあってできている、というたとえはベタながらいいと思うのですが、天晴の場合はまずそれ以前の人間性を根本から再教育しないといけないと思います。
まず天晴が卵だけを食べ続けるのはいわゆる「偏食」というものなので「好物」以前に指導が必要なものであり、一体好天といい旋風といいどういう教育を天晴に施したんだ!?
それから、天晴が出した結論が「他の具材も一緒に食べたほうが美味い」はいいとして、それが「チームワークの大切さ」と何ら関連性のない結論になってしまっているのも難点です。
例えば、おでんの具材を見て「八雲は〇〇」みたいにメンバーのことを連想するとか、1人では脱出できなくてもチームならできることを天晴が学ぶ・自覚するという展開ならわかります。


しかし、実際は結局好天爺ちゃんに甘えてしまっており(火と風の組み合わせは悪くないが、そもそも好天に頼っている時点でダメ)、そこから何の学習もしていないのです。
前回に比べると、ストレートに「天晴の学習能力のなさ」「独断専行」という部分に突っ込んだにもかかわらず、結果的に仲間たちすら全て自分の引き立て役にしてしまっています。
別に引き立て役にするのはある程度許せますが、それにも許容範囲というものがあるわけで、毎回こうも戦隊の本質である「団結」「チームワーク」を軽んじる風潮は大嫌いです。
こんな脚本じゃそりゃあ成長せんわな役者たちも……それにスタッフの演技指導も凄く甘いようですし、もう現場のコンセンサスの取れてなさが透けて見えます。


腹の中に閉じ込められたのを突き破って脱出というと、「ダイレンジャー」のシシレンジャー=大五と孔雀を思い出しますが、あれがものすごくカッコよすぎた反動もあり全くかっこよく見えません。
総合評価はF(駄作)、おそらく本作はここからよほどのことがない限りこの評価から脱却することはないのではないでしょうか。


忍びの5「宇宙忍者UFOマル!」


脚本:下山健人/演出:渡辺勝也


<あらすじ>
妖怪が出現!駆けつけた先にいたのは、妖怪ウンガイキョウ。ユーモラスな顔をした妖怪は、子供たちに風船を配っているだけで、特に悪いことはしていない。どうしたものか…。そこへ遅れて駆けつける霞。大学の講義中で遅れたという。忍者との両立に苦労しているのでは、と心配した八雲は……。


<感想>
今までと比べると一応「お話」にはなっていますが、この作品SFにしたいのかファンタジーにしたいのか、益々わからなくなってしまいました。


とりあえず今回わかったことは一見理論派のようでいて実は湿度が高い八雲、それとは反対に一見感情的なようでいて意外とドライな霞という色分けが見えたことです。
この2人に関してはある程度擬似的な恋愛要素も入れつつ早めの段階で関係性を築いてはいるのですが、最終的に霞が1人で乗り越えているために八雲の心配が一方通行でしかありません。
それがネタになるくらい八雲が強ければいいのですが、残念ながら八雲はこれまでの描写で判断すると「模擬テストでは優秀だが実戦ではいまいち」という感じになってしまっています。
尚且つ、霞の「科学者を取るかラストニンジャを取るか」というのも、そもそもなぜ科学者の道を歩みたいと思ったのかがわからないため、どうにも唐突な印象は否めません。


ただし、面白かったのは「とにかくさー、色々、与えすぎだよ。俺の時とはまっったく違う。幾ら何でも甘すぎるんじゃないか?」「なーに、 甘いのもここまでじゃ」という好天と旋風のやり取りです。
今までこの2人の直接的なやり取りは描かれてませんでしたし、また旋風のセリフがまんま「ニンニンジャー」がどんな戦隊かをある意味で皮肉ったセリフになっています。
下山脚本は基本的に高く評価していないのですが、こういうところだけはたまに浦沢門下生というのを感じさせますが、これって要するにゆとり教育への皮肉なんでしょうかね。
以前にTwitterのスペースで黒羽翔氏が「ゆとり教育とは実質「甘やかし教育」である」と言っていたのですが、ことニンニンジャーに関しては本当に甘やかしているようにしか見えません。


演じている役者さんも基本的に世代がゆとり世代以下の人たちばかりですし、未だにこの演技力のズタボロ具合からもスタッフから甘やかされてぬくぬくやってるんだろうなあと。
もちろんゆとり世代だからと一括りにするのも問題ですが、本作に関してはマジで作っている側の考えが根本的にゆとり側に寄り過ぎてしまっていて、それがそもそも好きになれない要因かもしれません。
特に天晴を見ていると、本当に与えられ甘やかされるのに慣れすぎてしまい、ちょっと欠点を他者から指摘された程度で逆切れし、そんな自分を正当化する様なんて本当にゆとり世代の悪い特徴が出ています。
神輿に担がれ、祭り上げられてヒャッハーできる天才系レッドなんて単なる過保護な甘やかし以外の何物でもないと思うのですけど、これが今の戦隊の目標値なのか、低いなあ。


