『星獣戦隊ギンガマン』(1998)7〜12話感想まとめ

 

第七章「復活の時」

第八章「愛情の料理」

第九章「秘密の子猫」

第十章「風の笛」

第十一章「戦士の純情」

第十二章「悪夢の再会」

 


第七章「復活の時」


脚本:小林靖子/演出:田崎竜太


<あらすじ>
勇太は星獣たちが仮死状態に陥った現実を受け入れられず、失意のどん底にいた。リョウマたちは必死に諦めることなくアースの力で星獣たちを蘇らせようとするも、あまりにも小さすぎてまるで効果ががない。バルバン側では、星獣の死という状況に浮かれていたサンバッシュに対して、ゼイハブが「あくまでダイタニクスが復活するまではぬか喜びだ」と釘を刺す。どうせなら死んだ星獣の肉体をバラバラに砕いでダイタニクス復活の生贄にしてはどうかとなり、タグレドーと兄・トルバドーガ向かうことになる。そんな彼らの作戦を食い止めるギンガマンだが、リョウマが自在剣機刃を出した途端、勇太が持っていた石から凄まじいエネルギーが機刃に流れて、リョウマは吹き飛んだ。


<感想>
さて、来ました…ギンガイオー誕生編の後編、前半の基礎土台がここまでで完成します。


前回、そして今回とやはり大筋が動く回になると味方側ではリョウマと勇太が頭一つ抜けて目立つわけですが、その中でもリョウマは既にこの時点で「炎の戦士・ギンガレッド」としての覚悟と決意を固めています。
小林女史がメインライターを務める戦隊のレッドは常に試練に晒されるわけですが、リョウマはもう既にこの段階から「命を失うかもしれない」というリスクを既に背負っていたわけですよね。
それこそ前回の星獣がそうであるように…そしてそれを優しく健気に見守る勇太少年が狂言回しであると同時にある種のヒロインのような役割を担うようにもなります。
第一章と第五章で示された「炎の兄弟」の関係と同時にリョウマと勇太の擬似兄弟の関係性もしっかり築き上げ、その上でハヤテたちも各自の役割を果たしているのです。


また冒頭のシーンで注目するべきは、失意のどん底に落ち込んだ勇太をなだめすかすようにフォローする晴彦…気難しい息子を気遣いつつ、単なるロマンに夢中なおっさんだけではないとフォロー。
絵本作家だと判明したのですが、こういうところできちんと「父親」として描かれているのが好きで、「タイム」「シンケン」でもそうでしたけど、小林女史が描く父親って短所はありつつもいい父親が多いですね。
「ゴーゴーファイブ」でも小林女史が描いた回だと巽モンド博士が比較的(←これ重要)マシに見えましたし…戦隊に出てくる父親はロクなのがいない中で、青山晴彦はなんだかんだいい父親だなと。
中盤までは息子から素気無く扱われる彼ですが、後半〜終盤に向けてどんどん垢抜けてカッコよくなっていきますので、その辺りも楽しみに。


バルバンは星獣が仮死状態になったことで思わぬ部分的勝利を得るも、ゼイハブはあくまで「ダイタニクスの復活が目的だ」としっかり釘を刺し、この辺りのバランスが絶妙です。
目先の短期的な利益に一喜一憂してしまうサンバッシュに対して、あくまで長期的な利益を見据えて大局的にも俯瞰で物を見るゼイハブとの違いとなって現れています。
そう、ゼイハブって一見荒くれ者に見えながらも、理性的かつ冷静に対処しているので、単なる暴れて満足の脳筋なドウコクとは違うのです。
そこでタグレドーの兄であるトルバドーが出て来て、兄弟セットで星獣の死体を粉々にする作戦に移行するのですが…あれ?この兄弟どっかで見たような?


待てよ、タグレドーが赤+カブト、そしてトルバドーが青+クワガタ…あ、これってゴウライジャーじゃん!
まあもっというと「ビーファイターカブト」だったのかもしれませんが(小林女史は同作品にサブライターとして参加していた)、その辺りのセルフパロディもあるのだろうなと。
で、そんな兄弟たちの作戦を妨害しつつ、ギンガマンはギンガマンでアースの力を使って星獣を復活させようとしますが、あまりにも小さすぎてできません。
それもそのはず、あくまでギンガマンの5人が人間サイズで使えるアースの力は微々たるものであり、星の力のごく一部に過ぎないのだから。
ここできちんと「アース」が神秘の力でありつつも、決して万能なチート兵器ではないことが示され、第四章に続いて物語上の制約をきちんとかけています。


その上で星獣の死体を石にしようとした甲虫兄弟の作戦の妨害にも説得力が出るのですが、自在剣機刃を出した瞬間に勇太が持ち出したギンガレオンの星の石からエネルギーが流れてギンガレッドが吹き飛ぶ。
その際リョウマはある赤いシルエットの幻覚を見るのですが、モークの分析によれば、星獣たちが秘密にしていた自在剣機刃の力とは膨大な星の力そのものを受け止めるというものだった!
つまり星獣が秘密にしていたのはギンガマンたちがその機刃の力を使った反動で命を落とすのではないかと心配していたからであり、何と優しい星獣たちよ!(涙)
どこぞの大獣神や三神将やガオゴッドらは星獣たちの爪の垢でも煎じて飲みなさいまったく…理不尽な戦隊の神様が多い中で、星獣たちの人格者ぶりが光ります。
やはりギンガマンたちが優しい戦士だからこそ星獣たちも優しいんでしょうね…と同時に、自在剣・機刃が武器以外のもう1つの役割も果たしていることで意味付けが補強されました。


