『星獣戦隊ギンガマン』(1998)13〜18話感想まとめ

 

第十三章「逆転の獣撃棒」

第十四章「二人のサヤ」

第十五章「恐怖のしゃっくり」

第十六章「心の故郷(ふるさと)」

第十七章「本当の勇気」

第十八章「謎の黒騎士」

 


第十三章「逆転の獣撃棒」


脚本:小林靖子/演出:田崎竜太


<あらすじ>
ゼイハブがギンガの光を内密にしていたサンバッシュに呆れ、イリエスとバットバスが自分を次の行動隊長にと名乗り出る。しかし「こいつは遊びじゃねえ」と一喝すると思わずたじろぐが、ギンガの光に関する手がかりをつかんでいたブドーが次の行動隊長に任命される。一方ギンガマン側でもギンガの光を巡ってバルバンとの戦いが激化していくことを危惧していたが、ヒュウガのことで心ここに在らずなリョウマは話を聞いていない。モークはヒュウガがリョウマの弱点であると容赦無く指摘すると、リョウマは外へ飛び出してしまう。リョウマはどこからともなく聞こえてきたモークの言葉を思い出してそれを振り切ると、怪しい虚無僧の集団を見かけた。


<感想>
さて、ここから第2クール、ギンガの光争奪編もといブドー魔人衆編へと入っていきます。前回までのウェスタンな感じとは打って変わって、和風のテイストに。
まずは魔獣ダイタニクスの船上でブドーが刀を振るうカットに始まり、ゼイハブはサンバッシュが隠し事をして不義理を働いていたことに文句を言う。
そのサンバッシュが死んだことでイリエスとバットバスは名乗りを上げるのですが、ゼイハブは厳しく「遊びじゃない。失敗すれば死刑だ。そこら辺わかってんのか?」と戒めます。
ここでサンバッシュだけに厳しいのではなく、イリエスやバットバスに対しても上司として平等に厳しい姿勢を見せることで公平性を保つというバランス。


そんな中、既にギンガの光について具体的な方策を立てているブドーが頭一つ抜けたプレゼンを行います。


「ギンガの光はいろんな物の中に姿を潜ませるエネルギー体じゃぞ。なにをどうやって探すつもりなんじゃ?」
「ギンガの光が潜む物は言い伝えによればわずか数種類。その全てをここに書き出してござる。これを1つ1つ当たってゆけば、必ずやギンガの光に行き当たる筈」
「よーしブドー、次の行動隊長はてめえに決まりだ」


ダイタニクス復活のための具体的な方策を持っていない2人に対して、ブドーは抜群のプレゼンを見せることでゼイハブ船長の信頼を勝ち得ました
このブドーのプレゼン能力の高さは大人になった今見直すと目を見張るものがあり、作戦に具体性がきちんとあるかどうかが大事なのです。
物事は何でも段取り八分と言いますが、ブドーは前回部下にスパイさせたことの報告を元にしっかりと方策を立てています。
それと同時に、割とヒャッハー気味だったサンバッシュとは違い、冷静沈着な知性派としての一面を見せることでしっかりと差別化を図っているのです。
というか、君らは是非その高いプレゼン能力をもって外道衆に転職してはどうかと思うのですが、でもまあ外道衆は基本ヒャッハーだから反りが合わないか。


一方ギンガマン側はギンガの光争奪戦で戦いが激化していくことが予想されるも、リョウマはサンバッシュとの戦いから兄への思いを引きずっていた。


「あの戦いであそこまで追い込まれたのは、君自身のせいだということはわかっているね。リョウマ、ヒュウガへの想いが君の弱点になっている。そんな弱点を持っていては戦士として失格だ!」


ここで1クール目の段階ではあまり露呈することがなかったリョーマの精神的弱点であった「兄・ヒュウガへの思い」についてしっかりと触れています。
第五章、第十二章でリョウマの未熟さをヒュウガを通して触れているのですが、基本的に優等生気質でメンバーへの気遣いを欠かさないリョウマの精神的欠陥が見えてきました。
それを容赦なく指摘するモークは何も間違ったことは言っていないのですが、やっぱりまだ人心掌握に関してはまだ完璧ではなかった模様。
モークの厳しさを表しつつ、リョウマがこれからに向けて克服しなければならない問題を浮き彫りにすることで、いよいよ「真のギンガレッド」になるための物語が動きます。


「モーク!そういう言い方ないだろ!」
「そんなに簡単に忘れられるわけないじゃない!」
「酷すぎるボック…」
「だがどんな時も冷静に対処してこそ戦士だ」
「モークのは冷静っていうより冷たいんだよ!少しは人の気持ち理解しろよな!」


ここでヒカルとサヤとボックがモークに反論してリョウマの肩を持つのですが、ヒュウガの存在はリョウマだけではなく、ハヤテたちにとっても大切な存在だと示されているのです。
ヒカルが言うようにモークの場合は「冷静」というよりは「冷徹」に見え、言葉に温かさというか温度が感じられないのがハヤテやヒュウガとの違いでしょうか。
ハヤテやヒュウガの場合は厳しいことも言いますけど、決してリョウマたちの人格を否定するようなことまでは言いませんからね…「戦士失格」は流石に言い過ぎかと。
しかし、ここでモークもめげることなく、「何が足りないのか意見を聞かせてくれ」と学習意欲があるところが素晴らしく、司令官でありながらモークもまた完璧ではないのです。


その後リョウマは思いを一旦振り切ろうとするのですが、ここでリョウマの兄へのコンプレックスが単なるコンプレックスに終わらないのは彼が補欠繰り上がりで戦士になったから
兄への尊敬・憧れが同時にコンプレックスになっているリョウマですが、それとは別に「自分が本当にギンガレッドでいいのだろうか?」という思いもどこかにあるはずなのです。
もちろん決して戦うのが嫌ということはありませんし、臨戦態勢で戦う心算はあり、戦績も十分に残しているとはいえ、兄ほど上手くやれていないと思っているのではないでしょうか。
そんな複雑な思いが渦巻いているからこそ、リョウマの複雑な胸中に視聴者は共感を寄せることができるのであり、このあたりのバランスは絶妙です。
この後、2クール目の終わりにかけてそんなリョウマの甘さを指摘してくる第三者が立ちはだかることになるのですが、この段階ではまだそれが露呈しません。


