『星獣戦隊ギンガマン』(1998)1〜6話感想まとめ

 

第一章「伝説の刃」

第二章「星獣の再来」

第三章「大地の知恵」

第四章「アースの心」

第五章「必殺の機刃」

第六章「星獣の危機」

 


第一章「伝説の刃」


脚本:小林靖子/演出:田崎竜太


<あらすじ>
ある森の奥、青山晴彦と息子の勇太は取材に来ていたが、勇太はゲームに夢中で聞こうとしない。そこには「ギンガの森」という特殊な民族がいて、「アース」という不思議な力を持ち平和に暮らしていた。その日はちょうど第133代目の戦士が誕生する儀式の日であり、炎の戦士であるリョウマとヒュウガが訓練をしていた。そこにハヤテたちも駆けつけ、選考から落ちたリョウマは彼らを祝福しつつ、祭料理の材料を取りに向かう。しかし、結界の側で取ろうとしたところ、誤って外に出てしまい、リョウマは勇太と鉢合わせになってしまう。星獣剣継承の儀式の後、長老オーギはギンガの森の民に、そしてリョウマが勇太にギンガの森の伝説を語って聞かせるのだが…。


<感想>
さあ来ました、我が人生のバイブル『星獣戦隊ギンガマン』の感想をガッツリ書いていきます。
もう何百回と見て来た作品ですが、「シンケンジャー」を書いてしまったら、もう勢いに乗って「書いてしまえ!」ということで、流ノ介ではありませんが、こういうのはもう勢いです。
既に歴代戦隊の総合評価を書いているので、それらも踏まえつつ、改めて本作の魅力をしっかり一話ずつ言語化していければということで、よろしくお願いします。


冒頭はまず若本氏のナレーションから始まり、ギンガの森があるところを俯瞰からアップで映し、空飛ぶドングリこと森の妖精ボックのカットが映り、そこから青山親子へ。
そう、いきなり伝説の戦士であるギンガマンが出るのではなく、まず青山親子が森に取材に来たという始まりであることがとても大事なのです。
青山親子はいわゆる本作における「狂言回し」の役割を担っているのですが、いわゆる「外」の世界にいる一般人代表として視聴者の感情を代弁してくれます。
また、大人の晴彦の方が伝説に夢中であり、息子の勇太君は逆にこまっしゃくれていて、気怠そうにゲームしているという性格の描写も見逃せないところ。
こういう視点を過不足なく描写することで、視聴者が素直に作品世界へと入り込み感情移入しやすくしているのです。


さて、その青山親子が来た山の奥には結界が貼られており、そこにはまるで古代の世界からそのまま現代にやって来たとしか思えない原住民の姿と世界がありました。
ここで「第一章 伝説の刃」というテロップが出る演出も絶妙で、いきなりアクションで飛ばすのではなく、ギンガの森がどういう場所なのかをしっかり描写していきます。
撮影当日たまたま雪が降っていたこともあって、それが余計に幻想的な雰囲気を醸成しており、また長老オーギを演じる有川氏の演技や住民たちも違和感なく画面に映りました。
ギンガの森の住人は「アース」という特殊な力を持ちながらも平和に暮らしている…そしてそのアースが何なのかを直後に出てくるリョウマとヒュウガの訓練を通して描写。


リョウマの「炎のたてがみ」はとても小さく、そしてヒュウガの炎のたてがみが大きい…この一瞬だけでもヒュウガがリョウマより遥かに上というのがわかります。
ヒュウガを演じたのは元ニンジャレッドの小川輝晃氏、本作においてはいわゆる70・80年代型の完璧超人レッドの象徴として出てきており、リョウマがそれとは違う新世代のレッド
また、この「アース」とは総合評価でも書きましたが、「チェンジマン」に出てくる神秘の力・アースフォースをファンタジー戦隊風に洗練させた設定になっています。
そしてその後ハヤテ、ゴウキ、ヒカル、サヤの4人が現れますが、この1シーンでギンガマン5人のキャラクターと関係性が描写できているのが素晴らしい。


全盛期の小林女史の脚本の力もそうですが、役者の表現力もよく、特にゴウキを演じている照英氏のガチガチの緊張しいな感じなどはかなりリアルです。
またここでリョウマが落選したことやヒカルがいたずらにアースを使ってハヤテに説教されるワンシーンがあり、この描写は第四章への伏線となるのでお覚えておきましょう。
本当にこの序盤のシーンだけでも、ギンガの森の世界観やギンガマンたちのキャラクターと関係性までちゃんと説明できています。
その後のシーンで星獣剣を継承するハヤテたちですが、ここでバルバンの復活を示しつつ、リョウマは森の外で勇太少年と出会って森の伝説を話すのです。


ギンガの森の伝説とは3,000年前にあった初代ギンガマンとバルバンの戦いであり、2つの力が1つとなってバルバンがこの地球の海底深くに封印されたというもの。
つまり、いつバルバンが復活するかわからないために、ギンガの森の民は常に臨戦態勢で準備してきたという、歴代でも恐ろしく戦闘知能が発達した民族です。
ここが「ジュウレンジャー」との大きな違いであり、「ジュウレンジャー」では伝説に関して一億数千万年も眠っている間にすっかり忘れていました。
しかし、本作ではバルバンが来る時に備え、しかも外の世界にいる連中に力を悪用されないように準備して来たというのが大きな違いです。


とはいえ、勇太君はあくまでも科学の時代の中で生きて来たために、そのような伝説を迷信で嘘だと笑い飛ばしてしまいますが、ここで怒ったりせずに「まあ無理もないか」というのがリョウマらしい反応ですね。
ちょっとやそっとのことでは怒らないリョウマのどっしりした包容力も描かれていきますが、しかしその時に地震の影響で宇宙海賊バルバンが復活。
ここのバルバンのやり取りもまたギンガマン側と同様に1シーンでバルバンの幹部たちと関係性が描かれており、さらにゼイハブ、シェリンダ、ブクラテスの立ち位置も描写されています。
ゼイハブ船長もまた凄まじいカリスマ性と統率力を誇っており、歴代戦隊でヒーロー側もヴィラン側もここまでワンカットでわかりやすく伝えている作品はなかなかありません。


アイキャッチを挟んでBパート、バルバンが街を襲撃しますが、ここでサンバッシュがバイクと銃、ブドーが刀、イリエスが魔術、そしてバットバスが斧で砕くとそれぞれの能力を発揮。
ギンガマン側はバルバンが復活したと睨んでギンガブレスを雄叫び山へと取りに向かうのですが、第一話にして馬で駆け抜ける描写が「シンケンジャー」へ継承されています。
そしてギンガブレスを受け取ろうしたところで襲ってくるゼイハブ船長、いきなり5人は生身での戦闘シーンとなりますが、流石に鍛えられただけあって生身でも余裕です。
しかし、ヒュウガに襲いかかるゼイハブの戦闘力は圧倒的で、フックと剣だけでヒュウガを追い詰めてしまいます…初代ギンガマンはもっと手強かったそうですが、一体どれだけ強かったのでしょうか?