星獣復活のためには、星獣の星から流れる膨大なアースを受け止める必要があるという、のっけから凄まじい試練…うん、歴代戦隊でこれに耐えうる戦隊ってどれだけあるんでしょうね?
しかし、同時にこれは3,000年もの間臨戦態勢で戦う力を研鑽してきたプロ中のプロであるギンガマンだからこそできたことだと思うし、それだけ思想的にも肉体的に十分に研ぎ澄まされているのです。
だからこそ「命を失うかもしれない」というモークの制止も振り切って、脇目も振らずに使命に一直線のギンガマンの本質がここで見えてきます。
非常に気高い魂とそれに見合う戦闘力を持つギンガマンですが、全ては「星を守る」というその一点のみにあり、ここまで地球を守ることに対して素直で純粋な戦隊はないでしょう。
だからこそ、勇太少年の悲痛な叫びとそれに対するリョウマの答えがストレートに響くのです。


「もしリョウマたちまで死んじゃったら、僕どうすれば…!」
「そうさ、俺たちは死ぬわけにはいかないんだ……必ず生きて、星獣たちと一緒に、新しい力を手に入れてみせる」


ここで改めて勇太のヒロイン性とリョウマのヒーロー性が示されていて特にリョウマの「死ぬわけにはいかない」「必ず生きて」という言葉に注目してみましょう。
リョウマは第三章の冒頭で以下の言葉を戦いの動機として掲げていました。


「俺たちは必ず地球を守る!そして平和になった地上にギンガの森を戻すよ」


そう、第三章の段階でリョウマたちは「バルバンを倒して地球を守る」という大義と同時に「平和になった地上に故郷を取り戻す」という身近な目標まで宣言しています。
これを歴代スーパー戦隊シリーズでいうならば「自己犠牲を否定する」ということ…使命に前向きで前のめりでありながら、そのために自分を犠牲にするということをしない。
「死んでも構わない」ではなく「死なずに未来へとつなぐ」戦いであり、リョウマが口にしたそのスタンスはギンガマン全員の思いであり、同時にスーパー戦隊シリーズの歴史を大きく変えるものです。
現在感想を書いている「ジェットマン」がその流れの源流を作ったと言えますが、あの作品は「死んでも構わない」という自己犠牲前提の戦いを完全には否定できませんでした
「ジュウレンジャー」〜「オーレンジャー」の杉村升メインライターも何だかんだ自己犠牲が必須でしたし、「カーレンジャー」「メガレンジャー」でも完全に否定しきれていません。


本作ではその点自己犠牲をしない形でヒーローが「公」も、そして「私」も同時に満たせるような土壌をここですでに作っているのです。
リョウマの「自己犠牲や復讐」に基づく戦いではなく「前向きに未来を生きる」ための戦いというスタンスは2クール目の黒騎士編以降にも大きく影響しています。
それをしっかり実現するために3,000年もの間戦闘力を磨き上げ、心も磨き上げ、外の世界の情報収拾も欠かさずに戦っているのです。
そしてもっと素晴らしいのはそんなリョウマの覚悟に影響を受けた勇太が星獣復活のエネルギーを集めようとしたバルバンの作戦を阻止したこと。
それまで基本的に「視聴者代表」にして「力無き一般市民の象徴」だった勇太が自分の覚悟と星獣からもらった力でギンガマンを守るヒーローになる展開がいいのです。


この勇太君のヒーロームーブがあるかどうかで今回のクオリティが天と地の差があると言っても過言ではなく、また単に超越的な存在のギンガマンだけが活躍して終わるわけではありません。
民衆には民衆なりにできることがある、生きるための最善を尽くすことができるというのをしっかり描くことによって、ギンガイオー復活への大きな布石となっているのです。
そしてリョウマの言葉通り、星獣を仮死状態から見事に復活させたギンガマン…結果的には「ダイタニクス復活」と「星獣復活」で対比されていましたが、今回は勇太君がMVPとなりました。
この瞬間をもって自在剣機刃が単なる武器から「ギンガマンと星獣をつなぐ絆の象徴」として機能し、以降の回で使わなくなっても大丈夫なようにしています。
この辺りの意味付け、定義づけをしっかり行った上で、リョウマが叫ぶ。


「大転生!銀星獣!」


星からの大いなる力を受け取った星獣たちはまさに新しく生まれ変わり、銀星獣へ転生してそのままギンガイオーへと合体しますが、この合体シーンもまた神秘的。
CGを使っているのですが全然安っぽい感じがなく、またギンガレオンとギンガリラの変形機構がよくできており、1号ロボ初登場のカタルシスとしては最高です
単なる決戦兵器として出てきたのではなく「死と再生」というイニシエーションを経ての登場なのが物語をより盛り上げるのです。
しかも合体直後でいきなり銀凱剣を所持しているというところがギンガイオーの殺意を感じさせるところであり、コックピットも「カクレンジャー」のそれから発展させたシンプルなもの。


そして初登場となるギンガイオーですが、銀凱剣・銀河獣王斬りとガルコンボーガン・流星弾で立て続けにトドメを刺し、見事な1号ロボデビューを飾って最高のカタルシスとなりました。
あれほど失意のどん底にあった勇太とリョウマたちに大きな笑顔が戻り、この話までで「ギンガマンなるもの」の基礎土台はきっちり固まり、最高の完成度です。
第一章から提示してきた要素を全てギンガイオー登場のカタルシスという形に集約させ、ギンガマンとバルバンのドラマを非常にいい塩梅で展開しています。
また、その中でリョウマたちの戦う動機も定義し、奇跡を起こすには用意周到な積み重ねが必要であることを示した上でうまいことここまでもってきました。


幾分リョウマ中心であったとはいえ、本作ここまで無駄という無駄がなく、しかもこの後はさらにボルテージが高まりもっと面白くなっていきます。
一号ロボの必殺技が剣よりも弓武器という差別化も見事で、バルバンを何が何でも殺すという使命感の強さを体現していました。
総合評価はS(傑作)、非常に段取りや根回しがしっかりしていて、ここまでミスというミスがなくきていていい感じです。


第八章「愛情の料理」


脚本:武上純希/演出:田崎竜太


<あらすじ>
ゴウキの手料理に飽きたヒカルは「たまには外の料理が食べたい」と街に出ていた。近くでひったくり事件が起こったので犯人を取り押さえたが、後から追ってきた女性のシェフに犯人と勘違いされ取り押さえられてしまう。ヒカルはレストラン・ロニオンと呼ばれるお店に入ったが、そこにいたのが何と先ほどの女性シェフだったのだ。女性の名は静子と言い、ヒカルに席に座るように言うと手料理を振る舞う。その料理はヒカルが食べた中でギンガの森で母親が食べさせてくれた味を思い出し、また静子としてもヒカルに対してやや屈折した思いがあったのである。果たしてそれはなんだったのであろうか?


