『星獣戦隊ギンガマン』(1998)31〜36話感想まとめ

 

第三十一章「呪いの石」

第三十二章「友情の機動馬」

第三十三章「憧れのサヤ」

第三十四章「不死身のイリエス」

第三十五章「ゴウキの選択」

第三十六章「無敵の晴彦」

 


第三十一章「呪いの石」


脚本:小林靖子/演出:小中肇


<あらすじ>
鋼星獣がギンガマンの仲間入りを果たしてしまった最大の過失の責任として、ゼイハブはイリエスに対しダイタニクスの復活が一日遅れるたびに褒美の金貨を一枚減らすと言い渡す。一方ギンガマンの方では、ハヤテが珍しく勇太と2人で買い出しに出るが、ハヤテが勇太に説いたのは「戦士の心構え」ではなく「ごく当たり前の日常を大切にすること」だった。勇太がもっと戦士に相応しいもの教えて欲しいとハヤテにすがって歩いていると、新しく開店した占いの館に出くわす。そこはイリエス魔人族のガーラガーラがダイタニクス復活のために仕掛けた罠であり、ハヤテと勇太はそうとも知らず占いを受けてしまう。


<感想>
今回は実に二十一章以来となるハヤテメイン回ですが、シェリンダとの因縁に加えて今までありそうでなかった勇太とハヤテの一対一の絡みがしっかり描かれています。


思えば本作で勇太と一番絡んでいるのはリョウマですが、ゴウキやヒカルともそれぞれのメイン回で一回ずつは絡んでいて、距離感の取り方もまた違うんですよね。
これまで絡んできた回から印象で判断すると、勇太くんの中のメンバー評はこんな感じ。

 


こんな感じでしょうか、サヤとはまともに一対一で絡む場面がありませんし、ヒュウガもあくまで「リョウマのお兄さん」というだけで、特別に仲がいいわけではない。
そう見ると勇太くんの交友関係の中でどうしてもリョウマが絶対的存在になるのですが、そこでもう1人ハヤテはどうなんだろう?というのが今回の趣旨。
ハヤテの冷静さや落ち着きはヒュウガのそれとは異なるもので、常に慌てない冷静さを真似しようと思ってもうまく行きません。
それどころかヒカルから「ハヤテのあれは性格だから真似しようと思ってできるものじゃない」と窘められてしまいます。


そして今回の占い魔人ですが、これまで微妙な作戦ばかり続いていたイリエスが何と割と作戦が通用するようになってしまいました。
しかし、そんな状況においてもハヤテは淡々としているので、勇太はつい堪えきれず感情が出てしまうのです。


「そういうの冷たいって言うんじゃないの?!」
「……勇太」


これはまんまヒカルとサヤが第十三章でリョウマを厳しく窘めたモークに対して言った時と似たようなものですが、それとはまた少し違います。
ハヤテの場合はモークと違ってやや説教癖が強いだけで、決して無感情というわけではないと思うんですよ。
ヒカルへの説教だってヒカルに成長して欲しいからいうのであって、単なるいじめっ子じゃありませんし。
基本的にハヤテは滅多なことでは怒らず理性的である、というのがリョウマとの最大の違いでしょうか。


この辺りはおそらく勇太くんの中で無意識にリョウマとの比較もしていると見受けられます。
何か言いかけるハヤテだが、そこへ雪辱に燃えるシェリンダがいつものテーマ曲とともに登場しました。


「ギンガグリーン、貴様のトドメは私が刺す!」
「勇太、離れてろ。ギンガ転生!」
「その体では満足に戦えないだろう。だが手加減はしない。それが宇宙海賊の流儀だ!」


ここからハヤテとシェリンダのリターンマッチとなるのですが、ハヤテが右足と左手を石化されていて満足に動かせないために、シェリンダに足蹴にされてしまいます。
この状況はもしかすると第二の天堂竜コース(元恋人に足蹴にされてしまった結果ドMに覚醒する)かと思わせておいて、勇太くんがここでまさかの体当たり!
勇太くんの活躍を振り返ると、これまで第七章の投石、第十七章の自在剣機刃による破壊工作、さらに第二十八章で体当たりとターニングポイント別に活躍が織り込まれています。
私はリアルタイム当時最終決戦でついに星獣剣を使えるようになるのではとまで思ってしまったのですが、ここでハヤテのドM覚醒を避けられたのは良かったです
もはや完全にギンガマンの一員と化している勇太くんですが、改めてハヤテはこのように言います。


「大丈夫、残された時間はある。まだな」
(あの時、ハヤテは1時間しかないって言ったんじゃないんだ。1時間もある、って言いたかったんだ、大丈夫だって。そうだよ、 どんな時でもチャンスとか出来ることって、きっと残ってる。ハヤテはそれを信じてるんだ。だからいつも冷静でいられるんだ!)


ハヤテの冷静さは無根拠だとか冷血漢だとかではなく、きちんとその裏に根拠があって言ってることであり、根底的にはリョウマたちと同じなのです。
第二章でも置かれた状況を冷静に分析しつつも、あくまで前向きに戦う姿勢はリョウマたちと一緒というポイントが的確に示されたのも好印象。
ただし、ハヤテの優しさはリョウマやゴウキのようなわかりやすい優しさではないし、ヒュウガ兄さんのような巧みな人心掌握でもありません。
優しさを冷たく厳しく表現するのがハヤテという人なので、どうしても勇太くんには取っつきにくい人だという印象があったのでしょう。


ここからさらにハヤテは機転を利かせて、封印によって赤化した手でシェリンダの剣を受け止め、その後勇太くんはシェリンダの攻撃の巻き添えを食らってピンチに陥ります。
ここで秀逸なのが勇太くんがどれだけ活躍しようとその後はすぐにピンチとなるところで、あくまで勇太は等身大の小学生に過ぎないという見せ方が秀逸。
何がすごいと言って、単なる賑やかしの子供レギュラーに終わらず、狂言回しからヒーロー、ヒロインまであらゆる顔を備えているところが勇太くんの素晴らしいところです。
歴代戦隊で子供のレギュラーキャラとなると「ゴーグルV」のコンピューターボーイズ&ガールズや「ダイナマン」の夢野発明センターへ遊びに来る子供達を思い出します。
他にも「カーレンジャー」の市太郎くんや「メガレンジャー」のタケシくん辺りでしょうが、勇太くんほど大きく印象に残ってないんですよね。