リョウマは怪しい虚無僧集団に遭遇するが、途中で見失う…この辺りの大胆な演出の切り替えも田崎監督が実にいい味出してます。
話はバルバン側に入れ替わり、ブリッジの一角に和室をセットし、正座で墨を擦っていたブドーが短冊に歌を書き出し、第一の標的は「樹」と発表する。


「尺八で ギンガの光 探し出し」


宇宙海賊なのに和歌や短歌を知っているというのが驚きですが、ブドーの住んでいた故郷っていわゆる「シンケンジャー」の世界線や「ONE PIECE」のワノ国みたいなとこなのかな。
BGMも雅楽など和風のものに切り替わり、こういう立ち上げの段階では田崎監督が担当することで上手く決まりました。
話はギンガマン側に戻り、ヒカルとサヤをハヤテとゴウキがたしなめていたところ、モークから連絡が入ります。
ブドーが先ほど街に派遣したのは虚無僧部隊であり、特殊な宇宙カビをサンプして、地球上のあらゆる樹々が後数時間死滅の危機に瀕するというとんでもないことに。
それに気づいていたリョウマが戻ってきて、モークと和解します。


「リョウマ。私の言い方はきつかったか?」
「ははは、モークの言ってることは正しいよ。俺なら大丈夫だ!」


決してモークを単なる無神経な存在にせず、きっちり批判されたリョウマ側からフォローすることで上手くまとまり、その虚無僧軍団を迎撃することに。
戦隊恒例の広場でギンガマンが久々にフルで名乗りを上げ、虚無八率いる魔人衆と対決します。
しかし、サンバッシュ魔人団とは違い、ブドー魔人衆は剣戟のプロであるため、リョウマたちは星獣剣やキバカッターを使っても勝てません。
さらに機場の逆鱗すらも跳ね返され、魔人殺法・幻の舞いという幻術まで見せ始め、1クール目のサンバッシュ魔人団とは違う老獪な強さに苦戦するギンガマン。


ここできっちりブドー魔人衆がサンバッシュ以上の強さだと見せた上で、自分の体が壊れるかもしれないというリスクを冒して新装備を開発します。
第五章でも星獣剣の偽物を開発したモークの開発能力がこの土壇場で発揮され、モークもギンガマンに影響される形で新兵器を渡すのです。
ボックが運んできた種を思い切って下に投げると、獣撃棒が中から飛び出し、「剣術には剣術を」ではなく「剣術には棒術を」という別の対策法を持ってくるのが見事。
しかも単なるパワーアップではなく、ギンガマンとモークを繋げる絆の象徴として描かれており、星獣剣、機刃としっかりパワーアップアイテムに意味づけをしています。


新開発武装ということで若干の唐突さはあるものの、きちんとギンガマン5人への配慮を忘れないところが非常に良くできたところです。
そしてモークの新開発装備を戦闘のプロ・ギンガマンは即座にものにして使い熟し、猛火獣撃で虚無僧の幻術を破ってしまいます。
その上で最後は全員揃ってのギンガ獣撃弾で虚無八を木っ端微塵に粉砕し、バルバエキスを飲む虚無八。
せめて最後のご奉公」と決めセリフが変わり、飲むときの容器も瓢箪に変わっており、こういったところも細かい工夫が凝らされています。
あとはもういつものギンガイオーコンボで決めて宇宙カビが全て除去され、モークも復活。パワーアップ祝いも兼ねて和解しました。


「私も君たちに影響されているようだね、悪い傾向だ」
「ははは、モークありがとう。助かったよ」
「助かったのは私の方だ。ありがとう、みんな」


何がいいと言って、お互いに「ごめんなさい」ではなく「ありがとう」という前向きな感謝の言葉で締めくくっているところです。
「冷静さ」を軸にして、ブドー魔人衆の入れ替えとともに敵側の戦力に説得力を持たせ、さらにギンガマン5人とモークの関係性も強化。
リョウマの精神的欠陥を浮上させるとともに、単なるパワーアップじゃなく、それを通して物語上の意味づけをきちんとしています。
また、今回改めてギンガマンが剣術・体術・アースに加えて棒術までもができるプロ中のプロという設定がさらに補強されました。


非常によく練られたシナリオと演出で、前回からしっかり物語としての格を落とさずに展開したので評価はS(傑作)


第十四章「二人のサヤ」


脚本:荒川稔久/演出:田崎竜太


<あらすじ>
ある日のこと、リョウマたちはサヤに瓜二つのアイドル・星野美咲の写真をサヤに見せる。バルバンの方では、ブドーがギンガの光が姿を潜めるものとしてカメラを指定し、魔人札僧正を送り込んだ。手当たり次第にカメラを破壊して回る札僧正をギンガマンたちが相手にしていると、サヤに攻撃を浴びせて去っていく。その側にはたまたま星野美咲が居合わせており、戦いに巻き込まれた影響で怪我をしてしまい、ギンガマンは至急彼女の手当てをする。マネージャーはサヤに美咲と入れ替わって仕事をして欲しいとマネージャーに頼まれるわけだが、果たしてうまく誤魔化せるのであろうか?