<感想>
序盤の基礎土台構築が済んだ上で今回は前作「メガレンジャー」の武上純希氏が参戦…やっぱりメインでもサブでもこの人はキャラクターのドラマが書けない人だなあと。
まあ前作の時点でそうだったんですけど、武上氏はメカニックや玩具販促は得意でもキャラのドラマやきちんとした物語は書けない人なんですよね。
それが「ゴーゴーファイブ」「ガオレンジャー」「ゴーオンジャー」でも全然変わらないこの人の短所でございまして…なので本作でもやっぱり微妙なのです。


今回の話はクオリティ的には可もなく不可もなしといったところなんですが、せっかくのヒカルメイン回にどうしてこんなクソエピソードを当ててきたの?と思ってしまいます。
まず序盤でヒカルを一方的に犯人扱いしたことに対しての謝罪もない上に、店を訪れたヒカルに対して終始上から目線で粗雑に扱う対応。
しかも勝手に「自分と似た息子がいたから」という理由でヒカルに亡き息子の面影を重ねていたからという、ヒカルにとっては迷惑でしかない話。
中途半端にギャグっぽく描いているのも良くないところで、こういう「擬似的な母親と息子」ならばいっそ小林女史に書かせた方がましだったと思うのです。


強いて見所を挙げるとするならば、シェフ直伝の「賽の目切り」といったキバナイフを活かしてのオリジナル技は中々面白いアクションでした。
しかし、どうしても静子おばさんが「厳しそうだけど実は愛情深い人」というよりは「道理を壊して無茶を通す老害おばさん」でしかないのが残念。
ただ、まだ一応はヒカルに直接的な被害がないだけマシな方で、後の「ゴーオンジャー」の「悪魔ナオンナ」では胸糞悪い話を書いてますからね
武上氏はどうも「なんでもギャグにすれば非常識な話でも面白くなる」と思い込んでいる節があるようで、この回はもろにそれが出てしまった形です。


目に見える形での破綻はないものの、やはり小林脚本のクオリティが高すぎる、しかもヒカルの場合は第四章という名編を経た後というのもあって失望しました。
評価としてはE(不作)であり、「シンケンジャー」の時同様サブライターがメインライターの提唱する細かい世界観・ストーリー・キャラのルールを理解できていなかった模様。


第九章「秘密の子猫」


脚本:武上純希/演出:辻野正人


<あらすじ>
ある日のこと、隕石がギンガットのいる森に落下し、翌朝ユウコという少女がギンガットに似た猫と不思議な赤い石を発見する。サヤもギンガットを探しに森を訪れたのだが、肝心のギンガットを発見できない。モークによると隕石の影響で森の聖なる力が奪い取られたとのことだった。一方その頃、バルバン側ではサンバッシュは隕石の力を使い魔獣ダイタニクスの復活させようとゼイハブに提案し、魔人マンディガーを森に送り込む。森の中でサヤはギンガットらしき子猫を抱えたユウコと出会うのだが…。


<感想>
本作の料理担当のゴウキに対抗してお菓子作りに励むサヤ…うん、素晴らしい心がけだと思うけど、一体何と戦ってんの?(笑)


というか、第三章、そして前回と段々「オトメン」になってきているゴウキ…本作随一の女子力の高さを誇り、サヤの花の戦士たる所以をどんどん奪っていっています。
残っているのはヒュウガへの憧れなんですが、そうなると今度はリョウマが障壁になるしと、めぼしいポイントが男性陣に奪われてしまっているのが…。
サヤに関しては総合評価で書き損ねましたけど本作の数少ない欠点の1つでして、演じる宮澤寿梨氏は好きなんですけど、サヤのキャラ立ては上手くいってないんですよね。
そもそもここまで目立った活躍もしてませんし、リョウマとヒュウガ以外のキャラがそこそこメイン回を貰えているだけに、ようやく回ってきたメイン回がこれかと。


今回はユウコという少女とサヤの交流ですが、うーん、やっぱり「伝説の戦士と外の世界の子供」という絡みで見ると微妙です。
というのも、それは既に第一章からリョウマと勇太少年がやっていることですし、勇太少年が子役ながら演技達者なのもあって、余計にユウコを演じている子の演技力の下手さが目立ってしまいます。
それからユウコが「かわいい」と言っていた小型ギンガットが全然可愛くない…いやその後巨大化してデザインがリファインされたギンガットの方は可愛かったんですけどね。
まあ、それよりも今回はサンバッシュの名言ならぬ迷言の方が際立っていました。


「成功したら俺様の手柄、失敗したら先生の責任ってことだ」


何そのジャイアニズム…いやまあどうせそんなことだろうと思いましたけど、改めてサンバッシュのサンバッシュたる所以を見た気がします。
そんなマインドじゃギンガマンに負け続けて当然だわ…で、魔人マンディガーと共に出撃しますが、銀河戦士で最弱のはずのサヤに真っ向勝負であっさり負ける(笑)
すごいなあ、戦隊シリーズにも様々な幹部がいますが、ここまで「やられ役」感が酷い典型的な三下幹部もそうそういますまい。
まあ逆に言えば最弱のはずのサヤですら実力は一級品ということで、伊達に3,000年間も臨戦態勢で準備してきたわけではありません。
過酷な選抜を勝ち抜いた生え抜きのエリートが選ばれているわけで、唯一正規戦士でないリョウマでも強さは5人中最強ですからね。