やっぱり視聴者代表視点をになっているだけではなく、リョウマの前では強さに憧れる少年、父親にはやや厳しい態度の息子、そしてゴウキを逆にリードしてあげる優しい子供といろんな顔を見せています。
しかも頭の回転も速く人情の機微も小学生ながらに理解できるほど頭がいいので、ちょっとでき過ぎている気はしますが、やはりリョウマやヒュウガと並んで非常に完成度の高いキャラクターです。
で、ここからがさらなる今回の白眉なのですが、封印の解除には成功したものの、瓦礫の下敷きになってしまった勇太を見て珍しく取り乱すハヤテがしっかりできた表現でした。
勇太はとっさにベンチの下に隠れて下敷きを回避し、今回ハヤテから学んだ冷静さの本質を学んで実践、そしてハヤテをいつになく愛おしく抱きしめるところが素晴らしい。


「ハヤテ、どうしたの?」
「良かった、良かった勇太!」
「ハヤテ、ごめん」


こうして改めて「雨降って地固まる」な感じで深まった2人の関係ですが、とにかく良かったのは勇太くんが一方的にハヤテから教わっただけに終わっていないところです。
ハヤテはミハルという婚約者がいることもあって、将来勇太のような息子を持つことになるから、リョウマとはまた違った感情を勇太に対して持っているのでしょう。
リョウマから見た勇太は幼かった頃の自分を見ているようであり、素直に慕って来る少年だから優しく、そして時に厳しくリードする、まさに「兄と弟」の関係性。
それに対してハヤテと勇太は「父と息子」のような感覚で、どこか慈しむように勇太のことを愛している部分があり、それがこの抱擁でしっかり示されています。


ハヤテの責任感の強さや冷静さは思えば元来持っている性格だけではなく、何よりもミハルという婚約者がいることでメンバーの中で一足早く責任感が芽生えていたのでしょう。
ヒュウガの場合はリョウマをリードしていくことと「炎の戦士・ギンガレッド」の元々の資格者だったことから生まれる「戦士」としての責任感の強さです。
同じ「最年長で責任感が強い」というキャラ付けでも、ヒュウガとハヤテでは立ち位置も中身も異なるものとして書き分けているところが小林女史のキャラ付けの妙味。
勇太がハヤテから、そしてハヤテもまた勇太から学ぶことで成長しているというのがいいところで、成長要素が比較的薄いハヤテも違った角度で成長しているのだなと。


「ハヤテ、リョウマたちと合流できるか?敵はかなり手強いんだ」


ここで改めてモークの冷静さも織り込まれるのですが、モークの冷静さは「人間ではない司令官」だからこそ来る冷静さであり、同じ「冷静」でも描き方はまるで違うのです。
そしてハヤテと勇太はそのままシェリンダを放置プレーで置き去りにするのですが、これがまたシェリンダの恨みを買うことになってしまいます。


「待て!ギンガグリーン!戦え!戦え、戦え!」


もはや壊れた機械のように「私と戦え!」しか言えなくなっているのですが、普段がNo.2の抑え役として機能しているシェリンダがハヤテ絡みだと感情むき出しなのもポイントです。
この辺りはハヤテと対照的なキャラ造形を狙ってそうしたのでしょうが、「冷静なように見えて奥底は意外に感情的」というのがハヤテとシェリンダに共通しています。
しかし、その上で決定的な違いはシェリンダは「欲」を剥き出しにしているのに対して、ハヤテは決して欲に流されることなく強烈な自意識でコントロールしていること。
この場合は状況が状況だけにシェリンダに構っている暇はないのですが、もう1つ重要な事実が隠されていて、それが序盤にも書きましたがギンガマンはあくまで「組織戦」としてバルバンを見ていることです。


だからハヤテにとってはシェリンダも結局「倒すべき敵」の1人であって、因縁こそつけられたとしても、そのシェリンダとの関係に特別な執着はありません。
しかし、シェリンダは何としても自分に意識を向けさせたいがために、事あるごとに執着する…シェリンダの場合ハヤテと違って守るべきものや人がいないのもありますが。
このハヤテとシェリンダの関係性をさらに突っ込んだのが「シンケンジャー」の茉子と太夫になるのですが、茉子は太夫の深淵を覗いたことで「同病相憐む」になったのが違いかなと。


その後はいつも通り黒の一撃とギンガの閃光で仕留めての巨大ロボ戦なのですが、ここから先の巨大ロボ戦は終盤のダイタニクス戦と地球魔獣戦を除いて基本つまらないです。
まあ元々本作は巨大ロボ戦を売りにした作品じゃないですし、私も巨大ロボ戦は基本的に作品評価の上では重視していないのですが、ここからのギンガイオーは基本かませ扱いなんですよね。
鋼星獣を活躍させるための引き立て役扱いでフィニッシュだけを飾る形になってしまうので、前半の無双ぶりが嘘のように弱体化してしまいます。
この辺りは本作の数少ない反省点・欠点として残ってしまい、それを見事に解消したのが翌年の「ゴーゴーファイブ」になるのですが。
ただまあドラマが非常に面白い出来ですし、小中監督の演出も初登板にしてはしっかりできていたので評価はA(名作)でしょうか。


第三十二章「友情の機動馬」


脚本:武上純希/演出:長石多可男


<あらすじ>
リョウマは街中で偶然ぶつかった女子高生の百合子を助けたが、それを見ていた兄の一郎からリョウマが百合子を襲ってると勘違いして殴ってしまう。しかし、側に居合わせた勇太の説明で誤解は解け、リョウマはシルバースター乗馬倶楽部に案内したり、逆にリョウマが兄の一郎からバイクを紹介してもらったりと仲良くなった。一方、バルバンではイリエスがメドウメドウの妹であるメルダメルダを送り込んでおり、いろんな人を襲撃していた。ある日、シルバースター乗馬倶楽部からの帰り道、百合子は敵の能力によりペンダントの中に閉じ込められてしまい、またもや一郎との関係がギクシャクしてしまうが…。