<感想>
前作「メガレンジャー」より荒川稔久氏が初参戦でのサヤメイン回なのですが、結果からいうと微妙な出来
荒川脚本だからということではなく、「サヤと瓜二つの人物」というせっかくの美味しいネタをフルに生かし切れていないというのが大きいかもしれません。
強いて本テーマにかかっている部分があるとすれば「二人のレッド」、すなわちリョウマとヒュウガの「炎の兄弟」にかかっているというところでしょうか。
ただ、せっかく本人のそっくりさんと入れ替わるというネタなら、それこそ小林女史に描いて欲しかったところで、どうにも上手くキャラクターが膨らみません。


サヤをパワフルな強い子として描くというのはまあ違和感がなかったんですけど、星野美咲みたいなアイドル級として描くというのがまあ荒川脚本らしいなと。
劇中のヒロインをアイドルにして見せることにやたらと情熱を注ぐので有名な人ではありますが、じゃあ面白いのかと言われたらそれは別問題で全く面白くないです
特に本作は小林女史が提示している「3,000年もの間臨戦態勢で準備してきた戦闘民族」という強固なバックボーンがありますから、そこを抑えた上でのテクニカルな脚本じゃないと正直厳しい。
一見シンプルなようでいて、その実とても緻密に設計されているのが小林女史が提示するヒーロー・ヒロイン増ですから、サブライターがなかなか自由に遊べないと思うんですよね。


おそらく今回のアイデアって荒川氏が考えたものというよりも、小林女史がプロットを振ったものだと思うんですよ、というのもネタはまんま「ジャンパーソン」の二人の真壁ジョージネタだから。
でもあっちがめちゃくちゃ面白くできていてこっちがつまらない仕上がりになっているのは、この2人のどっちがサヤなのか?というミスリードから生じるサスペンスをうまく描けていないからでしょう。
こういう「自分のそっくりさんと入れ替わる」というネタはいかにして劇中でのプロセスを盛り上げるかに意味があるのであって、そこの盛り上がりを欠いてしまうと面白味がありません。
というか、確かにサヤ、というか当時の宮澤寿梨氏を可愛く描きたいというのはわかるのですが、そもそも小林女史自体がその真逆を行く「戦う女」という芯の強いヒロインを提示する人ですからね。
それこそこの世の水と三途の川の水の関係じゃないですが、小林脚本と荒川脚本は相性が悪いというか、特に女性像に関しては水と油のような相性の悪さだと痛感しました。


サヤが真っ直ぐな頑張り屋であるという、実はリョーマと似たような芯を持っていたのはいいとしても、そこからリョーマとの差別化をしっかりと図れなかったのが残念です。
終盤まで見てもそうなんですけど、サヤというキャラの軸にあるものってほとんどリョウマと被っていて、特に「ヒュウガへの憧れ」という点が被っています。
しかし、兄ヒュウガとの関係性でリョウマとサヤのどちらが濃厚な関係を描けるかといったら、少なくとも本作のメインテーマ的にいえばリョウマだよなと。
いわゆるBL的なものじゃなく、「兄の代わり」としてギンガレッドをやっているところからリョウマのキャラクター性が生じているので、サヤにはそういう悩みがないんですよね。


というか、そもそも荒川氏自身が「アバレンジャー」のムック本のインタビューで語ってましたけど、荒川氏は「ジュウレンジャー」や本作のような古典的なタイプのヒーロー像が苦手だなと。
だからこそ「ジェットマン」「カーレンジャー」「メガレンジャー」のような王道とは違うところにある自由度の高いヒーロー作品の方が書きやすいみたいなことをおっしゃっていました。
本作のカッチリとしたヒーロー像に荒川氏の提示するファジーなアイドル路線が合っておらず、バルバンの作戦も含めて内容としてはいまいちで、総合評価はE(不作)です。


第十五章「恐怖のしゃっくり」


脚本:武上純希/演出:辻野正人


<あらすじ>
リョウマたちは久々の休みのはずだ他が、ハヤテが晴彦から引越しを手伝ってくれと頼まれたという。全員協力する予定だったが、ヒカルは仮病でわざと手伝おうとしかなかった。しかし、そんなヒカルの嘘を真に受けたリョウマは風邪薬を買って無理矢理にでも飲ませようとする。一方バルバンの方ではブドーがギンガの光が古代遺跡の出土品の中に潜んでいるのではないかとにらみ、魔人煙エ門を送り込んでいた。その出土品に関わっていた佐伯助教授が出土品が爆弾であると突き止めたことを世間に発表しようとするが、バルバンに妨害される。引越しを手伝っていたハヤテたちは晴彦の家の一室に閉じ込められてしまった。


<感想>
第九章以来の武上脚本回で、今回は完全な箸休めで、全体的にギャグ寄り。
ひたすらにドタバタやっているコメディ回なのですが、全体的には可もなく不可もなしといったところで、せっかくのリョウマとヒカルの回なのにあんまり面白味がないのが残念。
ヒカルが風邪だと嘘ついて引越しの手伝いをサボろうとするのはまだいいとしても、それをリョウマが真に受けてしまっているのは流れとして流石にちょっと無理がないか?と。
まあリョウマも多少天然気味なとこはありますが、ベースは兄ヒュウガ譲りで自分の芯をすごくしっかり持っているので、天然を表現したかったにしては少しやり過ぎた気もします。


それから、晴彦の引越しをハヤテたちがわざわざ手伝う展開とか、晴彦の部屋に3人が閉じ込められたから2人で困難を乗り切るしかない、というのも無理があるような。
なんで引越し業者に頼まないのかと思いますし、後バルバンを倒すとあればドアをぶっ壊してでも出るのがギンガマンじゃないですかね。
全体的にはスラップスティック風味で作られていて、それに文句はないのですが、そもそも状況設定や話の流れがかなり不自然で、かつその不自然さから面白さが生じているわけでもありません。
リョウマが薬と違って爆弾を飲み込ませてしまったというのもちょっとやり過ぎたような…まあでも確かにリョウマは普段穏やかでお節介焼きでもあるので、本気にさせたらかなりしつこそうですが。


で、煙エ門はデザインがどう見ても「がんばれゴエモン」で、「やあやあ遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ」とやたら歌舞伎役者なパフォーマンスを展開。
やっていることが完全にギャグっぽいので、うん是非とも池波家に弟子入りしてみてはいかがでしょうか?時代錯誤な流ノ介となら仲良くなれそうです、まあ敵同士ですけど。
ただ、アクション面はそれなりに充実していて、バス内での飛び降りとか、滝へ飛び込むヒカルとか結構良かったです。
後変身後の狭い林の中での軽快なアクションも大自然の中で動くギンガマンらしさが出ていて、こういうところは満足でした。