で、今回の魔人は結局ギンガレッドが二刀一閃で倒し、これで余計にギンガレッド最強伝説の1ページが刻まれることとなりました
ということで今回サヤの活躍はサンバッシュを1人でやっつけただけなのですが、彼女に1人で行動させた結果浮き彫りになったのは女性らしさよりもむしろ力強さという。
まあ本作はリョウマが気遣い担当、ハヤテがしっかり者担当、ゴウキがオカン担当、そしてヒカルがやんちゃ担当と女がする役割を全部男がやっているんですよね。
「シンケンジャー」でもそうだったんですけど、やっぱり小林女史はいわゆる「男受けするかわいい女の子」を描けない人なのだなあと。


ただまあ改めてサヤとギンガットについてもう一度触れてくれたのは嬉しかったですし、リファインしたギンガットのデザインは可愛さが出ていて良かったです。
話の内容としては可もなく不可もなしといったところでしたが、前回のような不快感や違和感はなかったので評価はD(凡作)でしょうか。


第十章「風の笛」


脚本:小林靖子/演出:辻野正人


<あらすじ>
ハヤテの吹く笛の音色をいたく気に入っていた勇太だったが、途中でリョウマとハヤテが喧嘩を始めた。普段滅多に喧嘩することがない2人だったが、サヤによるとその日はハヤテと婚約者のミハルの結婚式の日だったらしく、ギンガの森が封印されなければ2人は結婚するかもしれなかったのだ。リョウマはハヤテに特別な日だから帰ったらどうかと助言するが、ハヤテは戦いが終わるまでは二度とギンガの森には戻らないという約束をもう破るのかと頑なに拒む。一方、バルバン側は魔人ストイジーが巨大スピーカーを用いてとんでもない騒音を起こし、その振動で魔獣ダイタニクスを揺さぶり起こそうと企んでいた。


<感想>
さて、ようやく来ましたハヤテメイン回。これまで厳格なイメージのあった二番手のハヤテですが、この回をもって一気に掘り下げます。
今回は本筋に直接影響しないサブストリームでありながら、改めてハヤテに好感が持てるようにしっかりとキャラが肉付けされていくのです。
リョウマとの友情、ミハルとの婚約、笛の名手である風の戦士としての所以、さらには同じNo.2のシェリンダとの因縁とうまく盛り上げて来ました。


また、この回は辻野監督の演出も秀逸で、まず山のロケーションを非常に美しく撮っていて、もはや芸術と言えるくらいに綺麗な画が多いんですよね。
それから今回のテーマは「音」ということもあり、ハヤテとミハルの笛の音、クラシック音楽、街中から聞こえる雑音と佐橋先生の音楽もまたいい味を出しています。
改めて「ギンガマン」がこれだけ壮大なスケール感を誇る物語になり得たのは佐橋俊彦大先生の音楽の力が改めて大きいのだなと。
そんな感想を持った今回の話ですが、まず冒頭で笛を吹いているシーンからして非常に叙情的で、いつもの爽やかな始まりとは違うしんみりした感じがいいですね。


「どうしてお前はそうお節介なんだ!?」
「そっちこそ、どうしてそう頑固なんだ!?」


滅多に喧嘩することがないリョウマとハヤテが珍しく口論になったので、勇太がサヤたち3人に聞いてみると、ハヤテにはミハルという婚約者がいて、今日がその結婚式の日だったこと。
ギンガの森が封印されなければ、2人は無事に結婚していたかもしれないことが補足説明されるのですが、ここでの3人が改めて「大人」として色っぽくなっているのがいいですね。
特にサヤの表情なんてある意味長石監督よりも非常に色気たっぷりに撮られていて、辻野監督も長石監督に負けていられないと思ったのでしょうか、いい味出してます。
ちなみに回想シーンに出てくるミハルを演じるのは田中規子氏であり、本作より5年前の不思議コメディシリーズ「シュシュトリアン」にレギュラー出演されていた方です。


一方、バルバンの方では、度重なる作戦失敗に苛立ちを募らせていたシェリンダが説教。


「もういい加減海に浮かんでいるのは飽き飽きだぞ。いつになったらダイタニクスを動かせるんだ!」


ここで改めて「操舵士」にしてNo.2であるシェリンダの存在をしっかり主張しており、第二章以来サブリーダー格としての存在感をしっかり出して来ました。
船長に斬られるかと思ったサンバッシュだったが、今回思いついた当てずっぽうの作戦は騒音の振動でダイタニクスを揺さぶって復活させるというもの。
いつも外しまくっていたから今回も外れかと思いきや、なんと偶然にも当たってしまい、正にこれこそビギナーズラックというやつでしょうか。
え、えーっと…樽爺ことブクラテスは一体何だったのかと思うのですが、まあブクラテスはコメディリリーフ兼トラブルメーカーですからね。


ブクラテスに関しては2クール以降にも目立ってその特徴が描かれますが、一言で言えば「ミスター余計なことしたがり」であり、バルバン壊滅の一因を担っています。
で、ギンガマンはその騒音に苦戦するのですが、ここで転生を解いたハヤテが改めて笛を吹く描写を入れて音をかき消し、サヤが改めて笛の音の効果を説明。


「ギンガグリーン、貴様何を?!」
「知らないの?風の戦士の吹く笛は邪悪な音を消す力があるのよ!」


第六章でもこの風の笛を吹いていたハヤテですが、ここで改めて風の笛の効果とともにそれを作戦の一部として利用してくれたのは嬉しかったです。
そういえば笛というと「シンケンジャー」のことはも笛を吹いていましたが、それを作戦の中に活かしたことってなかったような…。
シェリンダは同じサブリーダー格のギンガグリーンの存在が許せず、攻撃して風の笛を壊して気絶させるも、ギンガマン側も負けじと反撃して敵側を撃退して両者痛み分け。
ここで細かいポイントですが、あくまでバルバン側は「ギンガグリーン」という風に変身後の姿でしかリョウマたちを認識していないこと。
そして、ハヤテたちギンガマンもあくまで「バルバン」としか呼ばず、ゼイハブ以外は基本的に個人名で呼ぶことはなく、これも終盤で大きく機能してきます。