<感想>
本作最後の武上脚本回となりましたが、ここに来て鋼星獣に続いて「バイク!?」というのはどうかと思いますが、今回新たに登場したのが…ギンガの光を1つに集めることで形成されるガレオパルサー。
どういう機能のバイクなのかというと、こちらです。

 

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完全に体当たり用に特化したロードセクターの発展形であり、全身をそのバイクの中で保護して突撃という身も蓋もないもので、これだけは劇中で一回も負けたことがありません。
敵であるメルダメルダも一郎もバイク趣味だったそうですが、バイクというとサンバッシュを思い出すので、サンバッシュ編でこれを出してくれればなあと思ったものです。
敵側が単にバイクが趣味だったからというのはどうかと思いますが、ただし本作の大事なポイントである「パワーアップと物語上の意味づけ」はしっかりと守ってくれてていました。
その点だけでも非常に大きいところで、リョウマと一郎の友情の象徴として、新たにギンガの光から誕生させるというロジックは発想の転換として上手かったと思います。


というか、ギンガの光は持ち手の才能次第でいかようにも姿を変えうるチートスペックなのですが、その代わりリョウマしか乗れないという形でうまく制約を持たせました。
どれだけ売れたかはわかりませんが、獣装光ギンガマンとはまた異なるギンガの光の強化形態をしっかり作って幅を広げてくれたのは大きいかなと。
それから一郎と百合子の兄妹との友情ドラマに関しては月並みではありますが、まあまあ印象に残る回ではあり、この一郎を演じている役者さんがまたとても爽やかな人なんですよね。
ちょっと直情径行なところが玉に瑕ですが、一度和解してしまえば決して後腐れもなく「ありがとう」を素直に口にしますし、同じ爽やか好青年のリョウマともすぐに仲良くなれました。


また、女子高生である百合子の淡い恋も描きつつ、そこで簡単に恋愛に持っていかれるのは嫌だったので、絶妙に避けてあくまで淡い恋に収めて「友情」として収めたのも好印象。
というか、本作において恋愛関係は基本的にハヤテとゴウキでお腹いっぱいなので、これ以上恋愛戦隊にしない意味でもリョウマにラブロマンスを持ってこなくてよかったと思います。
ただでさえリョウマには兄のヒュウガ、そして勇太くんを中心に人間関係は充実しまくっているので、今更そこで恋愛要素を持ってこられても微妙ですし。
内容としては可もなく不可もなしといったところですが、個人的にリョウマが初めて勇太くん以外の一般人と関係性を築いたこと、そしてその関係性の構築がよかったことも込みで評価はC(佳作)とします。
かなり淡白な感想となってしまいましたが、内容的にはかなり薄いので、まあ高く評価してもこのくらいかなと。


第三十三章「憧れのサヤ」


脚本:小林靖子/演出:辻野正人


<あらすじ>
八百屋の息子である恭平が学校の帰り道に常連で来てくれるサヤと出くわし、実はかねがねさやに惚れている。彼はサヤが忘れていったタマネギを届けることになったのだが、そこでサヤから「木登りしないか?」と勧められた。しかし、恭平は木登りが子供っぽくてカッコ悪いことだと思ってしまい断る。一方バルバンの方では作戦失敗続きによりもう後がなくなったイリエスが自分の切り札にして弟でもあるデスフィアスを繰り出し、人々に嘆きの仮面を被らせて泣かせる。リョウマたちも仮面を被せられて泣き顔にされてしまうのだが、頼みの綱がさやしかいない。サヤを追って来た恭平が彼女にいいところを見せようとデスフィアスに立ち向かうが…。


<感想>
さて、今回は第二十七章以来のサヤメイン回ですが、小林女史が書いたにしてはどうにもなあ…という感じで、荒川脚本や武上脚本よりはマシですが、やはり展開的には今ひとつ面白みがありません
というのも、こういう「子供たちを優しく導く戦士」に関しては第一章の段階からリョウマと勇太を通じて丁寧に描いて来たことであって、恭平くんのキャラクターが勇太ほどの存在感がないんですよね。
また、サヤが実は八百屋の常連だったというのもかなり唐突な後付設定になった感じは否めず、どうにも苦しい展開が多く、その場で取ってつけた感じがしてしまいます。
そもそもここまでサヤメイン回はサブライターの武上氏と荒川氏しか書いていないので、小林女史はほぼノータッチのまんまここに来ているんですよね。


「恭平、格好いいとこあるじゃない」
「え?」
「出来ないって正直に言うの、凄く勇気がいるもんね」
「サヤ」
「無茶する恭平より、今の素直な恭平の方が好きだよ!」


この辺りも単独で見れば「少年に優しいお姉さん」という、まあ今風にいえば「おねショタ」みたいな展開なのですが、サヤのキャラクターの根本がよく分からないのでリョウマの劣化版という印象に。
強いてサヤのキャラの軸を挙げるとすれば、以前にも書きましたが「ヒュウガへの恋心ともつかない憧れ」であり、しかしその方向で活かそうと思うとリョウマが障壁として立ち塞がるんですよね。
また、いわゆる料理や花を愛するなどもゴウキが担当していますし、かといって今回のような未熟な少年を導く役もリョウマがよりうまくやっているので、結局彼女のキャラ立てになるものが何もないという。
女らしくいようとするわけでもないので、どうにもサヤに関しては作り手からスポイルされてしまった印象で、サヤのキャラ立ちが上手くいかなかったのもまた本作の数少ない欠点の1つです。


また、恭平のキャラクターもまたバックボーンが不足している感じが否めず、八百屋の息子でサヤに憧れを抱いていること以外にないのがどうしても痒いところに手が届いていません。
例えば恭平が勇太のクラスメイトで、勇太の紹介を通してギンガマンを知ったとか、恭平も最初は「嘘だ」とバカにしつつも戦いの中でギンガマンの凄さを知って行くとかでよかったはずです。
それが無理なら恭平なんて突発的なゲストキャラを出さずに、勇太とサヤを絡ませる展開でもよかったはずで、その辺りから見てもかなり詰めが一歩も二歩も足りないエピソードとなってしまいました。
サヤと恭平、2人のキャラクター強度の弱さに加えて、それがギンガマンらしいヒロイズムにつながるわけでも世界観の拡張につながるわけでもないという、奥行きや深みのなさが出ています。