そこにリョウマと勇太も居合わせ、リョウマは思わず助けに行くものの、アースの力がまるで違うために歯が立たず…ここで前半のアースの実力差が前振りとして生きてきます。
そしてゼイハブは剣で地面を真っ二つにし、ヒュウガを裂け目に入れてしまう…きました、この第一章最大の見所であるリョウマとヒュウガのやり取りです。


「…リョウマ、聞くんだ。お前にも、大きなアースはあるはずだ…自分を、自分を信じていないだけだ!」
「兄さんッ!」


そう、ここでいきなり「ヒュウガの死」という形でなし崩しにリョウマが星獣剣の戦士になることに…「お前の力を…俺は信じてる」がもうね、泣かせにかかってきます。
戦隊シリーズで大事な人の死というと「ジェットマン」の竜とリエの死もありますが、本作のリョウマとヒュウガは正規戦士の兄とその代理人という形でひねっているのです。
「シンケンジャー」では物語のオチとして使われた「代理人のレッド」を本作では導入の段階で用いて、旧世代のレッドから新世代のレッドへという王道として使っています。
このヒュウガの死をスプリングボードとして、視聴者を一気にここでストーリーへ引き込み、ここまで穏やかだったリョウマが遂に怒りの雄叫びを上げる!!

 

「兄さん…うわあああああああああああ!!!だああああああああああ!!!うわあああああああ!!」

 


このリョウマの覚醒シーンは「ドラゴンボール」の孫悟空が超サイヤ人に覚醒するときや孫悟飯が超サイヤ人2に覚醒するとき並のかっこよさです。
少年ジャンプで用いられる「怒りによる覚醒」を本作は導入の段階で持ってきて、ここで私はもう一気にハートをぶち抜かれ、リョウマを大好きになりました。
そして繰り出されるリョウマの炎のたてがみ…なんと兄をも上回る威力で大量のヤーットットをあっさり殲滅、その勢いに乗って叫びます。


「許さない!お前たちは…俺が!俺たちが!!」
「「「「「倒す!!!」」」」」


ここでのリョウマたちのアースと思いに雄叫び山が反応し、ギンガブレスが5人の元へ…リョウマも一気にヒーローの顔つきに変わり、遂に伝説の戦士が誕生する!


「行くぞ!銀河転生!!ギンガレッド!リョウマ!!」
「ギンガグリーン!ハヤテ!!」
「ギンガブルー!ゴウキ!!」
「ギンガイエロー!ヒカル!!」
「ギンガピンク!サヤ!!」
「銀河を貫く伝説の刃!星獣戦隊!!」
「「「「「ギンガマン!!!」」」」」

「ギンガマン!それは勇気ある者のみに許された、栄誉ある銀河戦士の称号である!」

 

リョウマの覚醒から一気にこの名乗りまで持って生き、伝説の戦士を誕生させ、なぜ「ギンガマン」と名乗るのかまで完璧に説明…歴代で見ても戦士のデビューとしては空前絶後の完成度です。
しかもそこからさらに終わらず、リョウマの「銀河炸裂!!」という音頭で一気にリョウマたちは襲いかかり、まず4人が星獣から受け継いだアニマルアクションでヤートットを倒していきます。
主題歌に乗せてのスピーディーなアクションも素晴らしいですが、何と言っても素晴らしいのはヒュウガから受け継いだ星獣剣を抜き、幹部たちの攻撃すらも物ともせず突進するリョウマ。
そのまま4幹部たちを一蹴しゼイハブへ詰めていきますが、やはり変身してもゼイハブは強い…剣とフックで振り回され…しかしここでもくたばるリョウマではない。
すぐさま炎のたてがみを繰り出して圧倒し、さらに星獣剣にアースを込めた必殺技を繰り出す!


「炎一閃!!でやああ!!」


覚醒直後とはいえ、かのシンケンレッドもかくやと言わんばかりの圧倒的な戦闘力であり、単純な戦闘力や実績だけでいえば、リョウマも間違いなく歴代トップクラスには入るでしょう。
しかし、まだ判断力その他で兄・ヒュウガに劣っているのは事実であり、ここからどうやって真のギンガレッドになって行くのかという壁が示されています。
最後にレッドが見つめた星獣剣に4人の星獣剣が重なり、高々と掲げるシーンはこの第一話の締めくくりとして完璧なカットであり、全く隙のない第一話です。
ストーリーからキャラクターから、そして世界観から伝説からすべての内容を過不足なく詰め込み、弱いと思われていたリョウマの覚醒からギンガマン誕生、そして戦闘シーンまで詰め込んでいます。


前作「メガレンジャー」までの二作を経験した高寺Pが「王道中の王道を行く正統派の戦隊」として小林靖子女史をメインライターに抜擢して集大成として作り上げた本作。
玩具販促のスケジュールもまだそこまで厳しくなかった90年代後半という時代の幸福も手伝って、非常に濃密な第一話でございました、それをまとめ上げた田崎監督も見事。
こりゃあ平成ライダーのパイロット監督請負人となるわけです。幕の内弁当のごとき充実度・完成度であり、評価はS(傑作)以外にありません。


第二章「星獣の再来」


脚本:小林靖子/演出:田崎竜太


<あらすじ>
3,000年の封印から目覚めた宇宙海賊バルバンだったが、予想以上のギンガマンの強さに攻めあぐねていた。しかしそれ以上に彼らの船・ダイタニクスの封印が解けないことの方が問題である。一方ギンガの森ではヒュウガを弔う儀式が行われ、リョウマたちは改めてバルバンと戦う決意を固め、星獣の再来を信じた。ゼイハブはダイタニクス復活のエネルギーを集めることを決意するが、幹部たちが喧嘩を始めたのでサンバッシュがコルシダーと共に自動車に目をつけて復活のエネルギーを集めて回る。一方その頃、操舵士シェリンダはサンバッシュが上手くいかなかった時の保険として次の策を行動に移していた。


<感想>
新しく誕生したギンガマンの誕生シーンから、まずはバルバンのところへ。ギンガマンと切っても切れない腐れ縁のような関係にどうすればいいか考えていた。
しかし、それ以上に深刻だったのが肝心要の海賊船である魔獣ダイタニクスの封印が解けないことであり、ゼイハブは魔獣ダイタニクスのスペックについて説明する。
魔獣ダイタニクスは単なる銀河中を飛び回る海賊船というだけではなく、星をボロボロに破壊した後、星の命を宝石に変えることが出来、地球は一番この中でも上等の宝石になると睨んでいる。


まずこのシーンで特筆すべきことはゼイハブ船長の判断力の高さであり、魔獣ダイタニクスが復活しないことにはギンガマンと星獣を攻め落とすこともできないと優先順位を的確に分析していること。
2つ目に魔獣ダイタニクスが星の命を宝石に変えられる能力を持ち、地球はその中でも一番上等なものになるとしたことで、地球を攻めることに説得力を持たせています
しかもこの星の命は終盤に物語の核に絡んでくる重要な伏線でもあり、思えば第一章といい第二章といい、小林女史の丁寧かつ完璧な段取りが組まれているのです。
それと同時に、リョウマたちが戦うべきバルバンの悪としての脅威がしっかり説明されており、もうこの段階でヒーローもヴィランもきっちり描写を済ませています。


一方ギンガの森ではヒュウガの魂を送る儀式が行われ、森全体が悲しむ中リョウマはヒュウガから託された星獣剣を複雑な心境で見ますが、そのあとの5人のやり取りもまたいい。