痛みを抱えるハヤテとリョウマが新たな風の笛を作るために、ギンガの森の風の木と似た材質の木を求めて山へと向かうのですが、ここで改めリョウマとハヤテの友情を強化。
何とか新しい風の笛を作り終えたリョウマとハヤテは音をかき消すために囮の作戦を考案しつつ、しっかりリーダーとサブリーダーの関係性が掘り下げられます。
リョウマが絡むとそこにはマイナスイオンが発生するのですが、改めてハヤテに「柔らかさ」を与える意味でもリョウマがレッドでよかったなあと。


「リョウマ、今日ギンガの森へ行けって言ってくれたのは嬉しかった。行くわけにはいかないけどな」
「ははは、ホントに頑固だな。なんでミハルがおまえを選んだのか、不思議だよ」
「俺もそう思う………リョウマ」
「ん?」
「死ぬなよ」


これまで直接的な絡みが描かれなかったレッドとグリーンの関係を掘り下げつつ、ハヤテの知略・技巧面をしっかりと描写しています。
戦闘力自体はリョウマの方が上なのですが、知性ではハヤテに分があるという書き分けもまた秀逸です。
シェリンダがハヤテへ因縁をつけていき、貝の笛で2つの風の笛をかき消すのですが、ここで消えたのがハヤテではなく偽者のリョウマという描写も秀逸。
視聴者をうまく騙しつつ、そこからいつも違う笛の音をこだまとして反映させることでバルバンの作戦を完全阻止、といい感じに対比が決まりました。
作戦成功したハヤテはその後ギンガ転生して、改めてシェリンダとの一騎打ち、見事にグリーンが勝利し傷を負わせることに成功させます。


「ギンガグリーン、この決着は必ず!」


女幹部とサブリーダー格の絡みというと「シンケンジャー」の茉子と太夫を思い出しますが、あっちは女同士の同病相憐むみたいな感じ。
こっちはそういうのがなく、純粋な敵同士、ライバル同士としての関係という感じで、お互いにしっかりとキャラが立ちました。
そして作戦成功したレッドとグリーンは3人とともに合流して機刃の逆鱗で一気に撃退、そのまま巨大戦もギンガイオー無双で仕留めます。
ラストはご馳走をつまみ食いするヒカルを嗜めるゴウキを描きつつ、外ではリョウマとハヤテが静かに風の笛を吹くカットで渋く締め。


非常に叙情的なエピソードでしたが、脚本・演出ともに非常にクオリティが高く、長石監督とはまた違った味で情感を描くことに成功しました。
辻野監督の魅力ってなかなか言語化しにくいのですが、長石監督はどっちかというと役者の表情やアップを多めに撮って色気を出す演出なんですよね。
それに対して辻野監督は情景描写や音の演出など、やや間接的に情感を炙り出す感じで、第三章と第四章も、そして前回もそんな感じで撮られています。


また、今回の話でハヤテとミハルを通じてギンガの森での暮らしが描かれており、ギンガマンの故郷への思いがきちんと描かれているのもよかったところです。
あくまでも「バルバンを倒して星を守る=公」とともに「ギンガの森を元に戻す=私」もまた視野に入れて戦っているのがギンガマン独自のヒロイズム。
その上でギンガの森がどんな場所なのかの象徴に婚約者のミハルを持ってきたことで、一気にギンガの森の描写に具体性が増して説得力倍増です。
思えば「ゴセイジャー」に足りなかったのはこういう描写であり、護星界がどんな場所なのかの具体的な描写がなかったので、感情移入できなかったんですよね。


そして改めて思ったのですが、ギンガマンは歴代戦隊の中でも変にすれたところがなく純朴な戦士であるというのがいいところです。
たまたま選ばれてなりましたではなく、あくまでも地球の平和を守るために力と技を磨き上げてきた戦士であるというのが大好きなところ。
そしてバルバンもそれと対をなすように理想的な悪役として描かれており、評価はもちろんS(傑作)です。


第十一章「戦士の純情」


脚本:小林靖子/演出:長石多可男


<あらすじ>
度重なる作戦失敗に痺れを切らしたゼイハブはそろそろクビを跳ねるか詰め寄ってくる。窮地に追い詰められたサンバッシュはラストチャンスが欲しいとゼイハブに頼み、最後の賭けに出ることにする。魔人ネイカーを使ってある秘策を実行することにした。一方、ギンガマン側では晴彦から勇太の学校に授業参観に誰か代理で出席して欲しいと頼まれ、たまたま非番だったゴウキに白羽の矢が立つ。授業参観に行ったゴウキは教室のドアをうっかり壊しそうになった挙句、担任の鈴子先生に一目惚れしてしまう。そこにモークからバルバン襲来の連絡が入り、ゴウキは中断して戦いに駆けつけるのだが…。


<感想>
第三章以来となる花の戦士…じゃなかった、水の戦士・ゴウキのメイン回。改めてゴウキのキャラクターの方向性を決定した回であり、大好きでございます。
今回はゴウキのキャラクターが改めて全面的に描かれていましたが、いやあこの役所は正に照英氏にしかできない役所で、というかもうほぼ照英氏自身ですよ。
ゴウキ=照英氏というのは当の本人もギンガマンDVDのムック本で役者たちが言ってましたし、去年の東京国際映画祭の「ゴーゴーファイブVSギンガマン」のトークショーで前原一輝氏も仰ってましたね。
この回は第三章以上にそんなゴウキの魅力がたっぷり詰まっていて、気は優しい力持ちを地で行くゴウキの魅力が堪能できる名編じゃないでしょうか。