まあただ、面白いところがないわけでもなく、ギンガマンの男性陣がこぞって泣き顔の演技に挑戦しているところは迂闊にも笑ってしまいました。
特にリョウマは笑顔、ハヤテは渋い顔が似合うので、どうしてもこの態とらしい泣きの演技が普段とのギャップで相当面白いことになった感じです。
ちなみにゴウキだけは全く違和感がないのですが、演じる照英氏はそもそも泣き顔が一番絵になる人なので、泣きの演技をさせたら本作で彼の右に出る者はいません
それからもう1つ思ったのですが、イリエス魔人族が持っていた「人々の負の感情を集める」は後年の臨獣殿アクガタや外道衆が得意としていたことでしょうか。
あちらは嘆き悲しませること自体が目的であるのに対して、こちらは嘆きや悲しみをダイタニクス復活のエネルギーとする、という違いはありますが。


内容的にはまずまずといったところですが、戦士に憧れる少年という話としてはイマイチだったので、評価はE(不作)となります。


第三十四章「不死身のイリエス」


脚本:小林靖子/演出:辻野正人


<あらすじ>
ゼイハブはとうとう後がなくなったイリエスに自ら出陣する代わりに、作戦成功したら金貨を倍にすると海老で鯛を釣る提案を行い、イリエスは意気揚々と出撃していく。イリエスは9000人分の血をダイタニクスに送ることで復活させようとするが、実はゼイハブの中ではとっくにイリエスの信用残高はなく、遅かれ早かれ損切りするつもりだったのだ。一方でギンガマンはイリエスの作戦を阻止しようと駆けつけると、塔の中には変身解除する特殊な結界が貼られていて、生身で戦うしかなくなってしまう。更に彼女はこれまでの倒された魔人たちの怨念を魔術によって取り込み、邪帝イリエスへと変身したのだった。


<感想>
今回の話はイリエス編の最期にして実質の3クール目完結となりましたが、流石に幹部の退場だけあって非常に濃密なエピソードとなっています。
幹部決戦編を長石監督以外の人が担当するのは本作だとここが最初で最後ですが、まずは冒頭のシーンから1つ1つをチェックしていきましょう。
まずはバルバンのシーンから始まりますが、まずゼイハブがバットバスとビズネラからダイタニクスの体が腐ってることを知らされ、一計を案じます。
そこでイリエスに自ら出撃することを促し、成功したら金貨を倍にするという「海老で鯛を釣る」作戦で出撃させるです。


「わかりましたわ。命を賭けた最高の魔術の力、ご覧に入れましょう」
「命を賭けた、か……期待してるぞ」
「私が死ぬと思ってるならお生憎よ。宇宙で最強の魔術を極めたこの私はたとえ死んでも何度でも復活できるわ。ほほほほほ」


この展開、あまりにもゼイハブたちの対応が温厚すぎるので、おかしいなあと思っていたのですが、その後すぐに真意が明らかとなります。
裏でこっそりゼイハブと腹心の部下であるバットバス、シェリンダが今回の命令の意図を話すのです。


「イリエスはたとえ死んでもその魂を魔力の塊にして遺す。何度でも復活する為にな。だが、それだけ強力な魔力の塊なら、ダイタニクスが腐ることぐれえは止められるってもんじゃねえか?しかしだ、イリエスのあの欲深さと小狡さは始末に終えねえ。どっちにしろ奴はここまでだ。そうなりゃ今度はてめえの出番よ、バットバス」


そう、サンバッシュやブドーの時とは明らかに対応が違っていて、サンバッシュやブドーの時は明らかに厳しく追及していました。
特にサンバッシュは「てめえ指詰めるか?」レベルの恫喝をしており、ブドーに至っては最終的に牢獄入りとなるのです。
しかし、それはゼイハブが決して裏切りを働かない部下だと信用したからであって、期待の表れでもあります。
一方のイリエスはというと、お金に目が眩む上に私情で仲間を裏切り組織に不義理を働く可能性がある厄介な相手です。
しかもそこで言外にブクラテスを除け者にしているところもポイントで、この前振りがラストの方で生きてきます。


あれだけ厳しい船長がイリエスに対してだけは妙に優しく対応しているなと思ったら、やはりその作戦には裏があってのことでした。
しかし、それに気づいておらず掌の上で踊らされているだけのイリエスはやる気満々で前に出ていて、ここもやはりサンバッシュ、ブドーの時と同じ構図です。
要するに後がなくなった幹部たちが決死の覚悟で飛び出て戦うということなのですが、イリエスはその2人とはまた違う変化をつけています。


「ようこそ、ギンガマン。我が生け贄の街に」


サンバッシュやブドーと違い肉弾戦で戦っては負けてしまうことが第二十八章で証明されたので、イリエスは流石に同じ轍を踏みません。
これまでに散っていった部下の魔人たちの怨念を取り込み、全身に魔人の仮面がついた遺影フォームもとい邪帝イリエスへとパワーアップ。
しかもそこには特殊な結界が貼られているので、ギンガマンたちは対応できません…というか、これガチの遺影フォームだから困ります。
ちなみに本作より11年後と13年後に今度はヒーロー側が遺影フォームを出すようになるのですが、まずは「仮面ライダーディケイド」の遺影フォームがこちら。

 

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続きまして、「ゴーカイジャー」の遺影フォームがこちら。

 

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うん、あまりにも全身お面だらけでマジキモい!(笑)


というか、絶対ディケイドのコンプリートフォームとゴーカイシルバーゴールドモードは邪帝イリエスからパクってきただろうと。
特にゴーカイシルバー遺影フォームは同じ宇宙海賊繋がりなので、絶対荒川氏あたりが本作からまんまパクったとしか思えません。
まあそれが悪いわけじゃないのですが、ただただビジュアルとしてかっこ悪いというか、悪役っぽく見えちゃうんですよね。
イリエスはキャラクター自体が気持ち悪い、かつ肉弾戦ではリョウマたちに敵わないから遺影フォームにパワーアップする理由もわかります。