「バルバンのやつら、絶対ぶっ潰してやる!」
「しかし、奴らを封印する手段はもうない。それに3,000年前、戦士たちと戦った星獣たちもいない。かなり厳しいぞ」
「俺たちだけで十分だよ!炎の戦士もリョウマが後を継いだし」
「いや、確かに俺たちの方が不利だと思う」
「リョウマ!」
「でも!俺は戦う、持てるアースの全てを賭けて!」
「リョーマ!」
「奇遇だな、実は俺も同じ考えだ


ここで泣き虫のゴウキをヒカルが叱りながら、まず最年少で未熟者ながらギンガマン一の正義感を持つヒカルが息巻き、それをハヤテが厳しく諫めます。
リョウマもそれに賛同しつつ、しかし自分たちにできることを前向きにやるという判断力の高さを見せ、兄・ヒュウガが失われたことから思考を切り替えているのです。
流石は3,000年もの間バルバンとの戦いに備えてきた戦闘民族というところですが、ハヤテも厳しいことを言いつつ、奥底はリョウマたちと同じ気持ちというのがいいですね。
また、リョウマも一緒に訓練してきたから一緒に戦うことを仲間たちもすんなり受け入れているのが5人の仲の良さや距離感を絶妙に表現しています。
ここで星を眺めるリョウマのカットとともにサブタイトルが出て、物語がスタートしますが全体的にここまで無駄のない入りです。


バルバンは魔獣ダイタニクスを復活させるためのエネルギー集めの為に作戦を立てるが、最初にトランプカードを4人に配り、サンバッシュが当たりました。
この辺り、直接的に明示されていませんが後々の展開を考えると、一番やられ役っぽい感じのサンバッシュにわざとジョーカーが飛ぶように細工してあるのかなと。
第一話で街を襲撃するシーンで既にバットバス>イリエス>ブドー>サンバッシュという感じの力関係だったので、四軍団の力の差はもうここで示してあるのでしょう。
戦いはまず強くない奴から行かせる時点でゼイハブの船長としての器が示されており、武力に極振りしていて頭脳面が残念だったドウコクとの違いが示されています。
ただ、サンバッシュって基本的にボーゾックに居そうなヒャッハー系なので、シェリンダは失敗したときのことを考えてある行動に出るのです。


そして青山親子が森の取材から帰るところで青山親子のボケとツッコミの関係を描写しつつ、街中でサンバッシュ一味が街を襲うシーンに遭遇。
ここで「バルバンだ!」と前回ギンガマンとバルバンの戦いを見た勇太が冷静に判断し、それを知らない父・晴彦が狼狽える…息子の方がしっかり者です。
ボックは街へ偵察に行っていたのか、森全体にバルバンの襲撃を知らせるが、街へ5人が行こうとした時にシェリンダが結界をあっさり破って侵入してきました。
その目的はギンガの森にあるエネルギーを吸い尽くしてダイタニクス復活に利用すること…単に敵が味方の基地へ攻め込むだけではなく、その理由も納得行くものです。


ヤートットとギンガの森の民が戦闘に入りますが、剣や弓、吹き矢などが登場し、長老オーギまでもがアースを使うなど、ギンガマン以外のメンバーも戦闘力抜群。
流石にバルバンとの戦いに備えてきただけあって戦闘力が高く、ギンガマン5人がこれだけレベルの高い戦闘力を持った中で選抜を勝ち抜いた生え抜きのエリート戦士であることが示されます。
その為、ファンタジックな設定でありながら、その実態は「ゴレンジャー」「チェンジマン」のような職業軍人戦隊に近く、「シンケンジャー」もこの系譜です。
まあ「シンケンジャー」の場合は実力による選抜ではなく家系の世襲なので、実力がそんなに高くなくてもなれてしまうし、自負心や覚悟もギンガマンに比べるとやや低めではありますが。


シェリンダが仕掛けたエネルギー吸収ボムは星獣剣はおろかアースだろうと破壊できないものであり、このままなす術なしかと思われたところで長老オーギが最終手段を発動し、森を封印します。
ここでリョウマたちに衝撃を与えつつ、オーギは「大事なのは森を守りことではない!星を、人々を守ることだ!」と諭し、改めてギンガマンが正統派の正義の味方だと強調。
加えて、戦隊にありがちな「ザル警備じゃね?」に対して「侵入されてエネルギーが悪用されないようにセキュリティ対策はバッチリです」なところがギンガの森の民の戦闘民族たる所以です。
ただし、前回のヒュウガの死に続き森まで失うことになったので、リョウマたちとしてはもう完全に退路を断たれ詰み寸前という状況なので、「シンケンジャー」よりもハードな戦いとなります。
逆に言えば、シンケンジャーは「封印する手段がある」「基地である志葉家に外道衆は攻め込むことができない」「家族が全員死んだわけではない」のですから、客観的にはそこまで厳しくないのかなとも。


獣装馬に乗ったリョウマたちは後ろを振り返らず街中へ繰り出し、森が沈んでいきますが、このAパートだけでも非常に濃厚なドラマが展開されています。
Bパートに入り、命を危うく失うところだった青山親子をギンガマンが助け、リョウマと勇太が再会し、そのままバルバンとの戦いへ。
炎の戦士を受け継いだリョウマが改めて「この星獣剣に賭けて、お前たちを倒す!」と宣言し、改めてギンガ転生。
この太陽をバックにした名乗りも美しく、改めて「大自然の力を元に戦う伝説の戦士」であることが強調されています。


戦いの方は前回に続き4人がアニマルアクションを見せ、ギンガレッドもライオンの動きと体術でコルシザーを投げ飛ばした後は、銃撃を避けつつ、お返しの炎のたてがみで吹き飛ばし、炎一閃で撃退。
前回に引き続き圧倒的な戦闘力ですが、リョウマは兄ヒュウガがスペック高すぎるだけで、実力も判断力もかなり優秀なことが示されており、5人の中では最強の戦闘力です。
しかしリョウマでさえこれだから、改めてヒュウガや2クール目から出てくるブルブラックがどれだけ強いんだという話ですが…倒されたコルシザーはバルバエキスを飲みます。


「バルバンの魔人はバルバエキスを飲むことで巨大化する。だがそれは自らの命をも縮める、正に最後の手段なのだ!」


戦隊シリーズ定番の巨大化システムですが、本作ではバルバエキスというドーピングによる巨大化、しかも二度と後戻りできないことをここで強調するなど無駄のない説明。
ギンガレッドは単身で突っ込みますが吹き飛ばされてしまい、終わりかと思われたその時、ついに銀河を守護する五星獣が再来しました。
このミニチュアセットといい、東宝や円谷プロの怪獣映画路線のクオリティを再現できてるところが凄く、怪獣映画マニアの高寺Pのこだわりが強く出ています。
全員で戦うというわけではなく、リーダー格のギンガレオンがリョウマに乗ってくれと指示し、リョウマが乗るとアースの力が増大しますが、ここも秀逸な描写です。
ロボットの頭に乗る演出は「ダイレンジャー」「カクレンジャー」で見られた演出ですが、本作ではそこに乗ることによってギンガマンのアースと星獣のアースを増幅させて使うことで意味付けをしています。
同時に「ギンガマンと星獣の2つの力を合わせて初めてバルバンを倒せる」という伝説で語られ内容通りになっており、ここまでの描写に一切の無駄がありません。