「サンバッシュ、俺も遊びでてめえを行動隊長にしたんじゃねえ!ここらあたりが我慢の限界ってもんだぜ」
「せ、船長、すまねえ!あと一回、俺にチャンスをくれ」


いよいよ責任取って指詰めならぬ東京湾に沈められそうな勢いのサンバッシュですが、ここで改めてゼイハブ船長の威厳を出しつつ、サンバッシュが空元気や無根拠でなしに作戦をきちんと考えています。
その頃ギンガマンは晴彦さんから、勇太の授業参観に急用で行けなくなったため、代理で勇太の授業参観に出てほしいと頼まれました。
ここでヒカルとサヤが挙手するのですが、ハヤテに「子供が行ってどうする」と窘められ…まあ確かにヒカルもサヤもまだ幼いから行ってもろくなことにならなさそうです。
この中で一番まともなのはハヤテなのでハヤテが行ってもいいのですが、そのハヤテはリョウマとともに乗馬教室の担当ということで、一応来客がいることが判明。


というか、こんなバリバリの民族衣装を着てる人が担当している時点で凄いのですが、多分これは青山晴彦氏の友人であるオーナーが裏でしっかり根回ししているに違いありません。
「いや実はですね、その先生方なんですけど、ちょっと奇抜な民族衣装ですが、お気になさらず…」みたいな感じで紹介していると思います。
そしてその中でも爽やか好青年なリョウマとキムタク風イケメンなハヤテが主婦に大人気ということなのでしょう…客層はおそらく女性が多いと見ました。


で、白羽の矢が立ったゴウキは授業参観に駆けつけたはいいものの、教室のドアを危うく壊しそうになった挙句、鈴子先生に一目惚れしてしまい、カメラには鈴子先生しか写っていない。
もはや完全に「美女と野獣」の領域を通り越したストーカーなゴウキですが、一転してバルバンが街を襲ったとなるとサッと戦士の顔に戻って教室から大ジャンプ。
どれだけ恋愛やらしていようが、あくまでも最優先はバルバンとの使命であるということで、ここで誇らしげな笑みを湛えている勇太君のアップがよかったです。
内心(ふ、すげえだろ?俺はこんな凄い戦士たちと友達なんだぜ?)みたいな…でもこんなに凄い戦士たちを知ったら、クラスメートなんて全員ショボく見えるでしょうね。


それで、バルバンは何なら地面に次々とドリルのような針を仕込んでおり、それを迎撃するギンガマンですが、意外にもあっさりと撤退。
何か理由があるのかと疑いつつ、戦いを終えたゴウキはルンルンスキップで鈴子先生の元へ…しかし授業はとっくに終わっていて、ゴウキは完全に心ここに在らず。
戻ってきた晴彦さんが「ビデオに鈴子先生しか写ってない!」と糾弾すると、ホットケーキを黒焦げにしたゴウキが完全にメルヘンチックな表情でオトメンモードに入ります。
スタッフたちからも言われていたそうですが、本当にこれは演技を超えて照英氏のリアルな表情が出ていたそうで、泣き顔以外も迫真の演技です。


その後ゴウキは公園で鈴子先生が泣いている場面に遭遇し、担任としてなかなか自信を持てずにいると、ゴウキが慰めます。


「俺、剣苦手だったけど、戦士になったし」
「勇太くんが言ってた。ゴウキは強いけど、優しい戦士なんだって。ほんとね」


ここで勇太が担任にギンガマンのことを影褒めしていることが判明しましたが、なるほど、恐らくは青山親子が根回ししているに違いありません
なるほど、ギンガマンが世間から浮いてしまわないように、画面に映っていないところでギンガマン5人のことをちゃんと青山親子が頑張って説明していたのか。
で、ゴウキはそれでいいとして、リョウマやハヤテ、ヒカル、サヤのことはどんな感じで鈴子先生に伝えているんでしょうか?
まあリョウマは「優しく強く僕を導いてくれる理想のお兄さん」だとして、ハヤテは「ちょっと厳しそうな人」、ヒカルは「やんちゃないたずらっぽい戦士」、サヤは「優しいけど活発な少女戦士」かな。


しかし、今度は突然の大地震が発生してしまい、一体何なのかというと、実は先ほど地面に仕掛けた針をバルバンの魔人が突いて刺激したことで、意図的に地震を発生させたのだ!
ここで改めてバルバンの魔神のデタラメな強さが描かれていますが、大掛かりな地震発生装置ではなく、針でツボを刺激してという要領の良さが侮れません。
基本的に頭脳面が残念なヒャッハー系のサンバッシュ一味ですが、ここに来てギンガマン側に一矢報いて脅威を示しているのはよかったところです。
単にやられっぱなしで終わったらつまらないですからね…まあそれでもギンガマン側が今の所は優勢なのですが。


鈴子先生の婚約者と思しき人が下敷きにされてしまい、ゴウキが助けるのですが、その婚約者を演じているのはレッドのスーツアクター・高岩成二氏。
それでゴウキは鈴子先生に婚約者がいたことで勝手に失恋したと思い込み、泣きながらギンガ転生し…照英が泣きながらギンガ転生する画像ください!