しかし、ディケイドやゴーカイシルバーの遺影フォームはどう考えても「パワーアップのためのパワーアップ」以上の意味がないんですよね。
だからどうしても微妙になってしまうというか…そんなこんなでギンガマンは一度撤退を余儀なくされてしまいます。
無策で突っ込むのではなく一度きちんと作戦を練り直すところがやっぱり戦闘民族ギンガマンだなあと思うのですよね。
思えば「ガオレンジャー」のウラ究極体が出てきたときも似たようなシチュエーションだったのに、あっち6人中3人が無策で突っ込んで死んだという…。


そして改めてギンガマンたちはモークから状況を知らされた上で、改めて決意を固めます。


「つまり広場にたどり着くには相当な覚悟が必要ってことだな。助け合っている余裕はない」
「たとえ誰が倒れても、残った者はそれに構わず広場を目指す」
「行こう!街の人達を救えるのは俺たちだけだ。最後の1人になったとしても、その1人がバルバンを倒す!」


ここからギンガマンは久々に星銃剣を背負って戦いに走るのですが、ここでの疾走感溢れるBGMとリョウマたちの走りがいかにも「決戦!」という感じでテンション上がります。
広場を目指すギンガマンですが、次々と繰り出される魔人の防衛にサヤ、ヒカル、そしてヒュウガと次々にドロップアウトしていく。
ヒュウガがドロップアウトする時にリョウマたちに年上トリオへの叱咤激励がまた秀逸です。


「行くんだ!たとえ最後の1人になっても、その後ろで仲間が支えてることを信じろ!」


ここでどうしても仲間を置いてけぼりにできないリョウマの甘さをヒュウガが叱咤しつつ、同時に第二十六章で変化した「リョウマが先陣を切り、ヒュウガが後ろから支える」という構図がしっかり描かれています。
同時に「その後ろで仲間が支えている」ということで、単なる「死を厭わない自己犠牲」ではなく、先を行くリョウマたちが未来を勝ち取るであろうことを信じているのです。
この「公も私も双方を守る」というギンガマンのヒロイズムがここでもしかり示されており、本作が徹底して「自己犠牲」のための戦いに否定的なのは好感が持てます。
まあその自己犠牲は他ならぬ敵側のバルバンがやっているのですが、ここで「俺の屍を越えていけ!」という展開は王道的なのですが、まさに王道中の王道をいくギンガマンにふさわしい展開です。


また、ここでいわゆる魔人たちが立ち塞がる展開はいわゆる「再生怪人」なのですが、リョウマたちがその再生怪人を生身で相手するしかないことでうまいハンデになっています。
特撮作品だと再生怪人は基本的にやられ役でしかないのですが、本作では安易にやられ役にすることを回避し、もう一度イリエスの部下たちにしっかり出番を与えているのです。
そして案の定戦闘力最強のリョウマと怪力と爆発力のあるゴウキが広場にたどり着き、ゴウキがバルキバルキを食い止めるのは同じ怪力持ちとして奇跡的に噛み合いました。
リョウマがまるでディズニーに出てきそうな三角コーンの塔えとたどり着くと、星銃剣を持った勇太が冷徹にリョウマに襲いかかります。


この「リョウマにとっての精神的弱点」である存在を罠として使う手法は第十二章のサンバッシュが使った作戦と同じですが、その相手がヒュウガではなく勇太なのが細かい。
しかも星獣剣を握っても違和感がないのはこれまでの勇太の活躍を描いているからであり、やはり勇太の存在感がいかにこの作品にとって大事かが伝わります。
しかし、ここでやられっぱなしのリョウマではなく、冷静に判断するようになりました。


「(影がない!ということはこれは幻!)炎のたてがみ!」


見事な判断力で勇太の幻影を破ったリョウマはイリエス遺影フォームに苦戦を強いられるも、触手をぶった切り、遺影フォームを踏み台にして作戦阻止に成功したのです。
そのあとは仲間たちも変身した状態で駆けつけ、リョウマとゴウキも銀河転生し、ここからは遠慮なしのカタルシスで盛り上げます。


「「「「「「ギンガマン!!」」」」」」


閃光星獣剣&獣装の爪&キック→黒の一撃→ギンガの閃光で追い詰めるも、文字通りしぶとい遺影フォームはバルバエキスではなく魔術で巨大化しました。
さりげなく凄い能力を見せつけたイリエスですが、本作の幹部で唯一巨大戦を描いてもらえたという意味ではかなり優遇された方ではないでしょうか。
そして超装光ギンガイオーはすっかり咬ませ犬体質となり、今回はライノスとフェニックスの両方が出撃してフルボッコ。
最終的にはいつも通り銀河大獣王斬りで倒し…しかし、その魂は決して死ぬことなく、またもや宝石になるのでした。
これをブクラテスが回収し、儀式で復活させようとするのですが…ブクラテス!うしろ!うしろーーー!!!


誰もがそう思った瞬間、背後をバッサリ切られてしまったブクラテスの後ろに居たのはなんとゼイハブだった!


「先生、俺は大抵のことには目を瞑る…たとえてめえとイリエスがブドーを陥れたってな!」
「な!?」
「だが今度だけは別だ。先生、長い付き合いだったが残念だぜ」


ここで改めてゼイハブの洞察力の高さと抜け目の無さが伺えるところで、単に偉そうにしているだけではなく、部下の不義理や裏切り者まで見抜いていたという。
以前にも書きましたが、ゼイハブが組織のトップとして優れているのは「利食い」と「損切り」の使い分けがとても上手なところですが、それがここにきて最良の形で発揮されます。
サンバッシュやブドーと同じくらいの信頼価値を置いていましたが、そのブクラテスがイリエスと結託して不義理を働き組織の足を引っ張るようなら話は別というのが流石です。
このカリスマ性故にどれだけ仲間割れがあろうとも組織として威厳を失うことがなくやれたのですが、基本的にバットバスとシェリンダ、そして魔獣ダイタニクスがあればOKということでしょう。