ちなみにその出土品は3,000年前にあった爆弾だそうですが、それはおそらく初代ギンガマンかバルバンが落っことした不発弾だったに違いありません(笑)
そんなコメディ回でしたが、内容的にはやや無茶があるものの、まあそこそこアクションが面白かったので評価はD(凡作)でしょうか。


第十六章「心の故郷(ふるさと)」


脚本:小林靖子/演出:辻野正人


<あらすじ>
ヒカルがお菓子を食べながら乗馬クラブの看板を掃除していると、突然現れた森川と名乗る高齢の男性に叩かれ叱られていた。さらに森川はリョウマ、ゴウキ、サヤまで言いがかりのように叱りつけるのだが、聞くところによると乗馬倶楽部の元オーナーらしく、リョウマたちがいい加減な働き方をしていると理不尽な言いがかりをつける。そんな中、ハヤテだけが森川の文句もつけようがないほどにきちんとした神対応で誠実に対応していく。一方バルバンの方ではギンガの光が大地に潜んでいると推測し、それを溶かすための特殊な雨を降らせる雨法師を呼び出し、酸性雨のような雨を降らせてギンガの光を手に入れようと目論んでいた。


<感想>
第十章以来のハヤテメイン回となりますが、今回はやや変則的な構成で、イケメンと頑固な老人との心の交流の回。
いつも通り、ギンガマンのメンバーはとにかくバルバン滅殺を目標にひたすら剣術を磨いていると、そこに迷惑な頑固爺さんが現れて難癖をつけてくる。


「場合によってはクビだ!」


せっかくもらえたシャバにも関わらず、半年も経たないうちに無職でサバイバル生活に戻されてしまうのかギンガマン!?
まあそうなったらそうなったでリョウマたちのことですから、普通に生活していけそうではありますが…自然界に生えている草木のこととか色々知ってるでしょうし。
で、リョウマ、ゴウキ、ヒカル、サヤと次々にダメ出しを食らうのですが、ハヤテだけが難癖をつけられないほどに丁寧かつ的確な神対応で森川という男性をうまくいなして行きます。


「リョウマ達はあまり森の外の仕事に慣れてないからね。まあハヤテが頼みの綱だが。ひょっとすると、私も引っ越しの準備をした方がいいかもしれない」


ここで「引越し」というワードが出ましたが、もしかして前回の青山家の引越しネタってこれをやるための前振りだったのか?
で、ハヤテですが第三章でも住まいを準備してくれた晴彦さんにお礼を述べていましたし、5人の中で一番社交スキルが高いのも納得です。
その森川と名乗る頑固な老人は前オーナーでも乗馬倶楽部の元所有者だっただけで今のオーナーとは赤の他人で、5人を解雇する権利はありません。
まあいってみれば会社の元社長や会長が退職後に偉そうにやってきて「こんな会社はダメだ!お前らクビだ!」と怒鳴りつけるようなもので、まさに典型的な老害です。
ハヤテだけが晴彦さんからその事実を知らされますが、ハヤテはそれならばと敢えて森川のいたずらに乗っかることにします。


一方その頃バルバンはブ魔人衆の1人・雨法師を用いて大地を溶かして地殻変動を引き起こそうとするなど、やっていることがナチュラルに地球環境破壊レベル。
なるほど、これだけデタラメなスペックの海賊だとギンガマン以外にまともに戦えるわけがないというのも納得です。


「邪悪なる 雨を逃れる すべはなし」


確かに雨は自然現象ですから避けるのは難しいですし、しかも三味線というのがまた洒落ていて、本当にブドー魔人衆は個性派揃いで面白いなあ。
それと同時に「シンケンジャー」の外道衆に足りなかったのはこういう怪人の能力や個性のバリエーションであり、幹部連中以外は微妙なんですよね。
で、そういう連中だからこそギンガマンの使命感と戦闘力の強さにしっかりと説得力を持たせているのがとてもいいところです。
そのハヤテですが、どうやらハチミツが大の苦手という思わぬ弱点が発覚し、改めて森川オーナーとの中で心の交流があります。


「この歳になって、もう一度見ておきたいと思って来てみたんだが……君たちが自由に楽しそうにやっているのを見て、なんだか、ふるさとを取られたような気がしてな。それでつい意地悪をして」
「俺たちも、ふるさとの森をなくしたんです。あの時感じた辛さと痛み、きっと同じです。だから誰にも言えませんでした。でも、俺たちは信じています。ふるさとはそんな簡単になくならない。いつでもそこにあるって」


何が素晴らしいといって、ハヤテが決して森川の嫌がらせそのものを否定するのではなく、その真意をきちんと汲み取った上で配慮しているところ。
相手に寄り添う気持ちや優しさこそが大事であり、こういった慎重さや思慮深さが求められるのはリョウマやゴウキとはまた違うハヤテならではの優しさが伺えます。
ただ、ハヤテの優しさは厳しさと表裏一体で、懐まで入って話してみないとわからないから、だからこそ頑固者同士気が合うという納得の展開。
また、ハヤテと森川元オーナーが「無くした故郷」をキーワードにして、「」の部分に関する話をしたのがとてもいいところ。


どうしてもギンガマンの世界は異世界がかっているが故に内側だけで完結してしまいがちですが、青山親子や鈴子先生を中心にきちんと「外の世界の人たち」との交流が描かれています。
こういう大事なポイントを外さずにやっているからこそ、リョウマたちの「星を守る」が単なるお題目や使命感だけに終わるのではなく、「星に住む全ての命を守る」というところに繋がるのです。
そして更にここでハヤテの因縁の相手であるシェリンダとの戦いを通して、ハヤテの変身後のバランスもうまく保ち、どうしても戦闘力ではリョウマに劣りながらも「技」と「知性」の部分で差別化を図っています。
二番手ポジションでありながら、ややもすると地味な位置づけになりがちなハヤテですが、それを逆手にとって手堅く押さえる部分を押さえてくれるので安心感があるのです。
シェリンダの戦闘力も第九章以来となりますが、これが予想外に強く、同じ技巧派でハヤテも苦戦するものの、うまく隙を突いて二刀一陣で逆転、リョウマの空中回転の二刀一閃にヒントを得たのでしょう。