……ごめんなさい、ついつい2011年のネタに乗っかってしまいましたが、やっぱり照英氏といえばこのくしゃっとした泣き顔だよなあと…ゴウキに泣きの演技をさせたら国宝級。
失恋を「振り切る」のではなく「引きずる」という形での涙の疾走がとても印象的で、しかも戦闘力最強だったはずのギンガレッドを圧倒する魔人を怪力で投げ飛ばす!
凄い、鈴子先生関連だと凄まじいパワーを発揮するゴウキがもう完全にオトメンで、そのまま激流一刀で決め、そんまま巨大戦までサクッと終了。
失恋してどん底に落ち込んだゴウキを腫れ物に触るように扱い、野次馬根性で聞きつけた晴彦さんをたしなめつつ見守っていると勇太君がゴウキに説明します。


「ゴウキ、大ニュース大ニュース!」
「ん?」
「鈴子先生結婚なんてしないよ!」
「え?」
「相手の人、鈴子先生の「お姉さん」の結婚相手なんだってさ」
「ええ!?やったーーーーー!!」


ここでどん底モードから一気に祝福応援モードになるギンガマン5人ですが、何がいいって「戦士だから恋愛なんかするな!」ではなく「戦士でも恋愛していいよ」ってところです。
他の戦隊、それこそ昭和戦隊やその昭和戦隊の自己犠牲を極端なまでに表現した「シンケンジャー」では「恋愛する暇があったら稽古に打ち込め!」となるでしょう。
しかし、本作はそうではなく、前回のハヤテの婚約者・ミハルがそうであるように「恋愛することが同時にギンガマンの使命のためにもなる」という考え方であることが伺えます。
公の為に私を犠牲にするのでも、そしてその逆の私のために公を犠牲にするのでもなく、公と私の双方ともしっかり満たせる強さを持っているのがギンガマンなのです。


これは同時に「カーレンジャー」「メガレンジャー」で「ヒーローと一般人」というアプローチを「弱いヒーロー」で描いて来た高寺Pの考えのベースにあるものでしょう。
「カーレンジャー」では「一般人=私」と「ヒーロー=公」を対比させつつ、その両者を「夢」というキーワードでつなぎ、最終的にはそれすら追い越して「光」となって真のカーレンジャーになりました。
「メガレンジャー」では逆に「ヒーロー=公」であることを優先するためにラストの方では「一般人=私」であることを犠牲にするという展開が散見されています。
前二作ではヒーロー性を前面に押し出さず、敢えて卑近な視点から「ヒーローは何のために戦うのか?」を問い直すことで逆説的にヒーローの存在意義を問いました。


それを踏まえた本作は逆に最初から「ヒーロー=公」の存在として誕生させたギンガマンの中にいかに「人間性=私」の部分を描くのか?という試みがなされています。
だからこそ、5人全員共通の「私」の目的として「ギンガの森を元に戻す」があり、さらに個々にリョウマがヒュウガとの関係、ハヤテがミハル、ゴウキが鈴子先生という風に「私」の部分を設定しているのです。
まさに公も私も双方を満たす理想のヒーロー像であり、それ故にこそある意味完璧すぎるとも言えるのですが、前回のハヤテとの差別化も含めて非常に楽しく描かれた回。
やっぱりギンガマンは「ストーリーが緻密で面白い」ことと「見ていてスカッとして楽しい」ことを両立させているので、安心して見られるんですよね。


かといってギンガマン側だけではなく、バルバンもバルバンで細かいキャラのやり取りや作戦などの段取りを上手く組むことで、キャラが一貫性をもってブレなく動いています。
やっぱりヒーロー側だけではなく悪の側もしっかり立っていることが大事で、近年だとヒーロー側を立てるために悪の組織の描写が蔑ろになることが多いんですよね。
そういう中にあって、本作はヒーロー側もヴィラン側もバランスよく描かれており、お手本のような一作であり、評価はS(傑作)


第十二章「悪夢の再会」


脚本:小林靖子/演出:長石多可男


<あらすじ>
前回の作戦に失敗したサンバッシュは遂にゼイハブから死刑宣告を食らってしまうのだが、前回の作戦はあくまで前振りであり、まだ終わっていないと言い返す。そう、サンバッシュがネイカーを使って起こした地震はダイタニクス復活のためだけではなく、それによって地形変動を起こし、崖の下にある洞窟を出現させるためだったのだ。しかし、その洞窟の入り口は固く閉ざされており、サンバッシュの手で開けることはできない。そこでサンバッシュは一計を案じ、ギンガマンを呼び出して洞窟の入り口を開けるように要求するが、その棺桶に入っていたのは死んだはずのヒュウガだった。


<感想>
さて、第1クールの締め、いよいよサンバッシュ一味の最期が描かれます。


「処刑の方法は選ばせてやる。何がいい?」
「わしゃ、久しぶりに火あぶりがいいと思うがなあ」
「ちょっと待ったあ!」


バルバン側は完全にサンバッシュ処刑のお通夜モードですが、ゼイハブは何があろうと基本的に「ダイタニクス復活」さえできればそれでいいと思っています。
そのためなら部下を切り捨てることになろうが何のその……それでいて決して情がないわけでもないというバランスがゼイハブの恐ろしさです。
非情に見えますが、経営者としてはある意味理想的であり、あくまでもきちんと結果を出してこそであり、遊びではないのだという経営能力にも長けています。
後の2クール目、3クール目でも描かれていますが、ゼイハブの魅力は「利食い」と「損切り」の使い分けに長けているところなんですよね。
それこそ投資家や資産家にもなれる資質や眼力はあるんじゃないでしょうか…うん、宇宙海賊の船長に留まっているのがもったいない気がします。


しかし、サンバッシュも最後の意地…ならぬ最期の意地で前回地震を起こさせたことでもう1つの効果が発動していたと上手く前回から繋げました。
サンバッシュが掲げる最期の作戦はカゲロウ岬にある洞窟の入り口の奥にあるのですが、しかし扉が固くて開けられません。
そこで扉を開けてもらうためにギンガマンの力を敢えて利用することを考え、彼らの精神的な弱点となっているヒュウガを棺桶に入れて要求します。
当然ながら罠の可能性が高いとモークは警戒するのですが、それすらも5人は取っ払うのです。