そこから見えてくるバルバンという悪の本質…それはギンガマンとは対極的に「大事なものを次々に切り捨ててしまう」ということではないでしょうか。
欲望のためなら他者を傷つけ、殺すことも失うことも厭わない…それは正に第二クールの復讐鬼となったブルブラックが落ちかけていたところでもあります。
逆に言えば、どれだけの力があって強かったとしても、心の闇に飲まれてしまえばそれは単なる生物兵器でしかないのです。
まあそもそも第五章でバクターがサンバッシュに自在剣機刃を盗んでた時点で怪しかったのですが、バルバンの致命的欠陥がここで露呈することに。


仲間を大事にし、星を守り人を守るというギンガマンのヒロイズムとは対照的なバルバンの悪の美学がここで強烈なバックボーンとして浮かび上がります。
そしてイリエスの魂であった宝石は無残にもバットバスによって砕かれてしまい、ブドーを陥れたブクラテスとイリエスがとうとう自業自得な展開に遭うことに。


「諦めな爺さん。こいつはダイタニクスの為に使わせてもらうぜ」
「イリエス、イリエスぅ……!!」
「バットバス、たった今からてめえが行動隊長だ」
「任せときな船長。ダイタニクスは必ず復活させてやるぜえ!くははははははは!!」


ここで第4クールに向けていよいよバルバンが本気を出すであろうというのが窺い知れますが、思えば本作でこのように正義のヒーロー側ではなくヴィラン側で締めくくるのは珍しいかもしれません。
これから来るべき4クール目に向けての勢いをということだったのでしょうが、ギンガマン側のヒロイズムとバルバンの悪の美学を徹底的に対比させる構造をイリエスの最期で示したのが見事です。
思えば第3クールのイリエス編は黒騎士編のまとめだった二十五章と二十六章以外はどうにも箸休めというか、脚本的にも演出的にもパワーダウンした展開が多かった印象でした。
まあ「シンケンジャー」の中盤ほどグダグダではなかったのですが、本筋があまり進まなかったのと、想定外の外側からの注文に少し揺らぎがあって落ちた部分があったかなと思います。


しかし、イリエスの最期をきっちり面白くまとめあげてみせた功績はお見事で、評価は言うまでもなくS(傑作)であり、始まりと終わりはしっかり盛り上げました。
後は本命のバットバス編となりますが、ここからどう盛り上げていくのかが楽しみです。


第三十五章「ゴウキの選択」


脚本:小林靖子/演出:諸田敏


<あらすじ>
ゼイハブは裏切りを働いたブクラテスに重りをつけて海の底に沈め、砕いたイリエスの魂をダイタニクスに投与することで心臓のみが復活し、腐敗を防ぐことができた。改めてバットバスが行動隊長、そして参謀にビズネラがついたことで新しい作戦をスタートする。その作戦とはダイタニクスの心臓を復活させるために、あらゆる建物を粉砕してガラスの破片を集めることだった。一方ゴウキは遂に鈴子先生に告白しようと決心し、ヒカルは「慰める会、準備しとくか」とぼやく。ゴウキが花を持って学校に向かうと、そこには岸本俊介と名乗る別の学校の先生が花束を持ち、鈴子先生に告白しようと目論んでいたのだった。


<感想>
さて、ここからがバットバス編となりますが、その第一弾が第二十八章以来となるゴウキメイン回というのはなんの冗談でしょうか?(笑)


これまでサンバッシュ、ブドー、イリエスと立ち上がりの段階はすごくシリアスに盛り上げてきただけに、バットバスの立ち上がりがいきなりギャグテイストというのがが面白い。
いやまあそろそろ鈴子先生との恋愛に関しては決着をつけなければならないとは思っていましたが、ここで取り上げてきたのはある意味良かったのかもしれません。
本当の意味でのバットバス編は三十七章から始まりますから、その前に2人の恋愛模様を描いておきたかったというところではないでしょうか。
監督は諸田敏監督で「シャンゼリオン」からの流入だと思われますが、以後戦隊シリーズの中堅どころを担ってくれる重鎮となる監督です。


まず冒頭のシーンでは樽爺がいきなり海に投げ捨てられ、改めてバットバスが行動隊長に任命されます。


「折角動き出した心臓だ。ダイタニクス復活は何を犠牲にしてもやりとげるんだ」
「任せてくれ船長。これからの復活作戦は全部心臓への一点集中だ」


ここでさらっと言われていますが、ゼイハブの「何を犠牲にしても」という言葉に注目です。
そう、本作ではヒーロー側ではなく敵側が自己犠牲をやっているという歪な構造がここに伺えます。
その上でバットバスの作戦の目的が全て「ダイタニクスの心臓にエネルギーを集中させて復活させる」と内容が具体化されました。
この違いはかなり大きく、ダイタニクス復活の手法がそれぞれの幹部でそれぞれに異なっているところも大きな違いです。

 


このように、幹部ごとに作戦の系統がまるで違うのも本作の妙味であり、ヒーロー側だけではなくヴィラン側もしっかり1クールごとに差別化を図っています。
その上でバットバスはダイタニクスの心臓部を復活させることでダイタニクスを復活させるという手法がお見事。
で、バットバス魔人部隊といえば、作戦前のこの掛け声が特徴です。

 

「俺たちは?」
「「「バットバス・魔人部隊!」」」
「目障りなのは?」
「「「ギンガマン!」」」
「強えのは?」
「「「俺たちだ!」」」
「よーし野郎ども、ビズネラから作戦を説明させる」


そしてビズネラを参謀として招き入れて説明し、今回の作戦は大量のガラスを集めることにあると説明した上で次のセリフ。


「作戦失敗したやつは!」
「「「てめえで頭を食いちぎれ!」」」


みなさん、この言葉をぜひ覚えておきましょう、終盤になってこれが細かい伏線となっています。
こういった1クールごとの幹部の使い分けと演出の変化は視聴者を飽きさせない工夫として、非常に評価の高い部分です。
で、ヒュウガは激しく傷ついたゴウタウラスを回復させるために、ゴウタウラスがいる山奥へと1人サバイバル生活をすることに。
リョウマを中心にヒュウガを心配する面々ですが、ヒュウガは自分よりもゴウキを心配してやれと見ると、ゴウキはとうとう鈴子先生に告白しようと決心。