必殺技・豪火炎により圧倒的な火炎放射でコルシザーを吹き飛ばしたリョウマ、星獣たちが地球にとどまって戦ってくれることでなんとか首の皮一枚で希望をつなげました。
その後は沈んだ森のことを偲ぶリョウマたち…この雪景色がそんなリョウマたちの切なく儚い心境を的確に表していて、壮絶なスタートとなっているのです。
そんな本作のパイロットですが、22作目というだけあってか、このパイロットだけでも20年分の歴史の蓄積の集約を感じさせる構成となっています。
ギンガマンとバルバンのキャラ描写や基本設定の説明、更にヒュウガの死とギンガマンの誕生、故郷の喪失と星獣の再来、というストレスとカタルシスがセットになっているのです。


戦隊シリーズにおいて、パイロットはアクションシーンの派手さばかりをメインにして、キャラ描写や基本設定の説明が希薄になることが多いのですが、本作はそれを回避しています。
バトルシーンは後半に見せ場として取っておきつつ、順序よくキャラとストーリーを噛み合わせて物語を展開し、非常に気持ちのいいスタートです。
また、無理に巨大戦まで一話で詰め込まずにじっくり余裕を持って物語を展開しているため、情報量としては90年代後期のこの時代が一番私の肌に合っているなと。
何よりギンガマンたちが地球を守る使命に対して一直線で躊躇いがないのが見ていて気持ちよく、本当に「理想のヒーロー」を徹底的に詰めて体現した感じ。
かなり長々と書きましたが、やっぱり思い入れが強い戦隊なので、どうしても長く書いちゃうよねそりゃ…評価はもちろんS(傑作)です。


第三章「大地の知恵」


脚本:小林靖子/演出:辻野正人


<あらすじ>
ダイタニクス復活のエネルギー集めに失敗したサンバッシュをブドーやイリエス、バットバスが責めて仲間割れが起きる。シェリンダは仲間割れこそが3,000年前の戦いで負けた理由だと説明し、ゼイハブはそうならないように今後の作戦を全てサンバッシュに一任し、他の幹部たちに「手出し無用」と言い放つ。一方ギンガマンは森を出て行き場をなくしたところで青山親子と再会し、働き場所も兼ねて乗馬倶楽部へ案内される。しかしその時ゴウキだけがしんみりした表情で森を見つめ、乗馬倶楽部に来てからも心ここに在らずで花ばかりを見つめていた。サンバッシュは魔人リグローを繰り出し、町中のあらゆる生き物から体熱を奪い取る作戦に出るが…。


<感想>
バルバンでは前回の敗北から、サンバッシュではなく俺たちにやらせろと自己主張、仲間割れをし始めるが、それを嗜めるシェリンダ。


「貴様ら、3,000年前に封印された原因がその足の引っ張り合いだったことを忘れたのか!」


まず冒頭の段階でバルバンの仲の悪さ、団結力の低さを過去の教訓として諌めつつ、本作なりの「悪が何故負けるのか?」をしっかり描写しています。
ゼイハブもそんな彼らを見かねて、行動隊長をサンバッシュに固定し、ブドーたち3人の幹部が一切口も手も手出し無用と諌め、なぜ一軍団ずつ出撃するのかまで補足するのです。
もう完璧というか、ここまで悪の行動理念がしっかり理詰めで説明されているので、視聴者に突っ込む隙を一切与えずにヴィラン側のドラマを展開して来ました。
同時に、これだけ多士済々の個性派を半分恐怖政治でまとめ上げるゼイハブのカリスマ性の高さも見事で、知勇兼備の首領であることがここで示されています。


一方、ギンガの森が合った湖から離れようとしたリョウマたちは星獣たちに改めて戦いの動機を語るのです。


「俺たちは必ず地球を守る!そして平和になった地上にギンガの森を戻すよ」


ここで改めてギンガマンの「戦う動機」を鮮やかにリョウマを通して提示しており、まず外的(=公的)動機として「星を守る」と定めもう1つ内的(=私的)動機として「ギンガの森を戻す」としています。
すなわち「公」だけではなくリョウマたちにとっての「私」の部分を動機としていて、「強いヒーローの中にいかに人間味を持たせるか?」をこの段階でさらっと描いているのです。
どうしてもギンガマン5人は伝説の戦士という浮世離れした存在故に視聴者からは遠い存在だと敬遠されがちですが、青山親子を視聴者視点の存在にしつつ、ギンガマンたちにも身近な動機を設定しています。
歴代戦隊でいうと「フラッシュマン」から「地球を守ること」とは別の動機をどう設定するかに苦心していましたが、本作ではそこで「失われた故郷を取り戻す」という設定にしたのです。
また、これは後半でより明らかにされますが、ギンガマンは外的(=公的)動機と内的(=私的)動機のどちらかを選ぶのではなく、どちらも等価値として守ることをも示しています。


そんなリョウマたちの元に青山親子がやって来て、住処に困らないよう友人の伝手でシルバースター乗馬倶楽部を紹介…そんな凄い人と繋がりを持ってるって晴彦さん凄いですね。
絵本作家としても上手いですし、処世術にも長けているようですから、もしかすると国のお偉方や超一流の芸能人と裏で繋がっていそうで怖いです。
ハヤテが代表して「ありがとうございました」とお礼を言い、勇太がテレビなどを説明しようとすると、ヒカルとサヤがいつ森の外に出てもいいように外界の情報収拾もしていると説明。
いわゆる異世界がかった雰囲気を出しつつ、外の世界に疎いということがなく、カルチャーショックネタなどを潔く排除したのはいいのですが、おかげでギンガマンの情報力まで恐ろしく高いことに。
ギンガマンもギンガマンで一切の隙がなく、いわゆる「人間性」と「ヒーロー性」が反比例ではなく比例しているのが本作のヒロイズムであり、まさに「シンケンジャー」とは真逆です。


リョウマたちはその後、第二章でオーギからボックに託された首飾りの中に入っていた小さな緑の種を植えると、なんとそこから巨木が一気に生える!
えーっと、これ日照権の問題とかで近隣から訴えられないかな?と思ったのですが、ここでゴウキが「ギンガの森の匂いがする」と故郷への思いを馳せています。
するとそこでバルバンの魔人が襲っていると知ったリョウマたちは戦いに出ると、魔人リグローが地上のあらゆる動植物から熱を奪って貯めていた。
前回もそうだったのですが、バルバンは一般怪人もまたとんでもない能力を持っているんですよね、決して幹部だけが強いわけではないという。


ここでギンガの森への思いを吹っ切れないゴウキがギンガの森へ戻りますが、演じる照英氏は今や国民的俳優として大成している人。
やっぱりこの段階からそうなんですが、ギンガマン一「泣き」の演技が似合う人ですねえ、だからネットでも「照英が泣きながら」の画像ネタが作られるのかなとも思います。
逆にリョウマ役の前原一輝氏は戦隊一爽やかな笑顔が似合う好青年で、作り笑いだったとしてもしっかり様になっており、逆にハヤテ役の末吉宏司氏はシリアスな表情の似合う人。
声や顔立ちもそうなんですが、いわゆる福山雅治と木村拓哉のような斜に構えたイケメン俳優の系譜で、当時かなり女性人気の高いキャラクターでした。
ゴウキがなぜここに来て1人だけ森に戻ろうとするのかを考えたら、リョウマはゴウキが花を見ていたことからある事実を思い出します。