そこからはもうギンガマン側が逆転し、ギンガ獣撃弾→ガルコンボーガン・流星弾のコンボで仕留め、森川オーナーとは無事に和解したのです。


「故郷はいつでもそこにある、か…そうかもしれないな。嘘をついてすまなかった。君たちならこの故郷を任せても安心だ。じゃ」


これに懲りたらもっと社会人のマナーを身につけろといつもの説教が始まるかと思いきや、ヒカルがハチミツを持ち出してハヤテが気絶させておしまいとなりました
内容的には第九章に比べるとやや地味な印象ですが、改めてハヤテサイドから「ギンガの森」という「私」の部分についての物語をうまく展開しています。
何度も強調して書いていますが、本作が目指すギンガマンのヒーロー像はあくまでも星を守る=公」と「ギンガの森を取り戻す=私」の双方を満たすことにあるのです。
他の戦隊やライダーなどであれば前者のために後者を犠牲にするといった展開が多いでしょうし、そういうヒーロー像自体が悪いわけではありません。


しかし、ギンガマンはその「私」の部分をしっかり内在させることでヒーロー性と釣り合うだけの人間性もまた比例する形で盛り込まれているのです
近い時期の作品で言うと、80年代戦隊を何の工夫もなくそのままやってしまった「超力戦隊オーレンジャー」(1995)はその「人間性」の部分が見えませんでした。
「ファイブマン」までならそれでもよかったのかもしれませんが、「ジェットマン」において「ヒーローの中の人間性」を改めて描くことに成功します。
あの作品が竜、凱、香を中心に人間性をとことんまで描いた後では何の工夫もなく「人間性を押し殺したヒーロー」を描いても通用しなくなりました。
だからこそ「オーレンジャー」は時代遅れのオンボロ遊園地として旧式化した作品であることを視聴者の前に露呈させてしまったのです。


高寺Pはその「オーレンジャー」の失敗を見ているからこそ、前二作の「カーレンジャー」「メガレンジャー」では「等身大の正義」という卑近なスタンスからヒーローを描きました。
本作はその二作と逆の手法を実にうまく表現しており、またそれを理解した上でしっかりと脚本にドラマを描いている小林女史のヒロイズムも盛り込まれています。
また、こうやって「そろそろこのキャラを描いて欲しい」というタイミングでそのキャラのメイン回がバッチリ来てくれるので、細かいところへのフォローや目配り・気配りが完璧です。
そして次回以降、今度は主人公であるリョウマの「私」について物語の核として触れていくことになるのですが、その前触れのサブストーリーとしてよくできており、評価はA(名作)


第十七章「本当の勇気」


脚本:小林靖子/演出:長石多可男


<あらすじ>
ある日のこと、リョウマは勇太の夏休みの宿題である写生に付き合いつつ、川辺で稽古の訓練をしていた。リョウマほどの強さがない勇太は「リョウマたちほど強くない」と自信喪失しかけるが、リョウマは「力や技だけが戦士の条件ではない。本当に戦士に必要な強さや勇気はそこからは生まれない」と説く。一方バルバンの方では、ブドーがギンガの光が潜む場所としてビルを指定し、魔人傀儡太夫を送り込む。その作戦とは山奥の洞窟に工場を作り、人間そっくりの爆弾人形を作って町のあちこちに送り込んでビルを次々と爆破する。リョウマが街へ向かおうとすると、1人の青年が崖から落ち、リョウマはそれを助けようとするのだが…。


<感想>
さあやって来ました、ここから第二十六章までは黒騎士編となり、物語中盤の山場に入ります。リョウマと勇太少年の関係を中心に改めて「ギンガマンとはどういうヒーローか?」を掘り下げた名編。
まず冒頭のシーンから印象的で、リョウマが勇太に剣の稽古を行うところで、勇太が単なる視聴者代表からギンガマンのように強さを手にしようというのは納得の行く流れ。


「リョウマ、僕戦士になりたいんだ!リョウマや星獣たちが戦ってるのに、見ているだけじゃ駄目だよ!」


この発想は高寺Pが敬愛している古典的名作「ウルトラマン」のメッセージ「地球の平和は地球人の手で守ろう」という普遍的なものですが、それを本作なりに翻案した形。
逆にいうと、本作におけるギンガマンや星獣はあくまでもウルトラマンのような超越的な強さを持ったヒーローであることが示されています。
そしてここからのリョウマと勇太のやり取りがまた素晴らしいのです。


「でも無理だよね。アースも使えないし、剣も出来ないし」
「力や技だけが戦士の条件じゃないよ」
「何で?戦士にはそれが一番大事でしょ?」
「うーん、ただ暴れるだけならな。けど、戦士に必要な強さや勇気はそこからは生まれない」


ここで改めてリョウマが「戦士とは何か?」について教え説くわけですが、ここで大事なのはリョウマが言うからこそ説得力のあるセリフになっているということ。
よくヒーローもので「心の強さが大事」みたいなことを言う作品は多いのですが、それは「力や技が十分にある」ことが大前提だから成り立つのです。
ギンガレッド・リョウマは兄ヒュウガの代理人とはいえ、その戦闘力はメンバー中最強で、かつどんな困難も前向きに乗り切る(乗り切ろうとする)正義感の強さがありました。
そんなリョウマの強さを肉体面と精神面の両方から説得力を持って描いてきたからこそ、ここでの勇太への教えが単なる綺麗事に終わっていないのです。


「力や技だけが戦士の条件ではない」というセリフは言外に「まずは力や技を磨くことが条件」であって、まず十分な戦闘力が大事だとリョウマは説いています。
しかし、一方で力や技だけを磨き続けているとどうなるかというと、「シンケンジャー」がそうであるように力尽くで戦うヒャッハーな生物兵器が生まれるのです。
まあ「シンケンジャー」の場合は本作の逆を行く構造なのでヒャッハーな生物兵器になるのも当然なのですが、哲学者パスカルの次の言葉に集約されます。