「よし、慰める会、準備しとくか」


初っ端ゴウキが振られることが前提なヒカルがさりげなく酷いのですが、まあ元々美女と野獣みたいな恋愛でしたからね。
しかしここまで引っ張っておいて振られるというオチは鈴子先生が酷いことになるので、オチはもう成功するのだと見えています。
そこで大事なのは恋のライバルを持ってくることで、そこで出てきたのが鈴子先生に思いを寄せる岸本先生。
ちなみに演じるのは「カーレンジャー」のレッドレーサー・陣内恭介役の岸祐二氏であり、ヒュウガに続いて2人目の元レッド登場となりました。
……なんだろう、同じ元レッドなのに、ヒュウガ兄さんはめちゃくちゃかっこよくて、岸本先生が残念な猿顔というこの扱いの差は?(笑)


まあ「カーレンジャー」の恭介自体がそれまでのレッドに比べて割といい加減でちゃらんぽらんな部分の目立ったレッドでしからね。
しかも公式に「猿顔の一般市民」な上、同じような系統の猿顔レッドを「メガレンジャー」の健太でもやっていましたし。
あ、そういえば小川輝晃氏もよくよく見ると猿顔だから、本作はプロの猿顔とアマチュアの猿顔という2人の猿顔が同時に存在するのか!
そう思うと、リョウマがいかに顔立ちの整った好青年であることかがわかろうというのものです。


2人は鈴子先生に惚れていることを一瞬で理解し、どちらが先に花を渡すかで勝負しますが、演出が完全にスラップスティックコメディ。
いわゆるチャップリンやバスターキートン時代のサイレント映画を見てるみたいで、ゴリラVSモンキーという猿顔代決が面白かったです。
結果として鈴子先生には2人まとめて叱られ、花瓶を買いに街に出るものの、そこでガラスを集めるためにビルを破壊しようとする魔人部隊と遭遇します。
ちなみにバットバスは第一章の段階でビルを粉砕していたためにこの描写も決して唐突なものではありません。
このギャグじみたビル破壊とガラス集めというギャグとシリアスが入り混じったような作戦がデタラメな面白さになっているのです。


その作戦を勇太くんに影響されたのかは知りませんが、鈴子先生勇気を振い出して襲われている一般市民を助けようとした鈴子先生が銃撃で負傷、入院となりました。
なんでこんな行動に及んだのかはわかりませんが、勇太くんが「先生!僕こんなことが活躍をしたんだ!」とか鈴子先生に自慢していたのでしょうか?
で、その勇太くんの話を聞くたびに内心(私もこのままじゃいけない。ゴウキさんたちのように強くなければ!)と思ってこのような行動に出たのでしょう…ならば納得です。
しかし、それはあくまでも鈴子先生の主観の話であって、客観的に見ればゴウキが自分のせいで鈴子を危険な目に合わせた(と思った)ことには変わりありません。
そこを容赦なく岸本先生が突いてきます。


「ハッキリ言う。鈴子先生には、もう近づくな!」
「え?」
「先生が無茶したのは絶対お前の影響だ。戦いにも巻き込まれるし、それなのにお前は先生を守れないんだからな」
「そんな、俺は先生を」
「守れない。だいたい先生が怪我をした時、お前は何をしていた?戦ってただろ。当然だ、戦士なんだからな。でも、鈴子先生のことは守れなかった」


ここで単なる鈴子先生争奪戦から思わぬ「公と私のどちらを取るのか?」という問いを改めて形を変えて突きつけたのが面白い。
この「戦士としての大義を取るか、それとも鈴子先生という私を取るか」はリョウマと黒騎士を通して第二十五章で描かれたことでもあります。
ただし、リョウマはもう早い段階で覚悟を固めていたこともあり、答えには迷いませんでしたが、リョウマほど芯が強くないゴウキは迷ってしまうのです。
もちろんこれに関しては半分以上恋のライバルを1人でも減らしたし岸本先生の私情が混じっているのですが、強ち間違いばかりではありません。
その上で、ゴウキは「好きな女1人守れない奴なんか要らない」と言われて、涙ながらに使命を取ったゴウキは次のように言うのです。


「そうですよね」
「え?」
「馬鹿だな俺、そんなことに気付かなかったなんて」


ここでゴウキは第十一章同様に鈴子先生よりも星を守る使命を取ってしまうのですが、今回ばかりは状況が違います。
十一章では単なるゴウキの勘違いであり、鈴子先生に付き合っている人などいなかったので、最終的にはハッピーエンドで、過失もありません。
しかし、今回は正真正銘の恋のライバルがいる上に、半分ほど自分の過失で怪我をさせてしまったのは事実です。
だからこそゴウキはどこぞの天堂竜みたいに鈴子先生を好きな自分に蓋をして自分は戦士なんだと必死に言い聞かせます。


しかし、これが本当にギンガマンが前半2クールで確立してきたヒーロー像なのかというと、そうではありません。
再三繰り返していますが、本作が提示したヒロイズムはあくまでも「公も私も双方を大事にする」であり、「公のために私を犠牲にする」のでも「私のために公を犠牲にする」でもないのです。
だからゴウキはここで本質から外れたことをしてしまっており、当然ながらそんな破れかぶれでバルバンを倒せるわけがありません
第十一章で倒せたのは心の底で鈴子先生を好きな自分を信じていられたからであって、今回はそれすらないのです。


ここからが今回の白眉ですが、鈴子先生は松葉杖をつきながらも病院を飛び出してゴウキのいるところへ駆けつけます。
ゴウキが反対しようと「戻りません!」と言い、足元に飛んできたヤートットを松葉杖一本で倒してしまう鈴子先生。
この辺り少年の勇太くんと違い大人の強さがありますが、この松葉杖はきっとオリハルコンでできているに違いありません。
勇太くんに続いて伝説の戦士の仲間入りを果たした鈴子先生はゴウキに向かって言い放ちます。