しかも、肝心要の蛾眉雷蔵との約束もすっぽかしていますので、これは幾ら何でも「バカだったから」では許されないレベルで、約束や義理を果たせないレッドは大嫌いです。
それから、霞以外が実は妖怪が仕掛けていたのが罠であることに気づいていないというのも無理があり過ぎる展開で、この戦隊はマジで脳筋かバカか天然しかいないのでしょうか?
知略担当を霞1人に押し付けてしまっている気がして、逆に霞(というか山谷花純氏)に若干同情を禁じ得ない状態になりつつあります、こんなクソ脚本でクソキャラを演じなきゃいけないんですから。
かといって、今回の目玉であるUFOとの繋がりがあるわけでもなく、総合評価はE(不作)というところでしょうか。


忍びの6「デングの神隠し」


脚本:下山健人/演出:渡辺勝也


<あらすじ>
忍術中間試験!燃える天晴、クールにふるまう八雲、はたしてその結果は?一方、アカニンジャーとの勝負をすっぽかされた蛾眉は、再戦の場を整えるよう、妖怪テングに指示した。テングは策略として、シロニンジャーを連れて行ってしまった!助けようと急ぐ天晴の前に十六夜が現れる。祖父、好天もその場に来て……。いよいよ対峙する、十六夜 VS ラストニンジャ!


<感想>
「俺たち1人ずつではまだ力が足りない。でも5人の力を合わせれば、あいつを倒せる。1人で背負い込むな!」
「そっか、そうだった。お前達はがんもや大根、俺は卵だ!」


天晴さん、それはつまり「俺は主役、お前らは引き立て役(かませ犬)だ!」という実質の俺TUEEE宣言と受け取ってよろしいでしょうか?(悪意)


そんな今回の話ですが、前回は「少しだけ」話になっていたっぽく見せましたが、今回はやっぱりいつもの下山脚本だなあなんて思ってしまいました。
蛾眉と天晴の因縁をきちんと拾ったのはいいのですが、風花を囮にする意味が全くなく、またチームワークの大切さを訴えようという見せ方があまりにもしらこくて萎えます。
おでんネタなんて物の例えであって別に伏線回収するほどに大事な要素じゃありませんし、そんなに再三「チームワークが大事」と訴えるとかえって「団結」「絆」という要素が薄っぺらく見えるのですよね。
チームワークが大事、というのは戦隊シリーズの本質の1つではありますが、あくまでも必要条件であって十分条件というわけではなく、自立した個人であることも同時に大切です。


また、ここまで描かれてきたニンニンジャーの個々の関係性自体が団結云々というよりは、如何にして周りの仲間を出し抜くかという競争的な要素が強く描かれています。
その結果として戦闘力だけが異様に突出した天晴が持ち上げられ、ほかの4人がかませ犬もとい引き立て役という扱いにしかなっていないのが致命的なマイナスです。
風花を攫ったのもおそらく「妹が拐われたらさしものバカな天晴でも動揺する」というネタにしたかったのでしょうが、これまで天晴が妹を大切にしてたような描写も特に存在しません。
基本的にはラストニンジャになりたいじいちゃん子でしたから、ここで持ってこられた兄妹愛があまりにも唐突すぎて全く乗れません。


何だろうなあ、天晴はよくファンから「自分がバカだということを自覚して、周りに任せることができる器の大きい人」という謎の評価をされることが多いのですが、ここまで見てきた描写から判断するとそうは見えません。
どちらかといえば、ただ一人で突っ走っては痛い目に遭い、それを仲間たちが尻拭いして甘やかしているだけ、もしくは一人で無双して仲間たちを引き立て役にしている印象が強いのです。
また、蛾眉自体もその場だけを切り取って見ると強そうなのですが、そもそも幹部としての指揮能力などに優れているわけでもなく、単なる戦闘狂というぼんやりしたイメージしかありません。
そんなやつに苦戦したところで大したカタルシスは得られませんし、むしろ「天晴1人じゃ敵わないから5人で袋叩きにする」というリンチの構図にしか見えないというのがありありと。


最初からそうなんですが、どうしてこうも本作はまだ基礎もきちんとできていないFランクラスの偏差値の学生がいきなり東京六大学クラスの難問に挑むなんて無謀な挑戦ばかり繰り返すのでしょうか?
そしてその度に毎度墓穴を掘ってE判定しか貰えないという、どう考えても大学合格できないダメな受験生のあり方を表したような内容にしかなっていません。
総合評価はもちろんF(駄作)、よくこんなレベルでメインライターを任せてもらえるなあと逆の意味で感心してきました。

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

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