「カなき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。力なき正義は反抗を受ける。なぜならは、つねに悪人は絶えないから正義なき力は弾劾される。それゆえ正義と力を結合せねばならない」


リョウマが勇太に教えていることは言い換えればこれなのですが、これはあくまでも一流の強さをもったギンガマンが言うからいいのであって、力や技のない奴が言っても弱い自分を正当化するだけです。
これを「ギンガマン」以外の戦隊が言ったとしても説得力はないでしょう。例えば前二作の「カーレンジャー」の恭介、「メガレンジャー」の健太がこれを言っても説得力はありません。
あくまでも心身共に鍛え抜かれたプロ中のプロであるギンガマンの代表格であるリョウマが言うからこそであることを念頭に置いておく必要があります。
また、「力や技だけが戦士の条件ではない」というのは第四章でもハヤテとヒカルを通して描かれていたことでもあるので、その辺りもしっかり補強になっているんですよね。


一方バルバンでは、ゼイハブ船長に催促されながらも、サンバッシュと違って泰然自若と受け流すブドーは次の作戦を発表します。ちゃんと次を考えているところがサンバッシュと違うところです。


「歯車の 音は全てを 吹き飛ばし」


リョウマと勇太が来ていた山奥の洞窟でブドー魔人衆の1人である傀儡太夫が作り出した爆弾人形を作り上げ、次々と都市部に送り込まれていきます。
この「日常の中に突然現れる悪」というのは本作より3年前に起こった地下鉄サリン事件や2001年の9.11があったこともあって、非常にリアルティのある悪です。
爆弾人形は都市部に送り込まれるとビルの中で爆発し、さらにサラリーマン風の男も…この日常の中にいきなり現れるのが本作のファンタジックな世界観に異質の面白さを加えて来ました。
当然それを感知したモークから報せを受けたリョウマは街に向かう途中で隊列を組んで歩く人を見かけ、崖から落ちた青年を助けようと手を伸ばした瞬間に危うく自爆、甘さが出ています。


そして街中では未曾有の爆破テロが次々と起こっているため、凄まじい混沌に陥っており、もはやギンガの光動向のレベルじゃなくなって来ました。
モークは「人形なら息はしない」とサポートし、ハヤテたち4人は爆弾人形を探すために散らばり、山では勇太が勇猛果敢にリョウマを助けようとします。
ここでハヤテたち4人とリョウマ&勇太をうまく分断し、その上でリョウマをピンチに陥らせて勇太少年が戦う状況につなげているのが見事です。
物語中盤でありながら凄まじいテンションを前半たったの数分で生み出し、もはや完全な1つのサスペンスドラマに仕上がっています。


(戦わなきゃ。こいつらを倒して、リョウマを助けに行かなきゃ!)


途中で思うがけず傀儡大夫のアジトを発見した勇太はヤートットと戦うことになるのですが、ここでの緊張感の出し方もとてもいい。
基本的にヤートットは本作において基本やられ役として出て来ますが、勇太少年が襲われるシーンを描くことで一気に恐怖の対象へと変わります。
ヤートットが雑魚なのはあくまでもギンガマンと相対的に比較した時のことであって、一般人にとっては恐怖以外の何者でもありません
だからこそ恐怖で動けなくなっている勇太に迫り来るヤートットの刀が怖いところであり、あくまでも宇宙海賊バルバンは脅威なのだという演出が見事。
そこで満身創痍のリョウマが助け出すと、勇太は怯えながらリョウマに泣きつくのですが、ここが今回一番のハイライト。


「僕、駄目だった……」
「え?」
「殺されるって思った時、凄く怖かった。リョウマ!リョウマを助けたかったのに、戦えなかった。こんなんじゃ戦士になんかなれない!」
「勇太、言ったろ?戦士に必要なのは力や技だけじゃないって」


ここで冒頭のシーンのやり取りが落差として機能するのですが、勇太は力や技がない状態で戦ってしまってこういうことになった。
しかし、そこで終わらずにリョウマは今の勇太にかつての自分をオーバーラップさせながら、子供時代のことを語ります。
ウサギを助けようとして深い穴に落ちてしまい、無力さから泣き出してしまった…戦士失格だと思ってしまった。
しかし、そこでヒュウガが助けに来て、「戦士とは何か?」を改めて教えるのです。


「リョウマ、お前は戦士だ。誰かを守りたいっていう気持ちが本当の強さなんだ。怖くたってそれを乗り越えようとする気持ちが勇気なんだ」


ヒュウガの偉いところは単に厳しいだけではなく、リョウマが命を賭してウサギを助けた助けようとした勇気をしっかり認めているところにあります。
そんな人格者の兄を見て育ったからこそ、今度は自分がヒュウガのようになって、勇太を教え導こうとするのは非常によくできた流れです。
このリョウマとヒュウガの炎の兄弟、そしてリョウマと勇太の擬似兄弟の関係性はリョウマというキャラクターの人格形成に欠かせないものになっています。


「俺を助けに来てくれた勇太も、戦士だよ。だろ?」


ここで改めて、力や技も大事だけど、それ以上に大事なのが心から何かをしたいという勇気にあることが実感をもって勇太に伝えられ、非常に気持ちいのいい展開。
どうしても「強いヒーロー」となると、その裏側にあるはずの「弱さ」や「」といった部分が説得力をもって描きにくいのですが、本作は意識的にこの「力と心」の関係をしっかり見つめ直しています。
それは同時に3年前の「オーレンジャー」にはなかったものであり、どんなに強い力を持っていたとしても、その使い方を間違えてしまえばヒーローではなく生物兵器である。


「リョウマ、今も怖いって……思う?」
「うん、怖いさ。今も怖い。でも行かなきゃ」
「リョウマ、僕も行くよ」


まさに「自分にもある弱さを知れば本当のヒーロー」なのですが、本作はそれを「弱いヒーロー」ではなく「強いヒーロー」において描いているのが妙味。
一方でリョウマと勇太だけではなく、街中ではハヤテたちもまたブドーを相手にするのですが、ブドーがこれまた圧倒的な強さです。
剣術のプロというだけあって、サンバッシュと違い4人を次々と圧倒していきます…戦闘力最強のリョウマですらもおそらくは厳しいでしょう。
未曾有の危機にギンガマンもかつてないピンチなのですが、そこでリョウマと勇太が基地そのものを食い止めることに。