「誰が守ってほしいって言いました!?私、自分のことは自分で守ります!だから、大丈夫です」


うーん、個人的にはリョウマと一緒に訓練してきた勇太くんに比べて、鈴子先生がこういうことをするのはちょっと場違いな感じもあります。
勇太は最初から丁寧に投石→破壊工作→体当たりと積み重ねてきたので説得力があるんですが、鈴子先生はこの辺りの持っていき方がやや雑。
しかし、ここで大事なのはその鈴子先生が安易な「か弱いヒロイン」ではなく、自分で戦える強さを持った存在だと強調されたことにあります。
リョウマが勇太くんを導く存在であるならば、ゴウキは逆に民衆に支えられる存在であり、メンバー一の怪力でありながら心の脆さとのアンバランスさが対照的です。
鈴子先生の支えによって改めて「そうか、鈴子先生を諦めなくてもいいんだ」となったゴウキは再びらしさを取り戻して、愛の力で投げ飛ばして宣言します。


「バルバン!これ以上はさせない!」
「行くぞ!ギガレッド!リョウマ!」
「ギンガグリーン!ハヤテ!」
「ギンガイエロー!ヒカル!」
「ギンガピンク!サヤ!」
「ギンガブルー!ゴウキ!銀河を貫く伝説の刃!星獣戦隊!」
「「「「「ギンガマン!」」」」」


久々のフル名乗りからのギンガの閃光→閃光星獣剣&獣装の爪という三連コンボでトドメを刺し、あとはいつも通り巨大戦を消化して、ハッピーエンドへ。


「ゴウキさん、私、私だけを守ってくれるより、星を守って戦っているゴウキさんが……好きなんです」


この鈴子先生の「好き」が「LIKE」か「LOVE」かはわかりませんが、多分ニュアンスからすると「LIKE」でしょうか。
まだ鈴子先生自体が恋愛経験なさそうですし、ここからじっくり時間を重ねて「LOVE」になっていくのだと思われますが。
で、岸本先生は散々ゴウキの足を引っ張って鈴子先生をゲットしようとしたツケが祟ってフラれるオチEND。
ちなみにこのゴウキと鈴子先生の恋愛をさらにひねったのが「タイムレンジャー」のドモンとホナミになります。


今回は全体的にコメディ調で前回ほど突出して面白い感じはないのですが、まずゴウキと鈴子先生の恋愛関係に決着をつけたのはよかった。
その上で「公を取るか私を取るか」を問うた上で、鈴子先生が「私なら大丈夫」と宣言したことでゴウキが自分らしさを取り戻したのが気持ちいい展開です。
評価としてはA(名作)、まずまずのスタートではないでしょうか。ゴウキメイン回は基本的にハズレの回がなく面白いですね。


第三十六章「無敵の晴彦」


脚本:小林靖子/演出:諸田敏


<あらすじ>
バットバスはダイタニクス復活のために、ビズネラが仕入れてきた鉱石を凄まじい炎の力で蒸してダイタニクス復活の力にしようとして魔人ボンブスを送り込む。一方ギンガマン側はシルバースター乗馬倶楽部の日曜大工に励んでいたハヤテと晴彦がモークの作った特殊接着剤を誤って両手に落としていまい、手が離れなくなってしまった。接着剤はモークの葉を使えば解けるのだが、その時間はわからず、最悪の場合一週間はかかるらしい。その頃ボンブスはヤートットに爆弾を仕掛けさせ、リョウマたちは各所に別れて爆弾を外そうとするが、その爆弾はギンガマン対策のため、一度触るとくっついて離れないようにできていた。


<感想>
前回に続き、今回も諸田監督演出なのですが、この回は「シンケンジャー」三十七幕の元ネタとなったハヤテと晴彦さんのメイン回です。
ただ、この回は元々晴彦さんではなくヒカルの予定だったのですが、肝心のヒカル役の高橋氏が左手首を怪我していたので、急遽晴彦さんに差し替えられたとのこと。
おかげで晴彦さんの活躍が見られたのはよかったといえばよかったのですが、いま見直すと正直アクション以外に特に面白みは感じられません。
子供の頃は楽しんでたんですけどね、今になって見直すと晴彦さんが単なる「痛い人」にしか見えず、やるんだったらせめて工夫は欲しいところです。


勇太くんが活躍し、鈴子先生も活躍したので晴彦さんもそろそろ活躍をということだったのでしょうが、晴彦さんの身体能力が化け物すぎて、ギャグ補正でも微妙でした。
本作は確かに「ヒーローと一般人」の視点を組み込んでいるのは事実で、それをリョウマと勇太くんを中心に展開してきましたが、その関係性は序盤から丁寧に積み重ねています。
勇太くんもただギンガマンに憧れているだけでヒーローとして活躍したわけではなく、「一般人だからこそできること」という無理のない範囲で組まれていました。
しかも勇太くんにしても鈴子先生にしても「命の危機」に瀕するというハードルをクリアしたことでようやく戦えるラインに立っているわけですし。


晴彦さんの活躍はそういう代償を支払うことがないままに、「一回やって見たかったんですよ」で始まる大人の暴走がそのまま物語で肯定されてしまいました
小林女史も直前で急遽差し替えになったので間に合わせられなかったのでしょうが、晴彦さんを活躍させるならさせるで、もっと独自のひねりは欲しかったところです。
元々はハヤテとヒカルが手をくっつけて行動するうちに心が通じ合うという話にしたかったのでしょうけど、そういう話にできなかったのも残念。
晴彦さんがやっていた部分を全部ヒカルに置き換えると、あんだけ無茶なカースタントやるのも「ヒカルらしさ」として納得できるのですけどね。


よかったポイントとしてはリョウマたちが同じように爆弾でくっつけられていて命の危機に瀕していたこと、そしてヒュウガ兄さんが急遽応援に来てくれたことでしょうか。
戦闘シーンで晴彦さんが活躍したのはよかったんですが、やっぱりこのパートをヒカルがやった方が違和感はなかったと思います。
アクションのレベルは非常に高かったので、総合評価は甘めにつけてD(凡作)というところかなと。
さて、次回からはいよいよ4クール目、物語がいよいよ大詰めの段階へ入っていきます、覚悟して見届けましょう。

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

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