ここでBパートですが、今回のドラマのハイライトはリョウマとゴウキの静かな語り合い…「優しい」と評されがちなギンガマンの中でも特に優しい2人の会話です。
メンバー一気遣いができるリョウマと涙もろいゴウキの2人になると一気にマイナスイオンが放出されまくり、リョウマは12年に1度の「星の花」が咲く日だと思い出します。
「ガオレンジャーVSスーパー戦隊」でも引用されていたこのシーンは私もお気に入りで、ゴウキのキャラクターの内面描写とリョウマの気遣い・気配りが描かれたいいシーンです。
辻野監督もまた長石監督とは違う意味で情感を大事にしながら撮る方なので、前回のような濃密さや派手さはありませんが、無理なくキャラが描かれています。
そんなゴウキの心境をハヤテたちも理解し、しかし年長者にして実質のリーダーとしてハヤテが嗜めるのです。


「ただし、お前も俺たちもここに来るのはこれが最後だ。後ろを向いてたら戦えない」


本作のよくできたところはリョウマが柔らか目であるから厳しさが不足している分、ハヤテがそれを補うことでバランスをとっている所。
ハヤテの立ち位置は前作のメガブラック・遠藤耕一郎を大人として老成させた形と言えますが、前半はハヤテは実質のまとめ役です。
まだリーダーとしては半人前であるリョウマを支えるいい存在であり、彼がいてくれるからこそギンガマンが単なる優しいだけの集団にならずに済んでいます。


そしてリョウマたちは再び街で暴れる魔人リグローと戦い、今回はレッドではなくブルーが「銀河を貫く伝説の刃!」と言い、戦闘開始。
リグローは単に能力が凄いだけではなく身体能力も高めでギンガマンがやや苦戦…しかし、雪の中に隠れていたレッドとブルーが星獣剣で前後から同時に突き刺して熱を解放します。
そして「炎一閃」と「激流一刀」のコンビネーションで、まずレッドが火のアースで急激に熱を上げ、ブルーが直後に水で冷やしてやっつけるのです。
その後は星獣とリグローの戦いですが、傷ついたギンガットを支える他の星獣たちもとても優しく、改めて5人全員での戦いとなります。
豪腕力→強雷撃→合花弾→轟旋風→剛火炎という連携技でしっかりトドメを刺し、リョウマたちはブレスに呼びかけて来た謎の者の声に反応し、シルバースター乗馬倶楽部の木の中へ。


「私は知恵の木のモーク」


そうしてモークは5人に「星の花」が咲いている幻影を見せ、5人はきっと沈んだギンガの森で咲いているであろうことを信じて、戦いへの決意を新たにします。


「俺たちはもう振り向かない。平和を取り戻し、ギンガの森を元に戻すまでは」


この絶望的な状況の中でも決して前向きな気持ちと戦う意義をまるで見失わないところがギンガマンの戦闘力の高さに見合う心の強さであり、とてもいい所です。
リョウマも兄・ヒュウガの死をいつまでも引きずるのではなく、未熟ながらもしっかり気持ちに整理をつけて前を向くなど、とても好印象。
頼れる兄と故郷を失いながらも、新たなる基地と仲間、住処を経てようやく本作の基盤がしっかりと完成しました。
今回はややゆったり目にドラマが流れたので評価としてはA(名作)ですが、ゴウキの心境とリョウマたちのフォローを描きつつ、戦いの動機とバルバン側の作戦の指針まで無駄なく盛り込んでいます。
まああまりにも綺麗にまとまりすぎているきらいはありますが、歴代でもここまで序盤の地固めがしっかりした作品もなかなかありません。
そりゃあ本作をモデルに「ガオレンジャー」「シンケンジャー」「ゴセイジャー」「ジュウオウジャー」など様々なエピゴーネン(亜種)が生まれるわけです。


第四章「アースの心」


脚本:小林靖子/演出:辻野正人


<あらすじ>
森を出たヒカルは戦士に選ばれたのに訓練を続けなければいけないことに不満を漏らしていると、パチンコで馬にいたずらしていた高校生をアースを使って追い払う。ハヤテはそんなヒカルをたしなめるが、ヒカルはリョウマが星獣剣で薪割りをしていたと責め、怒りの矛先がリョウマに向く前に逃げ出し、街中でアースを使った大道芸を繰り広げて見世物にしていた。一方バルバンでは、ダイタニクス復活の為のエネルギーとして電気が必要だとブクラテスに教わり、魔人ドレッドレッダーを繰り出すのだが…。


<感想>
さあ来ました、前回までで基礎の土台が出来上がったところで、改めてヒカルメイン回。
思えばギンガマンのメンバーの中で特に感情面が豊かに表現されていたのがゴウキとヒカルですが、今回の話は早速ヒカルのリョウマとは違った未熟さについて触れています。
「シンケンジャー」でいうところの千明ポジションなのですが、千明と違うのは戦闘力や使命感などが非常に高い上で、精神面がまだ子供っぽいあどけなさを残しているということ。
千明の場合は現代的な都会っ子なので擦れた感じでしたが、ヒカルはそういう擦れたところがない分遠慮も知らないので、トラブルメーカーぶりでは千明以上です。


リョウマたちが改めてモークから「アースも剣術もまだ成長途中」と指摘され、リョウマたちも同意して「今後も訓練は続ける」とストイックさを見せています。
そんな中、「戦士になれたから一流」と思い込んで不満を垂らすヒカルですが、ヒカルはいわゆる天才肌というやつなんでしょうね。
精神面で波はあっても飲み込みは早いから、器用に習得できてしまうというか…ただ、その器用さに甘えて子供っぽいいたずらな部分が目立つのでしょう。
だから、戦士になれたから即座に一流だと早合点してしまいます…そんな直後にヒカルは馬にいたずらをしようとした高校生を雷のアースで撃退するのです。


「人相手にアースを使っていいのか!」
「でもリョウマは今朝、星獣剣で薪割ってたぜ!それはいいわけ?!」


おいリョウマ、お前兄から託された伝説の剣で何やってんだよ!(笑)


まあリョウマもリョウマで別の未熟さがあるのですが、リョウマの未熟さとヒカルの未熟さは種類の違うものになっています。
リョウマの場合はあくまでヒュウガと比較しての相対的なもので、正規戦士でないのにギンガレッドになってしまったことから生じるものです。
対してヒカルの場合は正規戦士になったけれども、力の使い方や心構えなどができていないという精神面の幼さでした。
これは同時に「どれだけ強い力を持っていても、それを誇示してはならない」とすることで本作が安易な「力が強いからヒーローではない」ことを示しています。


まあ確かに高校生のイタズラに対してアースで懲らしめるというのはやってはいけないことですが、ヒカルはその辺の加減が効かないのでしょう。
ちなみにこのヒカルの未熟さはすでに第一章の段階で描かれているものなので決して唐突なものではなく、用意周到に計算された描写です。
一方バルバンの方では、今回は電気エネルギーを集めることになり、ムカデ型の魔人ドレッドレッダーを用いて電気エネルギーを奪い取ります。
人々の生活に迷惑をかける地味な嫌がらせでありながら、同時にヒカルの雷のアースがそれを解決できる策でもあるという。