リョウマが陽動作戦で傀儡太夫を相手にしながら、その隙に勇太が敵のアジトを自在剣機刃で破壊し、着々と伝説の戦士へ近づいていきます。
ここで、第七章の投石に続き、勇太がまたもやギンガマンたちを守るヒーローになる展開が無理なく組まれていてよかったところ。
勇太に恐怖させておしまいではなく、リョウマとともに立ち向かっていく展開が秀逸です。
そしてリョウマは無事に基地破壊を終えた勇太を逃し、たった1人で傀儡太夫を傷だらけになりつつも、炎一閃で撃墜。
どれだけピンチに追い込まれでも諦めず底力で対応してみせるリョウマの強さが示され、傀儡太夫は「ギンガレッドを倒せ」と最期の命令。


そのままバルバエキスを飲んで巨大化したところをハヤテたちが久々の生星獣バトルで倒し、リョウマを救いに駆けつけるとリョウマはすでに爆発に巻き込まれた後だった。
死んだかに思われたリョウマだったが、その直後に何者かが気絶したリョウマの体を肩に担いで現れる。
騎士のような出で立ちは果たして何者なのか?という上手い引きとともに次回へと続いていきます。


強きヒーローが無力な子供を教え導くというヒーローものの定番を下敷きにしつつ、「ヒーローにとって本当に大切なものは何か?」という普遍的なテーマを説いた名作回。
バルバンが引き起こす未曾有の爆破テロ、勇太にとって恐怖の対象でしかないヤートット、さらに4人を圧倒するブドーの強さと物語のテンションが非常に高くなりました。
この後の展開はさらにリョウマが勇太に教えたことを補強するような展開になるのですが、その前振りとしても機能しており、評価はS(傑作)


第十八章「謎の黒騎士」


脚本:小林靖子/演出:長石多可男


<あらすじ>
爆弾人形の自爆に巻き込まれたリョウマは死んだかに思われたが、黒騎士ブルブラックと名乗る謎の人物によって救出された。リョウマは仲間たちに看病されながらうわ言で「兄さん」とつぶやき、ハヤテたちは黒騎士の正体が何者かという推測を巡らせている。一方ブドーはギンガの光が姿を潜ませる場所として「砕かれない硬い物」を指定し、魔人壊力坊を呼び出して鬼の石を手に入れるように命令する。その後目覚めたリョウマは黒騎士に助け出された時に懐かしいヒュウガの感覚を思い出し、もしかしたら黒騎士の正体がヒュウガではないかと思いつめるも、以前それがモークに弱点だと指摘されたことでなかなか言い出せないでいた。


<感想>
さあ来ました、ここから第二十六章まではギンガの光争奪編に加えて黒騎士ブルブラック編となります。
今回はギンガマン以上の戦闘力を持つ黒騎士ブルブラックという謎の第三勢力に加えて、バルバン側もどんどん強さを増していき、ギンガマンが苦戦し始める展開。
特に黒騎士の正体を巡ってリョウマ以外のメンバーがリアクションを立てる反応やリョウマとサヤとのやり取りなど、見所は実に多いです。
まず前回の続きからですが、満身創痍の中で1人戦い抜き、ビル爆破レベルの爆弾人形の攻撃を食らっても死なないリョウマはもう異能生命体レベル


あれか、「ビルは壊せても、たった1人の人間は壊せないようだな」というどこぞのサイヤ人か…やっぱりギンガマンは誇張抜きで戦闘民族・サイヤ人レベルの肉体と戦闘力を持っていると見ました。


「私は黒騎士ブルブラック」


凄まじいジャンプ力を見せるのですが、挙動の効果音といいデザインといい、高寺Pが参加していた「仮面ライダーBLACK」「仮面ライダーBLACK RX」のオマージュキャラでしょうか。
黒騎士の正体に関して議論するメンバーですが、ここで各メンバーの反応がそれぞれに違っているのも小林女史らしいしっかりしたキャラの書き分け。
勇太が「リョウマを助けてくれたからいい人」、ヒカルが「油断も信用もならないやつ」、ゴウキが「リョウマの命の恩人」、そしてハヤテが「判断材料が少ないから保留」となっています。
一方で意見しなかったサヤはリョウマを看病しつつ、リョウマがうわ言で「兄さん」とつぶやいたのを聞き逃しません。


バルバン側では次の作戦をブドーが発表するのですが、ここでもブドーと樽爺のやり取りに注目です。


「砕かれぬもの?つまりは「硬い」ということじゃな。わかったぞ!ダイヤモンドじゃ!」
「そこまでは素人でも考えつくことでござる」
「ブドーの奴、あのもったいぶった態度我慢できん」


ここで改めてブドーという幹部のいやらしい部分が露呈しており、いわゆるブドーは「出来すぎる嫌味なやつ」であって、可愛げがないんですよね。
船長は「裏切る心配だけはない」と言っていますが、ブドーは一見優等生気質かと思いきや、優等生すぎて自分はなんでもできるという思い込み・慢心が見られます
おかげでブクラテスやシェリンダの反感を買っており、サンバッシュはまだ「バカ故に制御しやすかった」ということで、可愛げがあったのでしょう。
これが積もり積もって第二十三章と二十四章に繋がっているのだと思うと、徐々にバルバン内部の静かな軋轢というか崩壊の兆しが見えています。


「大槌に さしもの石も 砕け散り」


一方、ギンガマン側では傷を完治した(凄まじい生命力の)リョウマが1人で考え込んでいます。


(あの時、俺は……何故か、兄さんに助けられたような感じがしていた。声も姿も違うのに、兄さんだと思えた。もし言えば、またみんなをいたずらに期待させるだけだ)