「何があろうと、バルバンが何か企んでいるなら俺たちは行くべきだ。そうだろう?」
「私は心配なんだ、君たちが」
「大丈夫!俺たちは戦士だ」


ここで良かったのはギンガマン5人とモークが対立しているように見せておきながら、モークにはモークの、ギンガマンにはギンガマンの言い分があると示していること。
モークもただ非情なだけではなくギンガマンへの思いやりがあるところは意図的なゼイハブとの対比になっていますし、ギンガマンも重要な場面ではモークの指示ではなく自分たちの考えを大事にしています
特にリョウマの「俺たちは戦士だ」が名台詞であり、これは第七章の星獣の復活で見せたリョウマの前向きな姿勢で、たとえ罠とわかっていようと、それに勇猛果敢に飛び込めなくて何が戦士だ、ヒーローだというのです。
しかも、いかにも自己犠牲っぽく悲壮感たっぷりにいうんじゃなく、「俺たちはこんな時のために訓練してきたんだろ?」とごく普通に笑顔で言うところがギンガマンらしい。


3,000年間もずっとバルバンと戦うために体術も剣術もアースも全部を磨いており、しかも戦士になってもずっとそれを継続しているからこそ、笑顔でこれが言えるのです。
本作の逆として描かれている「シンケンジャー」はやはり「ヒーローであるためには全てを捨てよ」であり、侍であるためには笑顔を捨てて悲壮感を纏わせていました。
そこもおそらく意図的な対比として小林女史は描いたのだと思われますが、同時に「バルバンを倒す」ことと「兄・ヒュウガを助ける」ことのどちらかを犠牲にしません
リョウマのヒュウガへの屈折した強い思いも示されつつ、同時にヒュウガがギンガマン5人にとっての求心力であることも示されたのが良かったところでしょう。


もちろん罠と分かっているから正面から全員で突っ込むなんてことはせず、ハヤテたち4人が陽動作戦で時間を稼ぎ、ヒュウガの元にはリョウマを行かせます。
リョウマは炎のたてがみを用いて洞窟の扉を開けると、そこにはサンバッシュがいざという時のためしたためていた「ギンガの光」が入った小箱があるのですが、ここでヒュウガが悪辣な笑みを浮かべる。
やはりあのヒュウガは偽物であり、その正体はサンバッシュ一味最後の魔人であるグリンジー…まあ予測可能な展開ではあったのですが、リョウマたちの精神的弱点を見事に利用した形に。
サンバッシュ一味もここでギンガマン側に一矢報いた形となり、決してやられっぱなしで終わらず窮鼠猫を?む勢いでしっかり食いついてきたのが良かったところ。


怒りで猛反撃に移った5人は正に怒り爆発の「機刃の逆鱗」を発動させて追い詰め、レッドがサンバッシュと、そして4人がギンガイオーと戦う変則的なバトルに。
あくまで幹部は戦闘力最強のギンガレッドが相手にするのがとても良かったところで、特に兄・ヒュウガを故意に利用して罠を仕掛けたことへの怒りが爆発します。


「てめえ、不死身か?!」
「言った筈だ、俺はお前を許さない!!」


やや満身創痍ながらもギンガレッドが炎一閃、そしてサンバッシュが銃撃を浴びせてダブルノックアウトと、しっかりアクションで盛り上げてきます。
そして、グリンジーはギンガイオーによって撃破され、サンバッシュはなんとか小箱を拾って開けるも中身は空っぽで、ギンガの光は別のところへ消えていたのです。
ここであっさり作戦成功してたらつまらなくなったと思うので、ギンガの光に関してはここで見つからずにホッとしています。
また、サンバッシュが隠し事をしていたのも、部下がすでに第五章でやっていたのが伏線として効いており、ヒャッハーながら意外に策士の一面も見せました。
しかし最期の作戦すらも通じなかったサンバッシュは自爆特攻でバイクでギンガレッドに突撃します。


「いつか、どデカいことしようと、3,000年もの間船長にも隠してたもんを……!俺にもう後はねえ!」


ここでのポイントは実は自己犠牲をしているのがギンガマンではなくバルバンであるというところで、しかも自爆特攻をカッコ悪く描いています。
レッドも最後のど根性でジャンプし、空中回転での二刀一閃という凄まじく難度の高い技を披露し、サンバッシュは海へダイブし爆発四散。
バルバンの歯車という「公」としてではなく、個人的な欲望という「私」のために散っていくのがいかにもサンバッシュの個性が出ています。
あくまでもバルバンは組織でありながら、所詮は野党やゴロツキの集まりにすぎないのだと示した上で、その死をカッコよくは描きません。


まあ「シンケンジャー」でもそうだったんですけど、小林女史は基本的に「死」というものを決してカッコよく描く人じゃないんですよね。
時代劇趣味の持ち主でカッコいいヒーロー像は好きだけど、かといって自己犠牲を美徳とはせず醜い最期として描いているのが特徴的です。
そしてそれを裏から見張っていたブドー魔人衆の1人である虚無八が見届け、ギンガマンはヒュウガが偽者だったことにショックを受けています。
サンバッシュ決戦編でしたが、盛り上げ方にしっかりと一枚にも二枚も仕込みがしてあったのが良かったですね。


これまでも示されてきた通り、サンバッシュって四軍団の中では一番弱くて結構ギンガマンにやられているので、ただの決戦では盛り上がりません。
そこでヒュウガが偽者であるというネタを入れてギンガマン5人(特にリョウマ)の思わぬ弱点を突いて揺さぶりをかけ、また「ギンガの光」という2クール目以降に繋がるマクガフィンも出しています。
しかも裏でブドー魔人衆が動きを見せているカットを入れることで、次回以降へ違和感なく繋いでおり、1クール目の締めとして完璧でした。
基礎土台となる人間関係の構築とヒーロー像の確立、そして2クール目以降にもつながっていく数々の伏線をしっかり仕込んだ上で盛り上げて見せた1クール。
今回はその締めとしてリョウマたちギンガマンの圧倒的な戦士としての強さも引き立ち、決戦編として完璧な回であり、評価はもちろんS(傑作)

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

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