しかし、ヒカルはアースの使い方をまだ心得ておらず、それをあろうことか見世物にして大道芸に使ってしまいます。
ハヤテの説教の意図がまるで伝わっておらず、それを見ていた勇太少年が懸念していると、案の定それを知ったハヤテが大激怒。


「あるものなんだから使えばいいじゃないか」
「絶対使うなと言ってるんじゃない。いい気になって振り回すなと言っているんだ。いいか、アースというのは個人の力じゃない」
「星から借り受けた力である、だろ?もう聞き飽きたよ」


ここでハヤテとヒカルの口論を通じて自然に「アースとは何か?」を説明しており、単なる特殊能力ではなくギンガマンのギンガマンたる所以を象徴するガジェットになっているのです。
ハヤテがヒカルに怒っているのはアースを使うことそのものではなく、「使い方」「心構え」の部分を指摘しているわけであり、戦い以外で誇示してはならないということでしょう。
なまじ戦闘能力が高いとついつい自信過剰になったり過信したりしがちですが、そうでなく持っている力に対して謙虚でなければいけないということを示しています。
当たり前のことのようですが、一流のステージに立てば立つほど大事なものであり、ハヤテが説いているのは「能ある鷹は爪を隠す」「実るほど頭を垂れる稲穂かな」なのです。
実際本当にすごい超一流の人ほど表にはそう見えないよううまく実力を隠しているものであり、それを得意げに見せているうちはまだまだ二流なのでしょう。


で、なぜハヤテがことさらにヒカルを叱るのかというとのも、ヒカルが実力的には「一流」だからであり、しかしマインドが二流のままだから叱らなければならないのです。
また、「アースってどうせ便利能力なんでしょ?」と視聴者に思わせたところで、その力にしっかり制限をかけて定義づけをしているのも見事でした。
総合評価や第一章の感想でも書きましたが、アースとは「チェンジマン」のアースフォースの設定を本作独自に昇華した神秘の力のオマージュです。
大きな違いとしてはアースフォースが「未知」の力であるのに対して、本作のアースは「既知」の力であり、リョウマたちも訓練で独自に習得しています。
しかし、強さや力ばかりを求めると本当はもっと大切な「なんのためにその力を使うのか?」という足元がおろそかになってしまいがちなんです。


だからこそ、本作はその部分にしっかり向き合い、あくまでも「星を守るための力」としてしっかり規定することで、ヒーロー性をきちんと担保しています。
そして夜に大規模停電が発生するのですが、ここでモークが木々のネットワークでバルバンの情報を察知し、リョウマたちに現場まで移動させるという有能さを見せるのです。
更に光がなくて困らないようにと「アース光」を使って強制的に昼間にするのですが、こう考えるとアースって実はとんでもない力なのでは?
いわゆる「ガメラ2」のマナみたいなもので、あれも大量に使いすぎてギャオスが大量発生とかになっていましたが、アースも使い方を間違えると生態系が崩れそうです。


ギンガマンはそのまま生身での戦闘になだれ込み、リョウマがブーメラン、ハヤテが吹き矢、ゴウキが鞭、そしてサヤがパチンコとどれも殺傷能力の高いものばかりで、正に生粋の戦闘民族。
……よかったね高校生たち、相手がまだヒカルでよかったですよ。これが他の4人、特にハヤテとサヤが相手だったら何をされていたかわかったものじゃありません。
爽やかな顔してこういう殺傷能力の高い武器を使うところが実に対バルバン用に特化した純粋戦士のギンガマンであり、そりゃこんなヒーローそう何作も出てこないわな。
で、ヒカルはアースを使いすぎて消耗してしまい、救援に来たハヤテ共々追い込まれるのですが、そこで自分の無力さを痛感すると、モークが改めて呼びかけます。


「俺の力ってこんなもんだったのか」
「ヒカル、それは違う。アースは君だけの力ではない、道具のように使い捨てるものでもない。星から借り受けし力、それは無限だ。そのアースを生かすも殺すも、後は君の心次第だ。立て!自分の心でアースを掴め!」
「生かすも殺すも、俺の心次第…」


ここで改めて大自然の力であるアースに対する畏敬の念を持ち、正しく使うことで本当の力を発揮することが提示され、失われたはずのアースがヒカルの中に戻っていきます。
同時にヒカルが「真のギンガイエロー」になる瞬間を改めて描いたともいえ、「アースとは何か?」を描きつつヒカルが星獣剣の戦士・ギンガイエローの入り口に立ったのです。
もちろんヒカルの未熟さがこれで完全に治ったわけでもないのですが、少なくともリョウマたちと同じ土俵に立つことができました。
それと同時にハヤテとモークが口を酸っぱくして諭して来た意味がここで結実したともいえ、お互いにwin-winの関係が成立したことになります。
なお、この失われたはずのアースを取り戻すはさりげなく伏線になっていますので、是非覚えておきましょう。


「(感じる、これが本当の…アースの力か!)行くぞ!ギンガ転生!!」


アースの本質を理解したヒカルはギンガイエローに変身すると見違えたかのようにブーストがかかり、大技「アース・炸裂天昇(?)」を食らわせ大ダメージを与え、そのまま首根っこを掴んで圧倒します。
合流したハヤテとのコンビネーションでそのまま「疾風一陣」「雷一掃」のコンビネーションで見事に決め、そのまま巨大戦まで2人で飾り、見事に活躍の場が与えられました。
序盤だと割と単独ないしコンビで倒すことが多いギンガマンですが、「5人の力をあわせる」だけではなく「自立した個人の強さ」もまたきっちり示しています。
こうすることで、安易な「みんなでGO」にせず、本作の強さがあくまで「1人でもそれなりに戦える」ことを示した上でのチームワークだと定義しているのです。
だから総合戦闘力は初代の時に比べると平和な時代が長すぎたのもあって衰えている分、戦いを通してメキメキ成長していくので、これが歴代トップクラスの強さを誇る所以となっています。


ラストは和解したハヤテとヒカルですが、藪蛇を突いたヒカルがハヤテから乱暴に下されて落ち…まあありがちですが、改めてヒカルの成長をしっかり描き切りました。
その上で「アースとは何か?」をリョウマからではなくハヤテとヒカルというサブキャラクターから展開したことで物語としても幅が生まれています
なおリョウマの未熟さに関する試練は次回で描かれているので、こういうところも隙なくフォローされており、本当に痒い所に手が届いていますね本作は。
評価はS(傑作)、しっかり定義すべきものを定義し、それをキャラクターの成長とリンクさせて見事に本作の土台がこの4話までで確立されました。


第五章「必殺の機刃」


脚本:小林靖子/演出:長石多可男


<あらすじ>
ダイタニクス復活のエネルギーに苦慮したバルバンは「大暗黒剣」なるものを使って封印を解こうとする。しかし、3,000年も封印されている間に剣はとっくに錆びており、粉々に砕け散ってしまう。サンバッシュは武器マニアの魔人バクターを呼び出して555個もの武器を集めて大暗黒剣を修理するように命じる。一方シルバースター乗馬倶楽部ではリョウマがハヤテ達と稽古に励みつつ、ヒュウガと共に戦士として訓練した厳しい日々のことを思い出していた。モークからバルバン襲来の報告を受けたリョウマたちはバクターと交戦するが、バクターはリョウマ以外の4人の星獣剣を奪い取ってしまい、リョウマは離すまいとするのだが…。