ここで第十三章でモークがリョウマにした助言がリョウマの心の呪縛となるのが面白いところで、改めて黒騎士登場に伴いリョウマの心の悩みが浮上。
それを見つめるサヤもまた綺麗な表情になっていてちょっとあざといのですが、ヒュウガのことになると目の色が変わるのがわかりやすい2人です。
ただ、どっちの方がキャラとしてより立っているかとなると、それはもちろんリョウマだよなっていう(笑)
敵側も味方側もそんな鬱積が積もりつつ、気がつけば黒騎士とバルバンが石を巡って争うことに。


「それを渡すんだ。怪我はさせたくない」


海賊ならぬ山賊みたいなチンピラ行為を白昼堂々と行っている黒騎士ですが、声や演技はすごく渋くてかっこいいのに、やってることが完全な悪党というギャップ。
いわゆる第三勢力なのですが、その強さは圧倒的でギンガブルーの怒りのパンチすらも余裕で跳ね返すという圧倒的な強さを見せます。
実力だけでいえば、黒騎士はギンガマン5人以上ですが、この後判明する正体を思うと、この強さにも納得です。
その後、今度はリョウマとサヤが一対一で黒騎士の正体についてやりとりを行う。


「前に一度、戦いの中で兄さんの声を聞いたような気がした。そして今度は黒騎士を兄さんのように感じた。声も姿も違うのに」
「それじゃやっぱり!」
「でもそれだけだ」
「1人で考え込んでるなんてリョウマらしくないよ!」


ここで改めて第一章から用意周到に貼って来た伏線が綺麗に積み重なり、リョウマの心の弱さである「ヒュウガへの憧れ」をサヤと共有することに。
その上で黒騎士はやっぱりヒュウガなのではないかと予測を立てるのですが、ここまで第一章以来直接的な絡みのなかった2人をしっかり絡めています。
やっぱりこの2人が話すとすればヒュウガ関連しかないのですが、悲しいかな既にサヤは女子力やヒロイン力で勇太やゴウキに負けているのです。
もう物語も2クール目に入り始めて基礎を終えた段階なので、ここでまだキャラの方向性が固まっていないサヤが巻き返すのが厳しい状況に。


そのあとはギンガマンと海力坊との戦いなのですが、ここのアクションシーンもまた見所満載ですごくかっこいい。
しかし、その硬い石にはギンガ獣撃弾がまるで効かず、また単独でのスペックも高く、ギンガマン5人でも敵いません。
単なるやられ役ではなく、単独で圧倒的な強さと判断力を兼ね備えているのですが、リョウマにとどめを刺そうとしたところに飛んでくるクナイ。
ここで改めて陽炎とともにゆったりと歩いてくる第三勢力としての黒騎士がかっこよく、ギンガマン5人を完全に食ってしまう存在感を発揮。


「また貴様か!こやつらに味方するつもりか!?」
「いいや、ただ貴様らバルバンの思い通りにさせたくはないだけだ。それより、貴様の持っている例の石、渡してもらおうか」


モチーフが「闘牛」ということもあってか、音楽が和風からスペイン系の音楽に変わっているのですが、ここからの黒騎士の殺陣がめちゃくちゃかっこいい。
静かにブルライアットを抜き、ヤートットを次々と逆手の剣で蹴散らし、ギンガレッド以上の鮮やかな戦闘力をここで披露するのです。
それまで黒騎士の正体が何者かで議論してたリョウマですが、「違う、兄さんの剣捌きじゃない」と判断するのが実にいいなと。
リョウマとヒュウガが順手、黒騎士が逆手という形でしっかり色分けしているのがいいところで、さらにガンモードで蹴散らすシーンは痺れるかっこよさ。


「貴様、なぜギンガの光を狙う?」
「3,000年前、ギンガの光を地球に持ち込んだのはこの私だ。貴様らを倒す為に!」


なんと、サンバッシュに3,000年前にやられたのが黒騎士だったことが判明し、第十二章の謎が1つ解けると共に新たな謎が生まれることに。
そこからの黒騎士と海力坊の一騎打ちが小林女史お得意の時代劇趣味炸裂で、ぶっちゃけ殺陣のレベルなら「シンケンジャー」以上の迫力。
弁慶の刀を左手でブロックし、すかさず居合術で連続攻撃を浴びせ、3回蹴って空中回転し、必殺技を決める!!

 

「黒の一撃!!」

 


その強烈な一撃はギンガマンですら割ることができなかった石を見事に真っ二つにし、渋く決める。


「ギンガの光ではなかったか」


完全にギンガマンをかませ犬扱いしてしまいましたが、それを納得させるだけのビジュアルと戦闘力の高さを黒騎士が見せつけます。
まあギンガマン5人に関してはここまで散々強さを描いて来ているので、中盤に差し掛かった段階でこれだけやってもそうそう食われることはないだろうという信頼が見えます。
しかし、等身大戦では完全に黒騎士に分がありましたが、巨大戦になるとすかさず星獣たちを呼び、ギンガイオーで圧勝し、なんとか格を保ちました。

 

「成る程、少しは戦えるようだな」


そして黒騎士は改めてギンガマンに真実を話し、3,000年前に地球に降り立った黒騎士がバルバンにやられたのは満身創痍だったからというフォローが入ります。
その上で、ギンガの光を手放すしかなく、サンバッシュには偽の隠し場所を教えて崖から転落したとうまい伏線回収。
この崖から転落というのが実はさらなる伏線となっているのですが、単なる追加戦士登場ではなく、そこにリョウマやヒュウガの存在をしっかり絡めているのが見事。
その上でギンガマン5人以上の戦闘力を披露し、巨大戦ではギンガマンが勝つという形でバランスよく収めており、強さのインフレとしても納得です。


その上でリョウマのコンプレックスにしっかりと踏み込み、ここから二十六章までかけて爆発していくことになるものをしっかり仕込み終えました。
ここからはどんどん大枠を動かしにかかり、黒騎士のキャラクターと共にリョウマの内奥がどんどん露呈することになりますが、まずはここまで。
評価はS(傑作)であり、前回で跳ね上げた物語のテンションを見事に維持して見事なジャンプアップとなりました。

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

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