<感想>
さあ、今回はめぐりめぐってのリョウマメイン回ですが、前作に引き続き長石多可男監督が登板。
総合評価でも述べましたが、本作は演出のローテが非常にうまくできていて、田崎監督が新しく始まる物語を作り、辻野監督が脇で自由な物語を展開し、長石監督が重要な回を担当しています。
特に本作では決戦とか物語として締めの部分をほとんど長石監督が担当していますので、脚本だけではなく演出面も非常に計算されたものになっているのです。
そんな今回の話はリョウマの未熟さについて触れた話ですが、第一章で死んだはずのヒュウガ兄さんが回想シーンという形での再登場。


改めてリョウマとの訓練シーンが描かれているのですが、今回を象徴する名言がこちらです。


「リョウマ、一々うまく行くたびに気を抜くんじゃない!常に次の一手を考えるんだ!戦士が自分に満足したら、その瞬間に命はない!」


流石は元ニンジャレッドだけあってヒーローとしての貫禄がだいぶ違いますが、同時にここでヒカルとは違ったリョウマの未熟さについて厳しく指導しています。
何というか、別に炎の戦士が特別ということではないでしょうが、ヒュウガはリョウマに一流の戦士になって欲しくて徹底的に叱っているのです。
この部分に関しては「リョウマだから」なのでしょうが、リョウマは優しくて穏やか故にやや隙がある人物として描かれています。
そこをヒュウガが厳しく諫め、改めてリョウマが背負うポジションや使命の重たさが浮き彫りとなっているのです。


前回のヒカルのテーマが「力の使い方」「正しい心でアースを使う」でしたが、リョウマの場合は「勝って兜の緒を締めよ」ということでしょう。
よく「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言いますが、戦いで負け続ける人の特徴はだいたい以下の3つです。

 

  1. 情報不足(自分の戦力と敵の戦力の格差や力量の見極めなど)
  2. 思い込み(自分は何でもできるのだという勘違い)
  3. 慢心(力が十分にあるのだからそれで勝てるだろうという油断)


敗因の7割は「情報不足」であり、ギンガマンの場合はこの情報不足に関しては第三章でいつ森の外に出てもいいように情報収集を徹底していますし、モークもいますから心配ありません。
そのため、ギンガマンに敗因があるとすれば思い込みと慢心なのですが、前回のヒカルが「慢心」故に負けかけたのだとすれば、今回のリョウマは「思い込み」の克服でしょうか。
炎の戦士・ギンガレッドになったからといってそれだけでヒーローなのではなく、常に次の一手を考え続け臨戦態勢でい続けることが大事だと説かれます。
これはまさにビジネスやスポーツの世界にも通ずる「一流」のマインドであり、ステージが上がれば上がるほど常に臨戦態勢で戦い続けないといけません。


それこそある人が「常に頭にピストルを突きつけられている感覚」といっていましたが、正にその通りで今回のリョウマは文字通りバクターにピストルを突きつけられて戦っていました。
また、リョウマが命よりも大事な星獣剣を手放したくなかったというのも納得なんですが、その星獣剣で薪割りをしていましたよね?と突っ込むのはやめておきましょうか。
まあとにかく、リョウマが改めて「リーダーに必要な資質」を問われた回であり、うまくいったからといって安心せずに常に次を考えなければならないのです。
バクターに囚われてもアースを使って鎖から脱出し、さらにモークにある作戦を依頼するのですが、ここでの駆け引きやカメラワークの見せ方が上手でした。


そして今回の魔人バクターは実は先祖から自在剣・機刃を盗んだのですが、ゼイハブ船長をして「お前たちの先祖はもっと手強かった」と言わしめた初代ギンガマンから機刃を盗むって相当すごいのでは?
というか、先祖も思わぬ失態を犯していたのだなあと…しかし、武器マニアのバクターは単に武器マニアなだけで使い方を知らないので、保管するしかできません。
この辺りは「武器を持っている」ことと「武器を使いこなせる」とは違うことが示されているのですが、最終的なオチはあの星獣剣が偽物だったというオチ。
そう、東映特撮お得意の「すり替えておいたのさ!!」を使い、精巧な星獣剣の偽物が作られていたとのこと…一体誰がこんなの開発したのでしょうか?
違和感はなかったのですが、のちの展開を考えるとおそらくモークであり、いくら本物を目にしていたからとはいえ、あんな短時間で偽物をあっさり作る開発能力の恐ろしさ。


そもそもモーク自体も「大木故に動けない」ことを除けば、コンサルタントから武器開発、さらには情報伝達まであらゆることができるチート司令官ですよね。
「シンケンジャー」でいえば、彦馬爺さんとスキマセンサーと梅盛源太が戦闘能力を除いて合体しているようなもので、長老オーギはよくも凄いものを開発したと思います。
そんなモークの開発能力もサラッと描かれてつつ(あくまで「サラッと」というところがポイント。源太みたいにこれ見よがしにしないのさ)、自在剣・機刃の性能が明かされました。
自在剣という名前の通りキバカッター、キバショット、キバクロー、キバナイフ、キバアローという5つの武器に変形する代物であり、星獣剣に続きとんでもなく殺傷能力の高い武器です。
小型の剣ということでインパクトはどうしても星獣剣に及びませんが、その分機能性の高さとバリエーションで差別化を図ったというところか。


単なるパワーアップアイテムではなく、そこにリョウマとヒュウガの物語を絡め、リョウマの成長をしっかり描いてドラマとしているのが見事です。
近年の戦隊に足りないのは正にこういう部分であり、1つ1つの武器に対する意味づけ・定義づけが甘い作品が多くなっているのですよね。
最も、あれだけ玩具を大量に売りつけてパワーアップ合戦で勝負しなければならない今のスーパー戦隊では、そこがおざなりになるのも仕方ないのでしょうが。
そして機刃はさらに5つ星の形に合わせることで合体技である「機刃の逆鱗」を放つことができると、ここでようやく「5人で力をあわせる」技が出てきました。


まずはそれぞれ単独の力の強さを描きつつ、リョウマが成長するタイミングでギンガマン全体もパワーアップするという構造が秀逸。
リョウマも今回で心の未熟さを克服し、真のギンガレッドへ近づいていくためのハードルをしっかりと超えてくれました。
また、判断力や機転の利かせ方も兄譲りであり、かなり高いことが描かれたのも良かったところで、評価はA(名作)でしょう。


第六章「星獣の危機」


脚本:小林靖子/演出:長石多可男


<あらすじ>
伝説によると、バクターから取り戻した自在剣機刃にはある隠された力があるのだという。その秘密を探るため、リョウマたちは星獣たちと話しに行くことになり、勇太もそれに同行することとなった。星獣たちと親睦を深めた勇太は星獣から綺麗な水晶体の石をもらう。しかし機刃の秘密については教えてもらえないままその日を終了してしまった。一方、バルバンではサンバッシュが度重なる作戦失敗のお詫びをゼイハブに入れつつ、ブクラテスとともに密かに案じていたある作戦を決行すると言う。その作戦とは魔人タグレドーの持つ強力な毒ガスによってダイタニクスを治して封印を解くというものだった。


<感想>
自在剣機刃に隠された謎…その秘密は星獣たちだけが知っていたが、リョウマたちにはなぜか教えられない…そこからスタートしたギンガイオー誕生編です。
その前編を担当するのは前回に続き長石監督ですが、ドラマ的な見所でいうと、前半でのキャンプのシーンがとても良かったところ。
もちろんハイライトは後半の方にあるわけですが、星獣と勇太、そしてギンガマン5人の交流がしっかりと補強されています。
音楽も相まって、何だかNHKの「おかあさんといっしょ」のようなノリの教育番組テイストであり、設定やストーリーが緻密でありながら、あくまでも「子供向け」であることを忘れません。


「あーあ、僕も星獣の言葉が分かれば、友達になれるのに」
「友達だよ、もう」


ここで改めて第一章に続いリョウマと勇太の交流が描かれていますが、ヒュウガに対して憧れと表裏一体のコンプレックスを抱えているリョウマが勇太の理想のお兄さんになっているのがいいですね。
そう、リョウマの凄いところは「憧憬」と「共感」の双方をうまく取り込んでいるところで、未熟さで共感させつつ勇太少年にとっての憧れであることを矛盾なく描いています。
この2人の関係性に関しては特に十七章やダイタニクス決戦編がすごくよくできているのですが、第一章から丁寧にきちんと段取りを組むことで自然にできた関係性となっているのです。
また、勇太が星獣たちがホームシックにかかっていないか心配することで、ギンガマンと星獣への思いやりも示されることで視聴者により親近感を持たせることに成功しています。


またリョウマ、ゴウキ、勇太の3人を中心に星獣たちの表情もちゃんとカメラに収められていて、長石監督は改めて役者の表情やアップを色気たっぷりに撮ってくれますね。
特にこれまでどこかマセガキだった勇太君の「少年」としてのあどけない顔など実に生き生きとしてますし、星獣たちもまたコミカルさを出していて、好感が持てます。
星獣は伝説の内容やその強さからてっきり「ジュウレンジャー」「ダイレンジャー」「カクレンジャー」に出てくるような神様的存在かと思われていました。
しかし、ここで勇太たちと交流して可愛げを出すことによって、あくまでも感情を持った生き物であることを補強しており、より友好的な存在です。
少なくとも爆竜や炎神より優しくて友好的であるように見えます…喋ってない分動きで見せ、またギンガレオンが勇太に星の石を渡すシーンもよくできています。


しかし、自在剣機刃の秘密に関してはなぜか教えられず黙ったままストーリーが進行しますが、ここで話は一旦バルバンの方へ
サンバッシュはこれまでの作戦失敗を詫びつつ、ダイタニクス復活のために、新たに地球を猛毒の星に変えてダイタニクスを復活させる作戦のようです。
改めてバルバンの魔人は環境破壊なんてお手の物というとんでもスペックが多いのですが、この猛毒の展開もまた終盤の伏線となるので覚えておきましょう。
そこで、あらゆる物質を噛み砕いて毒ガスに変換させる魔人タグレドーを呼び寄せ、改めて大気汚染作戦を結構するのです。


ポストやコンクリートなどなんでも食べるシーンは今じゃあとても放送できないレベルですが、これを受けてギンガマン側も出撃。
タグレドーを迎撃するのですが、体内から繰り出される猛毒に勇太のみならずギンガマン5人も次々と変身解除されてしまい、しかもそれを解毒できる物質がギンガマン側にありません。
あくまでもブクラテスしかそれを持っておらずゼイハブたちでさえも嫌がっていたので、相当に強烈な猛毒なのだと思われます。
ここで昭和ヒーローなら「そんな毒が効くか!」となるのでしょうが、そのような御都合主義の展開をしないことでギンガマンの強さも完全無欠ではないとしたのがよかったところ。
小林女史のヒーロー像は決して長所だけではなく短所も織り込んでくれるため、安心して見ることができます。


もう止められない毒ガステロになす術なしかと思いきや、星獣が自分たちの命と引き換えに毒を中和してリョウマたちを助けるのです。
ここでギンガマン5人と勇太が星獣たちと仲良くなった展開が落差として機能し、ギンガイオー誕生前に一度仮死状態に陥らせるという絶望を描きます。
単純に自在剣機刃を使ってストレートにギンガイオーに行くのではなく(それをやったのが「ガオレンジャー)、あくまで大きな力には重い代償が必要なのです。
まさに「陰極まって陽となる」というか、カタルシスに持って行くためにはそれ相応の絶望感が必要である、という形でしっかり描いています。


(ギンガレオン、死なないで。ギンガレオン……みんな!)


勇太少年の心の叫びも虚しく、星獣たちは石になるのですが、この五星獣が石になる展開はいうまでもなく「ウルトラマンA」のヒッポリト星人回のオマージュです。
大きなカタルシスを得るために一度伝説的な存在を仮死状態に陥らせて絶望を突きつけるという展開を見事に戦隊シリーズのエピソードに翻案して取り込みました。
それは同時に「ジュウレンジャー」〜「カクレンジャー」までのロボットが「何で生物なのに機械なの?」という矛盾に答えられなかったことへの回答でもあるでしょう。
そして、改めて蘇ったリョウマたちはギンガ転生、そこからタグレドーへ猛反撃で返り討ちにします。


ここのアクションシーンも素敵なのでが、中でも見所はグリーンの華麗な中回転とギンガレッドの星獣剣&キバカッターの二刀流です。
ギンガレッドといえばやっぱりこの二刀流であり、後半でギンガの光が出てくるまでは結構象徴的に使ってくれています。
そのあとは炎のたてがみからの機刃の逆鱗で、まさに今回のこれは星獣たちが死んだことへの行き場のない怒り=逆鱗ですね。
タグレドーもここでバルバエキスを飲まないのはナレーションで説明された通りバルバエキスが自らの命を縮める最後の手段だから。


第一章から提示してきた要素を丁寧に組み上げつつ、ギンガイオー誕生への布石を細かい段取りを踏まえながら作り上げているのがとても丁寧です。
高寺Pのガチガチに整合性にこだわるところと、小林女史の丁寧かつ爆発力のある脚本が非常にベストマッチで組み合わさって、本作本当にここまで無駄な話が1つもありません。
一話完結がベースにありながらも、大筋に沿って一定の連続性を持って動いており、歴代で見ても非常に基礎土台が強固に積み重ねられています。
ヒーロー側もヴィラン側も交互にバランスのいいドラマが50:50で展開されているので、どちらかに偏っているということがありません。


逆にいえば、これだけ丁寧かつ強固なバックボーンを作り上げているからこそ、作品としての総合的な完成度が非常に高いのだといえます。
自在剣機刃の謎を秘めつつ、1クール目最初の山場として、星獣を仮死状態に陥らせるという絶望的展開の持って行き方というかプロセスが見事です。
評価はいうまでもなくS(傑作)、ここからどうギンガイオー誕生へとつなげていくのかという期待を持たせて次回へ。

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

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